因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『博士の愛した数式』

2006-02-19 | 映画
*小川洋子原作 小泉尭史脚本・監督
 事故による後遺症で記憶が80分しかもたない数学者(寺尾聡)と、シングルマザーの家政婦(深津絵里)とその息子(齋藤隆成)の交流を描いた作品。情緒や文学性、詩情とは最も遠いと思われる「数学」が、これほど美しく優しいものであったとは。博士の口から溢れ出す数学論は、素数、約数など数学の授業で習い覚えた言葉だけではなく、友愛数、完全数について、あたかも数字に人格があり、神すら宿っていると思わせるくらい生き生きとしている。特に家政婦の誕生日2月20日(=220)と、博士が学生時代に取った学長賞の番号284が友愛数であることを話す場面は、この作品の白眉である。
 同時に家事をすることの楽しさにも気づかされた。家政婦が料理をするところを博士は飽かず見つめている。「君が料理をしている姿が好きなんだ」。料理にもルールがあり、さまざまな手順には意味がある。食材をよりよく活かし、栄養バランスも考え、見た目のきれいさ、メニューの組み合わせ、家族の好き嫌い、すべてを出来るだけおいしく、出来立ての味わいを食卓に並べたいという気持ちが、その人の姿に表われるのだろう。
 以前森田芳光監督の映画『(ハル)』に出演した深津絵里が自宅のキッチンでその日のメニューをひらがなでゆったりと書いている場面があったのを思い出した。
 本作でも単に手際がいいだけではなく、自分に与えられた才能を活かして実に楽しげに家事をする深津の姿が印象的であった。また何かの雑誌のインタビューで「今回初めて母親役をすることになって不安だったが、現場で子役に会ったら、その子が楽しくしていることが自分にとっても楽しいことに気づいた」というようなことを話していて、これは映画の後半で「私は息子が楽しい気分でいてくれること以外に、望みなどありません」という役の台詞の気持ちそのままではないかと思った。

 博士の義姉(浅丘ルリ子)の描き方について、自分には少々疑問が残った。
 画面に登場しただけで濃厚な雰囲気を醸し出す浅丘の圧倒的な力はさすがであるが、博士との秘められた関係含め、もっと淡い表現はないだろうか。

 映画を見終わったその足で書店に直行し、原作本を購入。
 映画の味わいそのままに楽しむことができた。欲を言えば原作で博士がテーブルクロスにアイロンをかける場面があったら!
 
 映画館入り口に大きなボードがあり、黄色のメモ用紙がたくさん貼付けられている。
 「映画の感想をご自由にどうぞ」ということらしい。
 記憶が消えてしまうため、重要なことをメモに書き、どんどん上着に貼付けていく博士の習慣にあやかった?粋な演出だ。「友愛数って素敵」「やっぱり数学ってわからない」など素直な言葉の数々に、思わず口元が緩む。別の日にみた家族が「春が待ち遠しくなった」と言っていた。ほんとうだ。満開の桜や瑞々しい若菜が待ち遠しく、温かで優しい気持ちになれる、そんな作品である。

 

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