因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝 『光の国から僕らのために-金城哲夫伝-』

2016-02-10 | 舞台

*畑澤聖悟作 丹野郁弓演出 公式サイトはこちら 紀伊國屋サザンシアター 21日まで
 70年代、日本中の子どもたちを熱狂させたテレビドラマ「ウルトラマン」を世に送り出した脚本家・金城哲夫の半生の物語。

 ウルトラマン誕生のプロセスや、いかにして魅力的な番組になったか、特撮の苦労話やとっておきのエピソードなど、いわゆる「メイキング」のおもしろさは、あまり描かれない。沖縄という地に生を受けた主人公が戦争を生き抜き、東京で仕事に成功するも、それを捨てて故郷に戻ること、沖縄海洋博の仕事に関わり、沖縄と本土のかけ橋になろうと奮闘するが、板挟みになって苦悩すること、やがて酒で心身を壊し、泥酔して二階から転落死するという、むしろ「ウルトラマン」以外の物語に焦点があてられている。

「光の国から僕らのために」。このタイトルは、放送当時から半世紀を経てなお子どもたち、昔子どもだった大人たちをも魅了するウルトラマンだけでなく、光溢れる沖縄からやってきて、ウルトラマンの脚本を書き、去って行った金城哲夫その人のことでもあると思われる。
 怪獣たちから地球を守ってくれるウルトラマンは、現実には存在しない。金城が逝って40年経ったいまも、世界から戦争はなくならず、沖縄の基地問題も解決していない。ウルトラマンは夢であり、希望であるが、冷静に現実を見据えると、決して来ないヒーローを、それでも待ち望む人間の悲しみでもある。

 実は観劇前、ウルトラマン誕生の秘話や創作プロセスを大いに期待していたのだが、徐々に「これはそうではないらしい」ということがわかってきたとき、観劇の体制を立て直すことがうまくできなかったらしい。舞台のどこを見て、どう感じるかは観客に委ねられているのだからどのような見方をしてもよいのだが、作り手の意図を受けとめきれなかったようである。

 金城はじめ、創世記の円谷プロで「ウルトラマン」が生まれんとする場面で、「ウルトラマン」の主題歌が即座に歌われる場面は、あまりにすんなりと歌が完成しているようでいささか不自然であったし、海洋博でひと儲けしようとする本土の男性ふたりが、ずっと黒いサングラスをかけたままで、特定の人物というより、ヤマトンチューの象徴として登場しているが、その造形がいかにも類型的である。それは同時に沖縄の人々の描写も凡庸である印象が否めないことでもある。人々に沖縄のことばを使わず、標準語で話させたことには何か意図があるのだろうか。前半で、上原が沖縄ことばを使う金城をたしなめる場面と関連があるのだろうか。

 冒頭、ヘリコプターの機上からラジオの実況をする金城のうしろに彼が兄と慕い、創作の同志と信頼を寄せた上原正三が、現在の年老いた姿で彼をみつめるところや、終幕で、下手に酒浸りの金城、上手に上原がいて、互いの来し方を穏やかに語り合う場面はしみじみと切なく、心に残る。

 舞台全体をみたとき、「ウルトラマン」がやや後退しているように感じられた。なので、ラストシーンからカーテンコールにかけて、懐かしいあのテーマソングを出演俳優が歌い、客席もなんとなーく唱和する流れに少々無理が感じられる。
 これだけ魅力的な人物がいて、あれほど子どもも大人も熱狂させた「ウルトラマン」を作りだしたのだ。舞台と客席が一体になって、「光の国から僕らのために」と自然な大合唱になるような熱い舞台にならないだろうか。

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