真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「雪子さんの足音」(2019/製作:株式会社旦々舎/監督:浜野佐知/脚本:山﨑邦紀/企画:鈴木佐知子/原作:木村紅美『雪子さんの足音』《講談社刊》/音楽:吉岡しげ美/撮影:小山田勝治/照明:守利賢一/美術:山崎輝/録音:藤林繁/編集:金子尚樹/助監督:湯本信一/ヘアメイク:清水惇子/衣裳:青木茂/制作:森満康巳/CG:川村翔太/HP作成:笠谷亜貴子/撮影助手:宮原かおり/照明助手:蟻正恭子・小倉一・斎藤愛斗/ポスターデザイン:利根川初美/ポスター写真:岡田崇/タイトル題字:岩科蓮花/映像協力:フィルム・クラフト/撮影協力:株式会社アシスト・株式会社 Po-Light、他/協力:静岡市、フィルム・クラフト、他多数/Special Thanks:鈴木静夫、他多数/助成:文化庁・文化庁文化芸術新興費補助金《映画創造活動支援事業》・独立行政法人日本芸術文化振興会/出演:吉行和子・菜葉菜・寛一郎・大方斐紗子・野村万蔵・宝井誠明・佐藤浩市《友情出演》・山崎ハコ・石崎なつみ・結城貴史・贈人・木口健太・村上由規乃・辛島菜摘、他多数)。一般映画ばりの情報量に悶絶する、だから一般映画だろ。
 黄昏時といふと日没間際にしては強い陽光の差し込む、吉行和子が穏やかに眠る一室に寛一郎が現れる。真綿で首を絞めるやうな挨拶を交し、暗転タイトル・イン。立ち止まらず、一旦先に進む。
 出張先の地方都市、同僚の市岡誠(室井)とホテルの朝食を摂らうかと新聞を広げた公務員の湯佐薫(寛一郎)は、九十歳のアパート大家・川島雪子(吉行)が、死後一週間経つて発見される孤独死を遂げた記事に絶句する。当地は湯佐が二十年前の大学時代を過ごした場所で、雪子のアパート「月光荘」二〇三号室に、湯佐は大学三年の暮れまで住んでゐた。心が騒ぐ湯佐は予定を変更、市岡とはその場で別れ、月光荘を訪ねてみることにする。
 配役残り野村万蔵と山崎ハコは、雪子のドロップアウトした息子・良雄と、湯佐の母・節子。公称で六十三だからある意味普通といへば普通とはいへ、山崎ハコお婆ちやんになつたなあ。九つ上の、浜野佐知より全然老けて見える。菜葉菜は、劇中当時時制には二人しか出て来ない、月光荘二〇一号室の住人・小野田香織。高校卒業後、岩手の山奥から出て来たテレフォン・オペレーター。今作最大の飛び道具を担ふ佐藤浩市は、良雄の夭逝後月光荘を急襲する、数百万の債権を良雄に持つとする反社の人。直截にいふと倅の映画に首を突つ込んだ、完全映画オリジナル役。“最大多数の最大幸福”だなんてウルットラ久し振りに聞く文言を、恐喝の方便に振り回すのもチャーミング。古い世代の、インテリではあるみたい。大方斐紗子は月子の友人で、喫茶店「レザン」―静岡市葵区常磐町―の店主・高梨秋江。因みに月光荘は同じく駿河区池田の、ex.エンバーソン邸。贈人は小野田が激しく憎悪する、アル中の父。木口健太と村上由規乃は、湯佐の同級生・拓二と理江、大学のロケ先は常葉大学。湯佐が内心秘かに関心を寄せる理江が、拓二とくつゝく昨今でいふBSS。原作では、理江と拓二は最終的に結婚する。それと木口健太は、みんな大好きナオヒーローこと平川直大に、気持ち雰囲気が似てゐなくもない。辛島菜摘はアメイジングに美人の郵便局員、後方に副局長か何かで国沢実が見切れてゐるといふのは、為に吹く与太である。石崎なつみはバーで終電を失くし、湯佐の部屋に転がり込む看護学生・智子。異性にフニャフニャへつらふ、常々打倒を公言する男JAPANを平然と利用するか寄生するパーソナリティーを、浜野佐知が如何に評価してゐるのかは興味深い。少なくとも、造形上は決して露悪的に描かれてはゐない。結城貴史は、遂に湯佐が辿り着いた現在の月光荘にギリギリ残る、引越間際の店子。その他そこかしこの見切れ要員と電車の車中湯佐が検索する、ツイートの朗読部隊で結構な頭数がクレジットされる。その割に、齋木亨子(a.k.a.佐々木基子)や中満誠治(a.k.a.なかみつせいじ)の名前も見当たらないのは少なからず寂しい。閑話休題、何処まで本気なのか、レザンで湯佐が小説の新人賞に応募する旨を騙るもとい語るや、雪子と小野田は俄かにどうかした勢ひで喰ひつく。それまでの食事の提供に加へ、若い芸術家のパトロン―野暮をいふと“patron”は大元はラテン語の“pater”に由来する男性名詞―になりたいと、遂に雪子は現金をも寄こし湯佐を困惑させる。
 浜野佐知が十代の大半―生地は徳島―を過ごし、御馴染経堂の旧邸を引き払つたのち旦々舎も目下構へる、静岡市でオールロケを張つた一般映画第五・五作。死んだ子の齢を数へるやうな繰言ではあれ、佐藤選人がやらかしてゐなければ、静活も何某か加はつてゐたのかも知れない。整数でない奇怪なナンバリングについては、長くなるゆゑ後述する。原作の外堀を埋めておくと、第158回芥川賞と第40回野間文芸新人賞の候補作、初出は『群像』誌の2017年九月号。文壇デビュー十余年の木村紅美にとつて、今回が初の映像化に当たる。全国随時上映の九州上陸に際しては、同日に金沢の同系列シネコンと二箇所で火蓋を切る、何気な離れ業も敢行。シネコンで旦々舎の映画が観られる日が来るなんて、千載一遇のミラクルチャンスには震へた。
 浮世離れた女二人の過剰な厚意なり好意に、二言目には「ぢやあ」が口癖の、主体性の頗る稀薄な青年が翻弄される。吉行和子と菜葉菜に挟撃された寛一郎が、ションボリした表情を浮かべるポスタービジュアルは見事にコンセプチュアルである、ものの。のつけから筆禍をハイマットフルバーストすると、施しを甘受しつつ疎ましがる打算的な湯佐が、かといつて何を成すでもない。自堕落かモラトリアムな物語は文章自体の滋味も特にも別にも見当たらず、単行本に目を通した時点で読み応へにさへ欠き、面白くも何ともなかつた。その意味では、動きと展開に乏しく、それ相応の尺も費やして画と音をつけるには相当の苦心も容易に予想される、小説の映画化として忠実ではある、成功したとはいつてゐない。全くのゼロから創出した子煩悩のベンサム氏(仮名)に加へ、映画版独自の趣向は秋江の藪蛇気味な戦争体験披露と、湯佐と小野田二人きりの夜を演出する雪子の京都旅行の、レザン偽装工作。餌を与へられる愛玩魚に、湯佐が自身を重ね合はせる雪子の部屋の大ぶりな金魚は、クラゲウーパールーパーだと、特異な水棲動物好きの山﨑邦紀が趣味性と象徴を両立させた妙手として、贈人が娘を強姦してゐたとするのは、流石に些か勇み足か。ついでに湯佐が二作手を着けはする小説のタイトルが、『さらば青春の四重人格』と、『日曜の夜と月曜の朝』。ここは寧ろ、苔生して駄目ぽいセンスが地味に素晴らしい。『さらば青春の四重人格』はいはゆる奇書のフィールドに実在しさうな頓珍漢ぶりが絶妙で、『日曜の夜と月曜の朝』に至つてはどれだけ果てしなく詰まらないのか、グルグル二三周した興味が湧く。最大の問題なのがナノ帰省した横川と、小倉で二度観ても矢張りさつぱり判らなかつた、小野田の捨て身の据膳を爆砕した湯佐が真に望んでゐたのが、驚く勿れ何と雪子であるとする画期的な新も通り過ぎた珍機軸。また途轍もない竹を接いで来たなといふ以前に、村上由規乃から吉行和子まで包括するストライクゾーンの広さを誇るならば、菜葉菜も当然スタンドに放り込み得よう。截然と筆の滑りをマッハで加速してのけるに、旦々舎の行き過ぎた吉行和子愛が、映画を曇らせたものと映る。
 それどころですらない致命傷が、フィルムとデジタルカメラを比較した場合の、ラティチュードの絶望的な差をむざむざ被弾するどうかした負け戦。開巻即、白々と飛ぶ画面に目を疑つたが、よもやまさか、空想ないし異界の中で湯佐に官能的に看取られた、雪子が月光荘の二階への階段を上がる。即ち雪子の死を美しく描いた―つもりの―ラスト・ショットが、吉行和子が盛大な白トビに向かつて歩を進める壮絶には正直頭を抱へた。幾ら何でも、歴戦の小山田勝治とガッツのコンビを擁してゐる以上、素人目でしかないがもう少しでなく何とでもなつたらうに。まるで津々浦々の偉人をその時々で尊敬する星野勘太郎のマイク・パフォーマンスの如く、店子に合はせて変るフレキシブルな来し方含め、時に可愛らしく時に魅惑的に、それでゐて老いてなほ、旺盛に欲し望む。実写化には確かに成功した雪子の姿を通して、吉行和子を愛でる分には申し分ないにせよ、本気で世界と一戦交へる気の浜野佐知ならではの、苛烈さにも力強さにもほど遠い。調理製菓専門学校「鈴木学園」の協力も仰ぎ、あれこれ手の込んだ本格的に美味しさうな料理の数々が、雪子がサロンと称し小野田や湯佐を招く自室に並ぶ。その癖、二本の間に中指が入らない、箸の持ち方が微妙におかしな湯佐の野郎はといふと、男子大学生の分際で案外はおろか殆ど手をつけやがらない。超重量級の作品群でその名を轟かせる旦々舎が、ピンクの戦線を二年の長きに亘つて離れ放つた乾坤一擲にしては、全く以て物足らない。湯佐がどうして飛びつかずに済ますのか到底理解に難い、ブルータルに巨大なローストビーフの塊よろしく、暴力的にエモーショナルな映画で叩きのめして欲しいところである。

 改めて、“一般映画第五・五作”について。横川で耳を疑つたのが、上映後の舞台挨拶に於いて「雪子さんの足音」を一般映画第五作とする浜野佐知の発言。あれゝのれ?「百合子、ダスヴィダーニヤ」(2011)が第四作で、その次に何かあつたよな。否、あれがある。前世紀末、邦画女性監督の最多長篇劇映画監督本数を、田中絹代の六本とする公式の場での発言に浜野佐知が激怒、一般のフィールドにカチ込んだ経緯は、この期に及んでは博く知れ渡つてもゐよう。その、上で。里帰りを果たしたデジエク第四弾「僕のオッパイが発情した理由」(2014/脚本:山﨑邦紀/主演:愛田奈々)に再編集と追撮を施し、ピンクでも脱いでゐない里見瑤子が大輪の百合を咲かせる一般映画化。となると、要はOPP+のメソッドを完全に先取りしてもゐた「BODY TROUBLE ボディ・トラブル」に関しては、エクセス資本も入つてゐる点―と下衆く勘繰るに色濃いヤマザキ色―に、浜野佐知御当人は幾許かの引つかゝりも覚えてゐる模様。田中絹代が全て自己調達資金で撮つてゐた訳でもあるまいし、そこに拘る必要が傍から見る分には甚だ疑問であるのと、そもそもこの期には正確な実数なんて神さへ忘れてしまつてゐるにさうゐない、数百本のピンク映画で堂々と正面戦を繰り広げて罰は当たらないのではなからうか。
 最後にもうひとつ、小野田の造形は、原作にあつては大柄で美少女ならぬ美の少ない女として描写される。当サイトが脊髄で折り返して連想したキャスティングは、旦々舎で一時代を築いたオッパイともに大女優・風間今日子なのだが、浜野監督御自身のイメージによると、南海キャンディーズの山崎静代らしい、なるほど画になる。
 備忘録< ビリング順に菜葉菜・寛一郎・山崎ハコ・石崎なつみ・結城貴史・贈人・木口健太・村上由規乃は同じ芸能事務所   「T-artist」所属>山崎ハコは業務提携


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