ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

播州針の記事が日経夕刊に-北播磨で9割以上生産

2022年06月08日 04時26分44秒 | Weblog
 

 7日の日本経済新聞の夕刊に、加東市をはじめ北播磨地域の地場産業の釣針製造に関する記事が掲載されていました。
 「播州針国産の9割以上」「伝統の技術海外でも評価」の見出しで、釣針の写真、北播磨の位置を示す地図、職祖と仰がれる小寺彦兵衛翁の墓と顕彰碑、釣針の碑、播州針の広告塔の写真が紹介されています。
 この歴史ブログでも度々紹介してきましたが、釣針製造は兵庫県の北播磨地域の地場産業として盛んに行われ、わが国の9割以上のシェアを占めています。
 先月も3年ぶりに兵庫県釣針協同組合の総会が開かれ、土肥富夫理事長がコロナ禍でアウトドア志向のレジャーが広がり、釣りブームが起きていることなどを挙げて、業界にとっては好機となっていると話していました。
 「海から離れた北播磨の内陸地域でなぜ釣針製造が盛んになったのか」は、教師時代から社会科の授業で扱った学習課題でした。そこには、江戸時代末期にその製法を伝えた下久米村(現加東市下久米)の庄屋の小寺彦兵衛の存在を抜きに語ることはできません。彦兵衛さんは苦労して高知から製法を持ち帰り、村の人々に伝え、広めたことが、地場産業としての釣針製造の源になっています。日本の釣針の高い技術と品質は、釣針の製法が伝えられて160年の歴史と、釣針協同組合創立70年余の歴史の中で先人が苦労して開発してきた技術や販路開拓の成果だといえます。
 ところで、加東市のマスコットキャラクターの加東伝の助くんは、この彦兵衛さんの生き方すなわち、人々に惜しみなく伝えるという精神が元になっており、加東の古い歴史や文化などを「伝える」という意味が込められています。今、「誰一人取り残さない」というSDGsへの取り組みが言われますが、製法を秘伝とせず、惜しみなく人々に伝え、村人の暮らしをよくしようとした彦兵衛翁の生き方、精神こそSDGsであると言えるでしょう。
 こういう記事を見つけると嬉しくなりますね。
コメント
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