![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/24/9b54f88082f64a33e70c0434f505175e.jpg)
11月8日のここに、「県立神奈川近代文学館」で開催されていた「無限大の宇宙―埴谷雄高『死霊』展」に立ち寄った事を書いた。
繰り返しになるが、1976年に「死霊」を20数年ぶりに刊行した時は、丁度私の学生時代にあたり、全国4都市で行なわれた「死霊」全5章刊行記念縦断講演会を聞きに行った記憶が蘇った。当時、その札幌での講演会の講師は、吉本隆明、秋山駿、小川国夫だったと記憶している。
この講演会の模様は、『精神のリレー』として河出書房新社から刊行されていたことがわかったので、早速古本屋サイト(古書 一路)に注文をした。と記した。
『精神のリレー 講演集』(埴谷雄高 島尾敏雄 小川国夫 秋山駿 真継伸彦 小田実著 河出書房新社 1976年刊) この画像は、1997年に刊行された新装版の装丁で、1976年とは趣を変えている。
札幌での講演会は、1976年5月10日、講師は、吉本隆明「『死霊』について」、小川国夫「宇宙論と現代文学」、秋山駿「理由のない人間」の3人で、司会は内村剛介氏であったことがわかった。
思想、行動、表現すべてに自由を尊重するノンセクトラディカルの学生たちと共同して集会を開けるところまでこぎつけることができました、と企画した評論家の川西政明氏が記している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_6.gif)
1976年は大学3年目、その後あと3年も行くなんて当時は知る由も無い。そして、全然何もわかっちゃいないのだが、今から思えば、随分と世の中を舐めていたなと感じる。(わからないのは今も同じだが。)
3人の語られた内容は、ほとんど理解できなかった、しかし、吉本は多少読んでいたので、彼の話の中身が、彼の著書の内容とどうも違うのではと聞きながら感じていた。講演の後、質問の時間があり、学生のひとりが、そのことを吉本に質した。
対する吉本の答えがまた振るっていて、今日話したことについて、私は全然そんなことを考えているのではなく、埴谷氏の刊行記念ということで、趣旨に沿った話をしただけのことと。
吉本という人は、大物なのか、人を食っているのか、舐めたお方と思ったものだ。
しかし、国家の死滅のイメージとは、政治が町内会の当番のようになる、つまり権力が無くなる状態、というようなこととか、埴谷の思考方法が、現在から未来を見通すのではなく、21世紀、22世紀から現在を逆に透視しているなどの言葉が、30年以上経っても頭の中に残っている。(ただし、「精神のリレー」に吉本の講演は所収されていない。)
20歳前後は、頭が柔らかかったのでしょう。その頃、思考の土台が作られ、今は情況に合わせてそれなりに演じることもできるようになったと思っているが、人間の中身はあまり変わらないのではないかと感じる。
繰り返しになるが、1976年に「死霊」を20数年ぶりに刊行した時は、丁度私の学生時代にあたり、全国4都市で行なわれた「死霊」全5章刊行記念縦断講演会を聞きに行った記憶が蘇った。当時、その札幌での講演会の講師は、吉本隆明、秋山駿、小川国夫だったと記憶している。
この講演会の模様は、『精神のリレー』として河出書房新社から刊行されていたことがわかったので、早速古本屋サイト(古書 一路)に注文をした。と記した。
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『精神のリレー 講演集』(埴谷雄高 島尾敏雄 小川国夫 秋山駿 真継伸彦 小田実著 河出書房新社 1976年刊) この画像は、1997年に刊行された新装版の装丁で、1976年とは趣を変えている。
札幌での講演会は、1976年5月10日、講師は、吉本隆明「『死霊』について」、小川国夫「宇宙論と現代文学」、秋山駿「理由のない人間」の3人で、司会は内村剛介氏であったことがわかった。
思想、行動、表現すべてに自由を尊重するノンセクトラディカルの学生たちと共同して集会を開けるところまでこぎつけることができました、と企画した評論家の川西政明氏が記している。
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1976年は大学3年目、その後あと3年も行くなんて当時は知る由も無い。そして、全然何もわかっちゃいないのだが、今から思えば、随分と世の中を舐めていたなと感じる。(わからないのは今も同じだが。)
3人の語られた内容は、ほとんど理解できなかった、しかし、吉本は多少読んでいたので、彼の話の中身が、彼の著書の内容とどうも違うのではと聞きながら感じていた。講演の後、質問の時間があり、学生のひとりが、そのことを吉本に質した。
対する吉本の答えがまた振るっていて、今日話したことについて、私は全然そんなことを考えているのではなく、埴谷氏の刊行記念ということで、趣旨に沿った話をしただけのことと。
吉本という人は、大物なのか、人を食っているのか、舐めたお方と思ったものだ。
しかし、国家の死滅のイメージとは、政治が町内会の当番のようになる、つまり権力が無くなる状態、というようなこととか、埴谷の思考方法が、現在から未来を見通すのではなく、21世紀、22世紀から現在を逆に透視しているなどの言葉が、30年以上経っても頭の中に残っている。(ただし、「精神のリレー」に吉本の講演は所収されていない。)
20歳前後は、頭が柔らかかったのでしょう。その頃、思考の土台が作られ、今は情況に合わせてそれなりに演じることもできるようになったと思っているが、人間の中身はあまり変わらないのではないかと感じる。
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