大相撲が面白い! 琴の若 霧島 照ノ富士
初場所が終り、新大関に琴の若が昇進した。霧島の横綱昇進は見送られた。休場明けの照ノ富士はまだまだ強かった。ここ最近は、熱海富士、大の里など若い力士もどんどん出てきている。大相撲が面白い。
子どもの頃は、栃錦、若乃花、続いて大鵬、柏戸がスターだった。ラジオで聞いて、その後は白黒テレビだった。プロ野球と大相撲しか無かった昭和の時代である。そして相撲から遠ざかった長い時間がある。それが10年ほど前くらいからなぜか見るようになったのだ。歳のせいかも知れない。
大相撲っていうのは不思議な仕組みで成り立っている。運営のすべてを親方、行司、呼出しなど内部の人で分担している。引退した元横綱白鳳でも売店に立つことがある。場内アナウンスも呼出しの仕事だ。
土俵下の審判員は、親方たちが担っている。自分の弟子の取り組みも審判するのだ。裁き役の行司もそれぞれの部屋に所属している。野球でいえば、審判を自分のチームの監督やコーチがやるようなものだ。客観性、第三者性などとは無縁に見えるが、判定に贔屓が入っているようには見えない。
力士はある相撲部屋に入門すると原則として移籍がない。一つの部屋で親方、おかみさん、行司、呼出しとともに家族のように過ごす。野球やサッカーのように移籍やトレードされることもない。前近代的といえばそうなのだが、しこ名や親方を継承するという名誉を担うことができる。
誰と誰を対戦させるのかという取り組みにも厳密なルールはない。取り組みは、親方たちによる編成会議で2日前に決まる。優勝が絡むクライマックスの場面では、前日の相撲の結果を受けて決める時もある。同じ部屋同士や兄弟力士は当てないなどの決めはあるものの、成績によっては幕内下位と横綱が当たることもある。かなり恣意的に決めることができるので、この力士とこの力士の相撲が観たいと思うと実現することがある。興味をひくような取り組みをつくることができるのだ。
場所の成績をもとに次の場所の番付づくりもおおまかな基準があるものの、厳密なルールはない。横綱、大関、関脇、小結への昇進や新入幕で話題づくりもできる。横綱、大関の人材が不足していれば、昇進基準を緩めて何とかスターをつくろうとする。しかし、どんなに筋書きを書いても、想いどおりにならないのが相撲だ。下位が上位を倒す番狂わせもある。ケガをしてしまうこともある。
あらためて大相撲の面白さはどこにあるのだろうか。それはもちろん体格もタイプも違う個性溢れる力士たちの真剣勝負のぶつかり合いにある。メイクも衣装もなしでまわしひとつ、自分を鍛えて見せる身体をつくる。よくスポーツの面白さは「筋書きのないドラマ」と表現されることがあるが、大相撲の場合は、筋書きをつくるのだが筋書きどおりに進まないところに魅力がある。どうやら歳をとったみたいだ。
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