因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

『地下鉄(メトロ)に乗って』

2006-11-23 | 映画
*浅田次郎原作 篠原哲雄監督 公式サイトはこちら
 ありえない設定の話に観客を引き込むには何が必要か。引き込まれてしまったとき、観客はどんな心持ちになるのか。

 要は、過去にタイムスリップした主人公(堤真一)が、自分が生まれる前の父親(大沢たかお)と出会い、父親と自分の人生をとらえ直していく過程が描かれている作品である。現実には過去に戻ることはできないし、過去を変えて、現実を変えることもできない。それがわかっていてもなお、「ほんとうのことを知りたい」「あのときああしていれば」「あんなことを言わなければよかった」という抑えがたい気持ちが、人にはある。それが血を分けた肉親、愛情を注いだ相手であれば、尚更であろう。

 実は自分は映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』が大好きである。これは主人公が過去にタイムスリップして、ティーンエイジャーであった頃の両親に出会い、その恋の成就を助けることによって、現実も変えることができたという話である。言わばハッピーエンドのサクセスストーリーだ。何度見ても楽しくわくわくする。しかし見終わった後にはいつも、現実にはありえないという苦さを心の奥で噛みしめるような、少し寂しい気持ちになることも確かなのだった。

 本作はタイムスリップにありがちな、過去に戻った主人公がてんやわんやの大騒動を繰り広げながら現在に戻ろうと四苦八苦するパターンではない。過去に戻ったと思ったらうたた寝していたときの夢で、しかも同じ夢を恋人(岡本綾)も見ていたり、昭和39年、終戦後、戦時中と、スリップする過去がいくつもあったりする。

 主人公を演じた堤真一は、状況に振り回され、混乱し困惑する「受けの演技」に徹することで、周囲の人物を鮮明に浮かび上がらせることに成功した。父親役の大沢たかおは激動の時代を生き抜いた男を20年に渡って演じるので、演じ甲斐もあり、儲け役とも言えるだろう。堤真一が割を食ってしまうのではと心配だったが、杞憂であった。生きるエネルギーに溢れている男に圧倒されている主人公の姿を誠実にみせることで相手を際立たせ、物語がきちんと観客に伝わってくるので、この「ありえない話」にわたしは引き込まれ、主人公の気持ちに寄り添うことができたのだと思う。

 主人公は妻子のある設定なので、岡本綾は愛人、二人は不倫関係にあるということである。一回り以上も年齢が離れているが、「おじさんと若い子」という印象はほぼまったくない。堤真一は昨年公開の『ALWAYS 三丁目の夕日』で堂々たる父親を演じていたが、今回は家庭の場面でも夫らしさ、父親らしさが感じられず、それが作品にマイナスの影響を与えてはいないが、少し気になった。愛人といるほうがしっくりくる、ということなのだろうか。

 映画を見終わって地下鉄に乗り、ふと思った。乗っている人すべてにその人にしかない、人生があるということを。少し優しく、丁寧に生きていきたい。そう思った。

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