朝、5時に家を出る。
-6℃。
ただ、空港辺りで雪がまた降り出した。
飛行機は機体と滑走路の除雪でかなり遅れて飛んだ。
厳寒期の北海道から行くので、路の状況と飛行機が飛ぶかどうかはいつも気になる。
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途中からになってしまったが、臨床獣医師のためのコミュニケーション講座を聴かせていただく。
興味深い内容だった。
私は、治療の結果を出すことだけに集中し、コミュニケーションをおろそかにしているのだろうとあらためて気が付いた。
『「あなたの犬は癌です。手術しますか?」と間をおかず聞いてはいけません。』
もっともだと思う。しかし・・・
「あなたの大切なこの馬は腸捻転です。」
畜主が落ち着くまで、関係者と相談する間、待っていては刻々と予後は悪くなる。
私に求められているのは慰めでも癒しでもなく、馬が治ったという結果だと思ってきた。
自分の性格を仕事の性質のせいにするつもりはないが;涙。
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初日は、耳下腺が腫れた馬の診察。
メラノーマが耳下腺部から喉嚢内に出っ張っているのを診断。
レーザーを用いた声嚢声帯切除のデモ。
その後、死んでしまった実習馬で開腹手術の練習。
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2日目は下肢についての講義をしてから、下肢の関節穿刺の練習、解剖構造の把握。
午後は、蹄の症例についての講義をしてから、蹄葉炎のポニー2頭の深屈腱切断術。
ローテーションを起こした慢性の蹄葉炎の馬の治療・管理は難しい。
いろいろな方法があるが、ひとつの方法だけで画期的に改善する方法はないし、どんな方法を組み合わせても完治させることはまずできない。
ただ、蹄骨のローテーションを止め、ローテーションしてしまった蹄骨の角度を変えるのは深屈腱を切ることだ。
蹄葉炎馬での深屈腱切断は「サルベージサージェリー」だと書いてある成書がある。
サルベージ=沈没船の引上げ。
沈んだ船を引上げたところでその船はもう使えないという意味だろうか・・・・・
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この研修の価値は実際に観て、やってみることだと思う。
蕪蹄になって寝ている時間が長く、歩くのが辛い2頭の慢性蹄葉炎馬は、深屈腱の切断で蹄骨の下面で負重しやすくなった。
削蹄もしてもらって、ずいぶん歩きやすく、見やすくなった。
完治とは行かず、まだまだ手をかけなければならないが、
こういう方法もあって、手術自体は難しいものではないことを知っていただき、
寿命が延びる蹄葉炎馬が増えればいいなと思っている。
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その他、蹄関節、球節の掌側(種子骨、第一指骨翼)の関節鏡手術の練習、ハーフリムキャストの装着もしてもらった。
いくらかでも「下肢を究める」ことになっただろうか?
今回の研修も後数時間で終わりです
では!
こちらこそお世話になりました。2週間お疲れ様でした!
Hig先生のように多くの場合?おまかせで持ち込まれるだけの緊急性と選択肢のなさ、それをこなせるスキルがあればそれでも成立するのだろうと思います。
コストやリスクの異なる多様な選択肢が存在する場合は、緊急性も少ない場合が多いでしょうから、十分な説明が求められるのだろうと思います。
これは慰めや癒しとは違うでしょうけれども、クレームや信頼と直結する獣医師には必要不可欠な能力でしょう。
私が治しますでどんどん進めても畜主の満足は得られないのかもしれませんし(これは癒しの能力かも知れませんが)、生き物が治るのをお手伝いしているだけという姿勢では少し責任感に欠如する印象を与えるかも知れません。
救護と治療は決定的に違うのだろうと思います。
目的は畜主には説明されなければならないですね。
天秤にかける外科侵襲リスクとしては大きいものではないとHig先生は述べたいと解釈してかまわないのでしょうか。
私がやる診療の外科侵襲はたいがい大きいです。しかし、畜主も心を癒してもらうより、肝心の患畜を治して欲しいのだろうと思うわけです。だからと言って、コミュニケーションをおろそかにしていいわけではありませんが。
ラテン語の「救う」という意味から「難破した船を救出する=引き揚げ、にかかる費用・支払い」のことをいったんだそうです
19世紀には総じて救う、救済するという意味に使われるようになり
とりわけ「財産を危機から救い出す」という場合に用いるようになったみたいです
20世紀になると加えて「だめになったものから価値あるものをとりだす、リサイクルする」という意味でも使われるようになったようで
それほど悲観的な意味ではないと思いますが
surgery=「治す(cure)」目的の手技、という定義なので
治すのではなく命を数うためだけの手術ということなのかなと文系人間は想像するのですがいかがでしょうか?
そうでしたか!丁寧な解説ありがとうございます。沈まないように治す治療ではなく、もう沈んでしまっているのだ。ということなのでしょうね。そしてまた、引揚げた舟がもとどおりにはならないという意味もあるように思います。
関西人がコミュニケーションをおろそかにするなどというのはあまり考えられないでしょうね。
と言いますより体得しているレベルがかなり高いと申しましょうか(笑)
まあどれだけ話しても結局は以心伝心などという手段が通じる人間によってグループが形成されますね。。
USAで発達した心理学、精神カウンセリングなどは、話さなければわからない。が基本になっているのかもしれません。日本人はまだまだ話さないでもわかって欲しい。が基調にあるように思います。