真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「濃厚不倫 とられた女」(2004/製作・配給:国映・新東宝映画/製作協力:Vシアター/監督:女池充/脚本:西田直子/企画:朝倉大介/プロデューサー:衣川仲人 森田一人 増子恭一/撮影:伊藤寛/編集:酒井正次/助監督:菅沼隆/監督助手:清水雅美/撮影助手:鏡早智、他一名/録音:小南鈴之介/美術:朝生賀子/出演:こなつ・林由美香・藍山みなみ・佐野和宏・福島拓哉・松本寛樹・本多楽・那波隆史・杉浦昭嘉・吉岡睦雄・今岡信治、他多数・石川KIN)。出演者中、石川KINがポスターには石川欣。プロジェク太の画質以前に見辛いクレジットに、ほぼ完敗する。といふか、開き直るつもりはないがクレジットの方が問題だと思ふ、少なくとも明らかに暗い。情報を満足に提示する気がないのなら読めないクレジットなど打たなければいい、尺の無駄だ。
 聞くでも聞かぬでもなくハングル放送の流れる、コンビニ弁当の残骸とワンカップの空き容器とに荒れた部屋。寡暮らしの侘しい中年男・吉田(佐野)が、過去の記憶に遡る夢を見る。望まれもしないのに新居を訪ねた未だ髪も残る吉田は、親友の新妻・恵子(林)を犯す。悪夢だか苦い記憶だか知らないが、絡みのカットを乱雑にブツ切りにしてみせる必要が、果たしてピンク映画にあるのか。おとなしく、勃たせるものは勃たせて欲しい。それを敢てしないといふことと、出来ないといふこととの間には、結果の上での違ひはない。三年の交際を経て田村(福島)と結婚間近の祥子(こなつ)は、田村を数日間の出張に送り出すと、役場に婚姻届を取りに行く。祥子と入れ違ひで、男がこの人は離婚届を貰ひに来る。既に寿退社済みの祥子は、元同僚の美佳(藍山)と小洒落たレストランにて食事を摂る。ここで店内その他客要員の中で唯一確認出来たのは、横向きで美佳と向かひ合はせ画面向かつて右側に座る祥子の、奥に見切れる今岡信治のみ。店のオーナーは、先程祥子の直後に離婚届を取りに来た男・工藤(石川)であつた。その夜、チャリンコを走らせ閉店後のレストランを再び訪れた祥子は、衝動的に工藤と寝る。以来新婚生活への準備も怠り工藤の制止も聞かず、祥子は工藤との情事を重ねる。そんな爛れた日々、祥子もゐるところに泥酔した吉田が藪から棒に殴らせろと工藤の店に不意に現れる。工藤の妻は恵子で、元々恵子は、吉田と付き合つてゐた。
 配役残り松本寛樹は、恵子の長男・稔で、本多楽が稔の弟。荒れた生活の果てに体を壊した吉田は路上で倒れると、横浜厚生病院に担ぎ込まれる。那波隆史は、吉田の担当医師・内藤寛史。吉岡睦雄は、同じく容態の急変した吉田を診る若い医師。クレジットの位置からして、幾許かの台詞もあつた役ではなからうかと思はれ、加へて顔を見れば判る筈なのだが、杉浦昭嘉が何処に登場してゐたのか拾ひ損ねたのが口惜しい。
 いはゆるマリッジ・ブルーとでもいへば聞こえもいいのか悪いのかはよく判らないが、一人の女がよろめいた弾みで、動き始める物語。一般論としてはその手の、何某かの用語を当て嵌め解釈したやうな気になる、より進むならば一種の免罪符とすらしかねない悪弊に対しては常々我が身の問題としても注意しておかねばなんねえな、とも感ずるものではあるのだが、それはさて措きお花畑の道徳噺でもなからうに、何も映画の主人公が常に正しい行動をとらねばならないといふ訳でもあるまい。よろめくといふのは正しくさういふことでもあらうから、結婚に対し漠然とした疑問を抱へた祥子が、偶さか工藤との関係に溺れてしまふまでは、まだしもドラマが求心力を保つてゐた。とはいへ、詰まるところは2.5組の男女と一人の女をガラガラポンでシャッフルしてみた、に止(とど)まりもする以降の顛末には、残る何某かは少なくもある。婚姻届を取りに来た女と、正しく正反対に離婚届を取りに来た男とが交錯するといふアイデア。開巻の、濡れ場といふ名には値しない回想と、ポップに祥子の結婚を羨ましがる美佳の姿、といふそれぞれの伏線。そこかしこに輝きを感じさせつつなほのこと、恵子が、買つて貰つたばかりの自転車を貸す貸さないで友達と喧嘩した稔と二人連れ立つて歩く、一見どうといふこともないカット。後々、林由美香が実はそこで試合を決める送りバントを決めてゐたのだといふ点に気づかされた瞬間には、誇張ではなく身震ひさせられた。刮目すべき見所はあちこちあるのだが、一度祥子がヒロインかと錯覚してしまふと、何時の間にか祥子が何処か蚊帳の外に押し出される終盤には、足場を失つた心許なさも禁じ得ない。林由美香と主演女優の絶望的な地力の差、だなどといつてのければそれこそ実も蓋もないのかも知れないが。祥子のよろめきが成立する要因のそもそも半分たる、工藤と恵子との距離が、主には恵子からの台詞のみでしか語られないのも、如何せん弱い。祥子を放置したまゝの展開の鍵を握る、明かされるところまで含めて秘密の存在は、恵子にとつてはある種の運命的なものであつたとしても、他方工藤の側からは、殆ど単なる方便に過ぎない、あるいは棚牡丹か。幾度と心を鷲掴まれたにせよ、いざ丸々観通した後となつては、「ほんで、だから何?」といふ釈然としなさも強い。フェミニンなショート・カットが狂ほしく超絶な林由美香の、柔らかな佇まひは言葉を失ふほどに美しく、今となつては正しく喪はれてしまつたからこそでもあらう永遠を、観る者の胸に叩き込む。確かに恵子が載つてゐる間の画面の強度は比類ないものながら、そのことと、一本のストーリーとしての完成度とは、何処まで行つても別問題ともいへよう。だとすれば、かういふ局面で引き合ひに出しては申し訳ないと憚らぬでもないが、たとへば新田栄の名前が容易には思ひ浮かぶ、幾多の水準以下のルーチンワークを出番だけでも、林由美香が天使の微笑と出し惜しみしない存在感とで形成しめて来た救済と、最終的には未完成にも思へるドラマの中で、散発的に恵子が最も眩い光を放つ今作とは、実は同一の地平にあると看做すことも出来るのではなからうか。その時、一見すると最も対極に位置すると思へなくもない、恐らく前者はさういふ自意識であると思しき女池充と新田栄とが、林由美香の御膝の下に、実は同じピンクとして束ねられる。始末に終へぬ牽強付会でないとすれば、それは実に、尊く素晴らしいことではないか。そこに林由美香が出てゐたからこそ、それは矢張りピンクなのである。尤も蛇足ではあり、落とした償ひに持ち上げるといふ訳でもないが、新田栄新田栄とピンクスの間でも悪し様にいはれる例(ためし)が概ね多いが、新田栄も時にヤル気を出した折には、よしんばそれが即物的なものでしかなくとも、アクロバティックでエクストリームな濡れ場を撮る時もある、撮る腕はある。対して、今作も多分に漏れない乱暴に十把一絡にしてみせるがいはゆる国映系の面々は、どうしてかうも、無機質とまでいふのは過ぎるにせよ、無味乾燥な濡れ場を撮るのか。いい意味でも悪い意味でも、スタイリッシュでなんぞなくていい。肉の重みと柔らかさ、温もりが伝はらない。心情描写に重きをおくあまり、シンプルな煽情性を全く蔑ろにしてのけるのも如何なものか。両極端といふものは、何れも極端である以上、同じ罪を犯してゐるに過ぎない。繰り返すが、勃たせるものは勃たせて欲しい。有名女優の裸を売りにもした一般映画の方が、まだしも狙ひを弁へた撮り方をすることが往々にしてある。ましてや、こつちはピンク映画である。それは未成熟な照れなのか甚だしい勘違ひなのか、あるいは単に下手だからなのか。仮にノルマとして規程された手続きとして、映画を撮るに際して仕方なく女の裸を差し挿んだものだとするならば、それは全く以て観客に対して不誠実であり、女優部に対しても非礼であらう。一人の男が映画が好きだとして、不能かあるいは男色でなければ、それは女の裸はそれ以前に好きだらう?私はピンクで映画なピンク映画は、まづ第一義的もしくは零義的には、さういふものだと捉へてゐる。

 とこ、ろで。重ねていはずもがなをこの期にいふが、佐野和宏と石川欣は兎も角、林由美香がこのオッサン二人と同級生かよ!?といふ史上最大級のツッコミ処に関しては、この際立ち止まらないべきだ。とりあへず恵子役には林由美香でなくその盟友の吉行由実を、といふ次善策も思ひつかなくはないが、何かを吹つ切たかのやうに清々しく洗濯物を干す恵子の、強度も伴なつた透明感のある幸福感は、妖艶さを主兵装とする吉行由実の繰り出し得る芸ではあるまい。


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