吉澤兄一のブログ

お江戸のど真ん中、平河町から、市井のトピックスを日記風につづりたいと思います。

海や川の水も、空気も、リッターいくらになって幸せ?

2008年05月27日 | Weblog
 学生時代信奉して勉強したケインズが、今世紀のような金融資本主義になるなど、予想もしなかった。何から何まで”売り買う”という(先物)相場市場になることが進歩のように思うことがイヤなのだ。

 いつの間にか水がリッターいくらで買うようになったと思ったら、空気(正確にはCo2)まで排出権などといって売り買いされるようになった。約20%の酸素(O2)や78%の窒素(N2)というより、わずか0.03%の二酸化炭素を主とする温暖化ガスの(非)排出権が売買の対象になったのだ。

 窒素(農業)や水素(エネルギー)だけでない。酸素だって、酸素マスクや酸素ボンベだけでなく、いろいろ価格付きの商品になっている。神や天地宇宙が与えてくれたものではないのだ。無限にあったり、誰もが自由に使えるものではないということだ。田舎にいる子供時代の川や井戸の水とも違う。都会に来て、ひねるとジャーの水道で、代金が取られるのにびっくりしたのはもう昔だ。

 ペットボトルのミネラルウォーターや名水や何とかの天然水ばかりではない。海からの水や河川からの農業用水が売買されていたオーストラリアでは、水の先物相場が成立しているという。

 2050年や今世紀半ばにはと言って温暖化ガス半減を言っている洞爺湖サミット派は、のん気なものに映る。この間の京都会議や京都議定書と同じ次元。大体、50年後あたりの展望や基準を云々していて、”そうなること”はまずないのだ。せめて、10年後、20年後、30年後、40年後にブレークダウンしてくれと言いたい。

 何とか、二酸化炭素や水までもが先物(相場)取引の対象になることを止めて欲しいと誰に言えばいいのか、わたしは知らない。 
コメント
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