
*吉永仁郎作 丹野郁弓演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA 19日まで
吉永仁郎は、民藝75年の歴史のなかで最多の13作品の上演があるとのこと。そのうち自分の観劇記録はこちら→『集金旅行』(井伏鱒二原作/2013年9月)、『大正の肖像画』(2015年10月)、『新 正午浅草 荷風小伝』(2019年4月)、『どん底-1947・東京-』(2021年4月)、『集金旅行』(2021年11月)半数近い作品に出会えたことは幸運であった。本作は1987年に発表、翌1988年、文学座の加藤武の演出で初演されている(未見)。
時は江戸時代の半ば過ぎ、18世紀の後半だ。さまざまな肩書きを持ち、縦横無尽の活動を展開する平賀源内(千葉茂則)、親友の医師・杉田玄白(塩田泰久)、蘭学者の前野良沢(横島亘)、若手医師の中川淳庵(橋本潤)がオランダ語の解剖学書「ターヘル・アナトミア」の翻訳に挑戦する。満足な辞書もなくい上に、最大の問題は、この書物の内容が正確なのかどうかであり、これは実際に人間のからだを切り開かなければわからない。刑死した罪人・青茶婆(別府康子)の腑分け(解剖)に立ち会うが、こういった機会は少なく、彼らはついに、源内の内縁の妻お仙(中地美佐子)、その妹のお藤(新澤泉)に「おまえが死んだら腑分けさせてくれ」と懇願、実行する。史実を基に、女性たちとの関係については劇作家が大胆に腕を振るった。漢方一辺倒の医学ではなく、新しい知識を得て、一人でも多くの人を病から救うためという気高い志を掲げて身内に無茶ぶりをする男たちと、実験材料にされた恨みから成仏できずに幽霊となって彷徨う女たちの攻防を描いた物語である。
幽霊が登場する演目としてすぐに思い浮かんだのが井上ひさしの『頭痛肩こり樋口一葉』である。史実に基づいて書かれた評伝劇という点でも通じるものがある。また身内を医学発展の実験材料とするところは有吉佐和子の『華岡青洲の妻』と同じだが、本作の女たちの場合、お藤はぞっこん惚れ込んだ玄白先生に口説かれて決意するとはいえ、華岡家のように夫あるいは息子の愛を得んと自ら進んで身を捧げるわけではないので、生きている間もさんざん苦労させられ、死んでからもからだを切り刻まれる恨みは相当なもの。青茶婆が姉妹の母親という関係性からも、幽霊VS人間、女VS男の図式が劇に勢いを生む。
人間には見えないものが観客には見えていることによって、幽霊と生きている人間がどうすれ違い、どこで交わるかが演劇的旨みとなる。特に本作では、病弱だったお藤が幽霊になってから女の嫉妬心を燃え立たせるなどエネルギッシュになり、お仙や青茶婆などはいよいよ意気盛んである。とてもおもしろいのだが、ふと、現実には歴史に残る偉業を成し遂げた人物の背後に、ひたすら辛抱しつづけた無名の人々の存在があったことを思わせる。
源内が志なかばで非業の死を遂げ、良沢にもやり残した仕事があまたある。玄白は長寿を全うしたものの、日に日に弱りゆく肉体や孤独に悩む。特に排泄の辛さを事細かに告白して老醜を晒す終幕(塩田が快演)など、人間の幸せとは何なのかと考えさせられる。
観劇回は終演後に出演者との交流会が行われた。時代物の着替えには時間がかかって観客を待たせてしまうとの配慮から、出演者全員、衣裳も鬘も舞台の拵えのままがステージに揃い、淳庵役の橋本潤と演出の丹野郁弓の司会進行でおよそ30分行われた。客席に質問を呼びかけると「しーん」と静まり返ってしまい、今日はこのままかと思ったが、最前列の方が口火を切ると、それを合図のように次々と手が挙がった。本作の出演者は劇中の人々ゆかりの場所に足を運んでおり、杉並区の慶安寺へ前野良沢の墓参りを行っている。この日は寺のご住職が来場、何と文学座の初演を観劇されているとのこと。近所の小学生に校外授業として良沢の逸話を話し、「解体新書」の図?(このあたり記憶が曖昧)を見せたときの子どもたちの表情の輝きなどを訥々と話してくださった。
観たばかりの舞台の感想や質問など、率直で好意的であり、大変楽しいひとときであった。専門家や研究者をゲストに劇作家や演出家と語り合う「アフタートーク」も勉強になるが、このように作り手と客席が親しく交わる機会も非常に大切だ。自分がうまく言えないことを別の方が発言されたときの安堵感や、観客ひとりひとりにこの舞台に足を運ぶ経緯、理由、背景があって、受け止め方もさまざまであること、それを見聞きすることで、心が解放されたり、新たな発見があったりなど、多くの手応えを得た。
改めて気づかされたのは観客の「発信したい」という欲求である。表現は拙くとも、たった今味わった舞台のこと、もやもやした気持ちを言葉にしたい、誰かに聞いてほしい。それを共有できたとき、舞台の印象はより深まり、観劇の喜びが増すのである。
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