因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

映画(試写会)天野千尋監督『ミセス・ノイズィ』

2020-04-01 | 映画

*天野千尋監督・脚本 公式サイトはこちら 製作/井出清美、植村泰之 企画/貝津幸典 エグゼクティブ・プロデューサー/鍋島壽夫、横山勇人 プロデューサー/高橋正弥 脚本監修/加藤正人 共同脚本/松枝佳紀 企画協力/アクターズ・ヴィジョン 2019年日本 106分 
 第32回東京国際映画祭・スプラッシュ部門のワールドプレミアで大きな反響を呼んだ本作は、天野千尋のオリジナル脚本であり、俳優養成のワークショップの企画によって完成まで3年を要した力作である。5月1日のTOHOシネマズ日比谷等全国公開を前に、都内某所で行われた試写を鑑賞した。

「その戦いは、一枚の布団から始まった―」…小説家の吉岡真紀(篠原ゆき子)は、ミュージシャンの夫裕一(長尾卓磨)とひとり娘菜子(新津ちせ)とともに、郊外の共同住宅へ引っ越してきた。新進小説家として文学賞を受賞して将来を嘱望されていたものの、スランプに悩んでいる。心機一転懸命に執筆しているが、隣の住人・若田美和子(大高洋子)がベランダから激しく布団を叩く音に悩まされる。執筆は思うように進まず、つい娘のことを忘れがちなゆき子につけこむかのような美和子の嫌がらせ行為はエスカレートし、裕一とのあいだもぎくしゃくしはじめた。真紀は美和子を小説のネタにすることで反撃に出る。しかしその小説がふたつの家庭だけでなく、SNSによって世間を巻き込み、マスコミの餌食となる大事件に発展してしまう。

 公開前の作品であり、ぜんたいにコメディタッチ(あくまで見る側からすればの話であって、当事者にとっては地獄のような物語である)ながら、サスペンスの要素もあり、ネタばれ厳禁である。どう記せばこの作品のこと、今の自分の気持ちを伝えられるか。非常に悩ましいながら、密やかな喜びを味わっている。

 明け方から狂ったようにベランダで布団を叩く美和子は猛獣そのものである。真紀を一方的に罵る口調も常軌を逸しており、どう見ても「最悪の隣人」だ。いささか過剰な真紀の反応も致し方ないと誰しも思う。しかし最初のもめごとを美和子の視点から見ると、彼女の振舞いにも理由があり、同じやりとりがまったく違う様相を呈してくるのである。この描写の面白さは、同時に渦中にある当事者には互いの事情や心情を想像する余地を奪い、ひたすら相手を非難する方向へ暴走する恐ろしさを炙り出す。

 「あなた自身を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」。2千年も前から説き続けられているということは、人間にとってそれがどれほど困難であるかの証である。特に真紀と美和子のような最悪の間柄にとっては…いや、しかし、出会いのタイミングがほんの少し違っていたら、あのとき娘の言うことを真紀がちゃんと聞いてやっていれば、美和子があとひと息落ち着いて、夫(宮崎太一)のことを伝えていれば、もしかすると真紀と美和子は互いの事情を深く理解し、支え合うことのできる親友同士になり、それこそ神が出会わせたかのような良き交わりができたのではなかろうか。

 緻密な構成の脚本と、それに応える俳優の演技によって、最後まで目が離せず、どこに着地するのか予想もさせない展開のドラマとなった。実は世界的な評価を受けた『万引き家族』や『風の電話』に対して、どこかしっくりしない印象があった。「観客に委ねる」という提示の仕方が、「書き切っていない」もの足りなさになってしまったのである。むろん理由も結果もすべて見せてほしいわけではなく、観客が考える余地は必要なのだが、「ここで委ねられるのか」と困惑したのが正直なところで、それを払拭してくれたのが、今日の『ミセス・ノイズィ』であった。本作には最後まで脚本を書き切り、撮り切り、演じ切った爽快感がある。争いの絶えない人の世の愚かしさや恐ろしさを容赦なく描きながら、それゆえに歩み寄れたことの喜びや希望を優しく手渡してくれるのである。 

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