真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「JOHNEN 定の愛」(2008/製作・配給:東映ビデオ/制作協力:楽映社/監督:望月六郎/原作・脚本:武知鎮典/企画統括:石井徹/企画開発:武知鎮典/プロデューサー:瀬戸恒雄・前田茂司/企画協力:西野禎秀/キャスティングプロデューサー:伊藤雅子/音楽プロデューサー:山崎綾/撮影:石井浩一《J.S.C》/照明:櫻井雅章/録音:久連石由文/美術:高橋俊秋/編集:矢船陽介/音響効果:丹雄二/助監督:池本晋/撮影助手:新家子美穂、他/制作担当:善田真也/ポストプロダクションプロデューサー:金子尚樹/杉本彩特写フォト:菅野秀夫/エンディング・テーマ:『いつか、遠くを見てゐた』作詞・作曲・歌・ギター:友川カズキ/出演:杉本彩・中山一也・江守徹・内田裕也・阿藤快・斉藤暁・村松利史・菅田俊・高瀬春奈・山下徹大・速水健二、他/友情出演:風間トオル・本宮泰風)。開巻は三角マーク。
 ビルの屋上でモデルの夢子(不明)を撮影中のカメラマン・イシダ(中山)は、不意に昭和十一年のいはゆる阿部定事件が脳裏にフラッシュバックし、意識を失ふ。しつつも場所を海岸に移し、センスの疑はれる惨殺ヌードを撮るイシダの前に、白髪の謎の老人・オオミヤ(内田)が現れる。商業高校元校長とまるで形ばかりの自己紹介をしたオオミヤはイシダ―と全く用はないが一応夢子も―を、結界を越えた“本質的な不条理の領域”へと誘(いざな)ふ。本質的な不条理、と来たもんだ、対して現象的な不条理などといふのは、如何なるものなのか想像し難いが。早速まるで手加減もなく吹き荒れる武知鎮典節といふか嵐に、観客は翻弄されるばかり。オオミヤはイシダに、女郎上がりの妻・サダ(杉本)のヌードを撮影することを求める。イシダを“石田吉蔵”として初めから欲情したサダこと“阿部定”、二人は忽ちトップ・スピードで男と女の仲に。二人の情交を前に激情したオオミヤは、藪から棒に裁判の開始を叫ぶ。
 主なところで、「愛のコリーダ」をオリジナルと2000とで二本に数へれば七本目。直近では「平成版 阿部定 あんたが、欲しい」(1999/監督:浜野佐知/主演:時任歩)ともなるピンクまで含めるとなると厳密に正確なところは俄かに濃く深い霧の中に包まれても来る、一群の阿部定映画最新作として今作のある意味画期的な独自過ぎる特色は、舞台として、赤い花を口に咥へたり咥へなかつたりする学生服姿白塗りの一団を傍聴席に擁した架空の法廷を持ち出した、裁判映画といふ体裁を取つてゐる点。何が何だかよく判らない点に関しては、何が何だかよく判らない映画なので仕方がない。俄然雄弁な被告人本人まで含め双方の論戦と事実認定といふ方便で、埒の明かぬ殆ど二元論にすら近い苛烈な、然し噛み合つてゐるのだかゐないのだかは甚だ微妙な応酬と、ランダムな場面の展開とが容認される、といふか強行される。逆説的な物言ひにもなりかねないが、新味には別に欠けるといふだけの意味でポップなアヴァンギャルド劇は、実はかつては金井勝に師事してもゐた望月六郎にとつて一種の原点回帰といふよりは、「IZO」(2004/監督:三池崇史/原案・脚本:武知鎮典/スーパーバイザー:奥山和由/主演:中山一也)と暴力に徹するか性愛に特化するかの違ひがあるだけで遣り口はほぼ同じところから見ると、全ては武知先生のフォースの為せる業、と見做すのが最も相当なのであらう。個人的な立場としては、基本的にかういふ娯楽性を何処かに置き忘れた独善的な映画を好むところではないのだが、この御時勢に、一年タイミングが遅れれば通らなかつた企画であるやも知れぬと思へばそれはそれとしてチャーミングでもあり、意識的に棒立ち状態でのノーガードな撃ち合ひが要求を通り越して強要される今作の中にあつて、水を得た魚の如く暴れ回る内田裕也の姿には、一ファンとして手放しの喝采も送るものである。別に杉本彩も望月六郎も、勿論武知大先生にも特に心惹かれるでもなく、単純に裕也だけ目当てに観に行つた身としては、あくまでその限りに於いては満足出来た。台詞の中身は最早兎も角、拳を力強く前に突き出し叫ぶ裕也の姿だけで、俺は木戸銭の元が取れる。
 大局と極私的な男女の愛憎との対極、といふ恐らく狙つてゐたのではあらう意図はまるで活きて来ない二・二六事件パートには、風間トオルと本宮泰風とが青年将校として見切れる以外の意義は見当たらない。立ち居地は明言されないゆゑ不鮮明ながら、法廷にて検察官(村松)に半ば対立するやうな形でサダの姿に一定の理解も示す哲学博士(阿藤)と、開廷前段でサダを正体不明のローション診察する医師(斉藤)とが振り回す、今時牧歌的な利己的遺伝子論には腰も砕けるが、更に強烈なのは、当初は既に服役も終へたサダの存在自体の是非を問ふ裁判―それもそれで一体全体どうなのよといふ話でしかないのだが―であつた筈が、結審時には気が付くと石田吉蔵に対する殺人と死体損壊とを問ふ、大元の刑事裁判と化してしまふ破壊的な御愛嬌。そんな御機嫌な法廷を司る裁判長役は江守徹で、煙に巻かれ通した観客に止めを刺すのが友川カズキだなどといふ絶妙な配役と選曲とは、いつそ天才的ですらあらう。スラッシュならぬ絶叫フォーク禅問答は、かういふハッタリ映画を締め括る主題歌としての出来栄えは別の意味で、より直截には明後日の意味では百点満点。底の見事な抜け具合は、天晴とすらいへる清々しさである。109分といふ尺は、途方もなく長くも感じられたが。

 菅田俊は、阿部定を取り調べる刑事、兼サラシ姿の似合ふ憂国の青年将校。闇雲にオッソロシイ高瀬春奈は、石田吉蔵の本妻・オトク。山下徹大は菅田俊の取調べを受ける、オオミヤの以前にサダを囲つてゐた立憲政友会何処そこ支部書記長。速水健二が、何処に見切れてゐたのかは微妙に判らない。サダを連れ戻しに来た、女郎屋のヤクザ衆の片割れであつたやうな気もするのだが。


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