吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

きょう明日の暮らしと何万年先の地球を心配する不思議

2013年01月26日 | Weblog
人生50年がいつのまにか100年ほどになったようだ。日常の生活では、今晩の食事やことしの家族の無事を思う。多くのふだんは、ことしや来年のことを考えて暮らしている。

2011年3月11日の東日本大震災や福島原発事故の復旧・復興は、ほぼ2年になろうとする今も遅々として、進んでいる兆しを見ない。がれきの始末も除染も進んでいないどころか、避難所や仮設住宅を後にできる見通しもない。あまりにも大きな地震や津波だったからでもない。始末も出来ないバケモノ原発の爆発事故による命に有害な放射性廃棄物が、最大の主犯だ。

当面のデフレ脱却経済再生のために、いますぐに原発の再稼働が必要なのか。ただいま一つも動いていない全国54か所の原発は、毎年何か所かぐらい再稼働させないと、私たちのきょう明日の経済や生活は破たんするのか。”いま程度”の生活レベルは、わたしたちにとって本当に受容出来ないレベルなのか。至るところ活断層の地震国日本に、原発や核燃料を敷設できる場所や地域はあるのか。

わたしたちの最先端科学は、自分たちが始末すら出来ない”人工物”を創出した。限りありそうな化石燃料やウランを超えるといって、セシウム137やプルトニウムなどをつくり、夢のエネルギー”核燃料サイクル”を考えだし、原子力発電所を創設増設してきたのだ。耐用年50年もない建物や燃焼炉に、半減期2万年のプルトニウムを燃やし続け、使用済みのそれを再処理し再使用することが、半永久的に続くと、いつかの事故や被災や廃炉を考えないのでした。

核燃料や高レベル放射性廃棄物の終のすみかも考えず、科学や経済の実験に人々の生活と生命をさらし続けるのでしょうか。至るところ活断層の54か所の原発を廃炉していく方策は見えているのでしょうか。廃炉に伴う使用済核燃料廃棄物は、どこにどう始末するのでしょうか。10万年後の安全をいうフィンランドの地下400メートルをまねて、原発廃炉の放射性核燃料廃棄物のお墓にするのでしょうか。

わたしには、とても思いがおよばない問題の一つでした。
コメント (1)
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