歌舞伎の舞台を映画館で上映する「シネマ歌舞伎」は、今回がはじめて。これまでも多くの舞台が「上映」されてきたが、舞台を映画でみせることに抵抗というかためらいがあって、劇団☆新感線の「ゲキシネ」もまだ行ったことがない。
今回は2009年6月歌舞伎座さよなら公演で行われた「女殺油地獄」(おんなごろしあぶらのじごく)である。十五代目片岡仁左衛門が、自身の出世作である河内屋与兵衛をこの公演をもって演じ納めとした。「この役には生の若さが必要」と語っていたそうだが、息子の孝太郎が演じる豊嶋屋お吉がちゃんと年増にみえて、不自然や無理は感じなかった。ほんとうに不思議である。放蕩の末に衝動殺人を犯す仁左衛門の与兵衛、ぞくぞくするほど魅力的であった。
さてシネマ歌舞伎の「女殺油地獄」は休憩なしのきっちり2時間である。物語の解説のナレーションも字幕もなく、驚くほどシンプルな作りで、話の内容や役者のことなどまったく知らずに楽しむことはむずかしいかもしれない。
物語後半、金の無心をお吉に諌められた与兵衛は、「いっそ不義になって貸してくだされ」と迫る。その目つきに「何とまぁ」と嫌悪しながら前のめりになるほど魅入られてしまう。すでに若い役者が与兵衛役を演じているが、十五代目片岡仁左衛門の河内屋与兵衛をみる至福を改めてかみしめた。役がもつ生硬と役者としての円熟が矛盾なく、これほど陰惨な話であるのに芳醇な香りさえ感じられるとは。
劇場でみる生の舞台との決定的な違いは、客席のざわめきや息づかい、高揚感がないところである。映画館が空いていたせいもあるが(ああもったいない)、よほどの爆笑ものや号泣感動作でない限り、映画館の客席が一体になり、時と空間をともにした幸福を感じることはできない。今回もそうであった。これが舞台なら、あの歌舞伎座ならという気持ちは確かにある。しかしシネマ歌舞伎の「女殺油地獄」には、「共有」とは異なる幸福感があった。ことばにすると単純で下世話だが、「今日の与兵衛はわたしだけのもの」とでも言おうか。ひっそりと自分の心のなかだけに抱えていたいと思うのである。
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