因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝『ペーパームーン』

2018-06-24 | 舞台

終盤の記述につきまして、加筆いたしました(6月24日)

佐藤五月作 中島裕一郎演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA 7月1日まで 1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27,28,29,30,31,32,33 ) 長年の夢である自宅カフェの開業準備に勤しんでいた熟年夫婦。夫が急逝し呆然自失の妻のもとに、夫の弟、さらに3年前に家出した娘も帰ってきた。残された妻と周辺の人々が賑やかに出入りする舞台前方部分の話が本作の縦糸。
 横糸は瀬戸内海の小さな島にある「漂流郵便局」だ。これは四国の粟島に実際にある郵便局で、アートプロジェクトのひとつであり、届け先のわからない手紙を受け付け、もって行き場のない心を慰める場所でもある。亡くなった人、もう会えない人に話したいこと、伝えたいことをしたためた手紙は、2018年現在2万通を超えるという。本作の熟年夫婦は冒頭は家出した娘に宛てて、後半は妻が亡くなった夫へ葉書を書く。

『ペーパームーン』の特徴は、漂流郵便局を借景として捉えたところにある。「借景に」という表現は、先日観劇した劇団日本のラジオ公演『ツヤマジケン』(屋代秀樹作・演出)で覚えた表現だ。何かをモチーフにすることから、もう少し距離を置くこと、そして「借景」でありながら、いつのまにか身近に迫ってくるもの。劇作家のほんとうのたくらみが見えてくる瞬間は、ぞくぞくするほど刺激的だ。漂流郵便局という豊かなドラマ性を感じさせるものを「モチーフにする」のであれば、郵便局に、それこそ漂流してくるかのようにやってくるさまざまな事情と背景を抱えた人々の悲喜こもごもを描いた芝居になるだろう。

 冒頭こそ、主人公夫婦が行方知れずの娘宛の手紙を書きにやってくる場面があるが、本作のメインはあくまで夫が急逝したあとの妻が住む家であり、そこに集う人々である。郵便局はそのうしろに位置し、手紙をしたためる人は二人しか登場せず、メイン場面の人々と交わることもない。しかしまことに悲しく辛い事情を抱えてやってくる二人と、柔らかく受け止める局長さんの短いやりとりでじゅうぶん温かい。

 とても温かで、作り手の良心と品格が感じられる舞台であり、かといって良い人ばかりが出てくるご都合主義のドラマではなく、それぞれ辛い過去や重苦しい事情を抱えているなかで、悩みつつ歩んでいることが伝わる気持ちのよい作品だ。

 しかしながら、一つひとつは決定的な妨げにならないにしても、いくつも積み重なると劇世界全体の緊張感が緩み、感興を削ぐことになる。たとえば、両親が旅行中の家に家出娘が入って、また出て行く。まことにあっさりした高額の金の受け渡し、貸した金を返してほしい理由が振り込め詐欺の手口に酷似。それぞれフォローする台詞がないわけではないが、無理や不自然は否めない。

 作者が漂流郵便局というものに心を向け、描こうとした世界はとても優しく温かい。登場人物も誠実で感じが良く、カフェが無事に開業できること、娘が幸せになれるようにと、見る側が自然に願えるような雰囲気がある。ならば、カフェ改装工事の左官職人は、3時の飲み物を出されたなら、弟子はまず親方にグラスを手渡し、親方が一口飲んでから自分が口をつけてくれないだろうか。男勝りでポンポン物を言い、親方のいちばん弟子だとみずから名乗るほどやる気がある。きっと見込みもあるに違いない。きちんと礼儀を弁え、気づかいのできる娘であると安心させてほしいのである。
→後日わかったことですが、この場面についてはそのように戯曲に書かれており、演出もあって、上記の演技になったとのことです。このあとに彼女と親方の短いやりとりがありますが、それを含めて、親方に対する彼女の屈託などの現れのひとつ…だったようです。

 何かにつまづいたときは、「こんなことをして!」と思う前に、「なぜこうするのか」と考えるよう、自分の心を諫め、頭を働かせるよう心がけます。

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