真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「白衣の羞恥心 かき混ぜて!」(2000『白衣の令嬢 止めて下さい!』の2009年旧作改題版/製作:サカエ企画/提供:Xces Film/監督:新田栄/脚本:岡輝男/企画:稲山悌二《エクセスフィルム》/撮影:千葉幸男/照明:渡波洋行/編集:酒井正次/助監督:加藤義一/スチール:佐藤初太郎/音楽:レインボー・サウンド/監督助手:北村隆/撮影助手:池宮直弘/照明助手:木津俊彦/録音:シネキャビン/効果:中村半次郎/現像:東映化学/出演:緑川さら《二役》・林由美香・佐々木基子・なかみつせいじ・渡辺力・岡田智宏・山梨なつき・丘尚輝・都義一)。出演者中山梨なつき以降は、本篇クレジットのみ。緑川さらの“(二役)”に関しては、本篇クレジットに於いてもその旨特記される。
  ミサトな田中邸の外観にて開巻、医者を志す娘を六年間の米国留学に送り出した聖和クリニック院長の田中雅彦(なかみつ)と妻・礼子(緑川さらの二役)は、家政婦の篠田良江(佐々木)をその日は帰すと感慨に耽りながらの夫婦生活を披露する。ところが娘・恵美子(緑川)が帰国するのを待たず、両親は相次いで他界。ひとまづ良江に迎へられた恵美子は、聖和クリニックを継ぐ。妻に先立たれたタイム・ラグの隙間に、雅彦が良江とも関係を持つてゐたのは内緒だ。雅彦が見込んだ好人物といふ阿部純一(渡辺)との見合話を、良江が恵美子に持つて来る。ところが恵美子が実際に会つてみた阿部はだらしない格好で遅れて待ち合はせに現れては、そのまゝパチンコ屋に入つてのける無礼も斜め上に通り越した出鱈目な男であつた。
 加藤義一の変名の都義一は、聖和クリニックでの恵美子診察風景の冒頭に登場する患者。山梨なつきが看護婦、アフレコは林由美香がアテてゐる。丘尚輝は幾許かの台詞も与へられる、左腕を骨折した杉山。オーラスには、新田栄も患者として参戦。何気にこの人、気がつけば結構な頻度で作中に見切れてゐる。岡田智宏は、酒の配達中に左足を骨折し二号室に入院中の風間勇樹。隠れてベッドの上で缶ビールを飲んでゐるところに恵美子の回診を受けると、適当に紗のかけられた緑川さらの映像に岡田智宏が被せて、「天使だ・・・」。鈴木則文の「トラック野郎」シリーズを麗しい頂点に、娯楽映画といふのはこのくらゐ馬鹿馬鹿しくて全然構はないと思ふ。雅彦の遺志を酌んだ恵美子がとりあへず阿部との縁談を進める一方、恵美子に一目惚れする。林由美香は、阿部の死んだ親友の妹で、事故により下半身の自由を失つた藤森早苗。遺影に登場する、藤森役はこれもしかして坂本太か?阿部が恵美子の前ではどうしやうもない男を演じてゐたのは、早苗のために自分から恵美子の気持ちを逸らせたかつたからであつた。といふか、どうしてここで恵美子が早苗の回復に一役買はないのか。
 阿部と早苗のエピソードは兎も角、良家令嬢の女医と酒屋の息子といふ、身分の違ひといふのも如何なやうな気がしなくもないが、反面冷静になつてみれば実質的には矢張り現実味を帯びなくもない障壁を超え、恵美子と風間が結ばれるに至る本筋がそれなりにしつかりしてゐる分、そこそこに充実して観させる。早苗との関係を知り阿部を諦めた恵美子は、フラフラと夜道に出る。そこに遭遇した風間は、そんな時はこれ、とワン・カップを恵美子に勧める。診察室での酒盛り、酔ひが進み、俄かに服を脱ぎ始める恵美子に対し、風間が含みかけた日本酒を吹き出しさうになるのを堪へながら目を丸くするのは、数少ない岡田智宏が自由自在に駆使し得るメソッドか。岡田智宏はガチガチの二枚目よりは、適度にいい加減な2.5枚目の方が味があるやうに思へる。背中から尻を曝した立ち姿から、さりげなくフレームを律が怒り出さない程度にまで上げつつゆつくりと微笑んだ恵美子が振り返るショットには、クライマックスの濡れ場の開始を告げるに相応しい美しさが穏やかに溢れる。特筆すべき何物も別にありはしないのだが、概ね綺麗に纏められた手堅い一作である。

 ところで、筆を返すやうだが初歩的な点で根本的に頓珍漢なのは。開巻、緑川さらとなかみつせいじの絡みが終つたところで恵美子のモノローグにより語られるのだが、雅彦・礼子夫妻がアメリカに発つ娘を見送つてから、礼子が死去するのがその一年後。良江と懇ろになりながらも、後を追ふやうに雅彦も没するのが更にその一年後。といふことは即ち四年もの間、いふならば単なる家政婦に過ぎない良江がほかに誰もゐない田中邸を守り続け、雅彦が見初めた阿部と娘の縁談も、その間キープし続けた格好になる、それは些か不自然だらう。全く機械的に礼子の死亡時期を後ろに数年ずらせば済むだけの話なのに、どうしてかういふちぐはぐが放置されてしまつたのであらうか。といふか、なほよくよく考へてみるに、恵美子の両親を片づけておかねばならない作劇上の必然性は、実は感じられない。佐々木基子の裸を見せる目的といふならば、退場するのは礼子だけで別に構はない筈だ。


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