晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

人権擁護団体

2007-12-09 17:36:17 | Weblog
 久々に白石サイクリングロード20km長距離ラン、気温1℃でも汗が吹き出る。走り込み不足のため、恥ずかしながら途中から左足の裏に水豆が発生して痛い。



 人権擁護団体による子どもを対象とした人権セミナーに参加した。いくつかの寸劇を行い、1話ごとに司会の人が、子どもに質問をし、内容の解説をした。



 子どもには、自由に意見を述べる権利があるのだから、家庭も含めて大人と子どもはしっかり話し合おう。
 どんな人もみんな同じだから、男のくせにとか、女だからと言ってはいけない。
 障害のある子どもも社会の中で自由に生活する権利があるから、平等で差別してはいけない。
 全ての人はすこやかに生活を送る権利があるのだから、お年寄りや弱い人にやさしくすること。

 以下は、対立した考えが含む。
 子どもにもプライバシーがあるから、親だからと言って、日記を読むなどしてはいけない。しかし、親には子どもの発達に合わせて、子どもを育てる責任がある。
 子どもにも信教の自由があるから、その家の宗教と違う宗教に入ってもかまわない。
 みんなにいじめられたので、ガマンできずに相手をたたいた。しかし、暴力は絶対にだめだ。



 小学生、中学生の子どもたちが、司会の質問に答えていた。小学校低学年は無邪気におそらく自分の思っているとおりのことを答えていたのであろう。中学生になると、複雑になり、自分の考えと相手に期待される考えを使い分ける位のことはやっていたのだろう。



 さて、現実の社会は果たしてどうなのだろう。学校は、成績で常にふるいけを強いられ、部活でもレギュラーと補欠、平等について子どもたちはどのように思っているのだろうか。

 テレビでは、お笑いタレントが、外見を捉えて大笑いをし、ワイドショウはプライバシーを暴き立てる。社会に性差別は依然としてあり、我が内なる性差別もある。



 人権擁護団体を敵視している運動もある。人権団体は、正しいことを言っているに違いないが、もう少し現実と向き合い、子どもにも現実社会を見る目を養うような視点で語りかけた方が良いのではないかと思った。彼らの主張だけでは、ひ弱な子どもが育ってしまう。

 日本国憲法で、獲得された「基本的人権」の重要性について、改めて考えてみたい。

コメント
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