真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「レズビアンハーレム」(昭和62/製作・配給:新東宝映画/監督:細山智明/脚本:秋山未来・松岡錠司・鴎街人/撮影:志賀葉一・三浦忠・中松俊裕/照明:金沢正夫・渡辺豊・八木徹/録音:長嶋吉宏・佐久間猛/編集:金子尚樹・高藤雅志《金子編集室》/音楽:魔神スタジオ/助監督:鬼頭理三・石崎雅幸・土屋尚彦/製作担当:白石俊/記録:松葉勢津子/美術:細山聖子/スチール:田中欣一/製作進行:若月久男/車輌:田冶直樹/録音スタジオ:ニューメグロスタジオ/現像:IMAGICA/衣装協力:BUY/撮影協力:㈱富士総合企画・稲吉雅志・吉角荘介/出演:橋本杏子・京徳ゆり子・志方いつみ・叶麗華・秋本ちえみ・松田知美・菊地のり子・上杉久美・秋山未来・徳重さゆり・いわぶちりこ・中原和美・小田りつ子・早瀬由美・大川忍・杉下なおみ・鈴木涼子・高橋道子・丸山佳代子・田辺かおり・田中幸子・春さやか)。脚本の鴎街人は、細山智明の変名、撮影の志賀葉一はa.k.a.清水正二。
 「女の子には、幸せな恋愛をする時期があります」、「この物語は、早くさうありたいと願つてゐる女の子達のお話です」とナレーション開巻。主(ぬし)に辿り着けないナレーションの質は終始安定してゐる反面、意地悪をいへば覚束ない作劇は頼りきりともいへる。新宿で待ち合はせる、ともに大きな荷物を抱へた十九歳と二ヶ月の伊織(叶)と、十九歳と四ヶ月の詩麻(志方)。元々中学の同級生であつた二人はやがて本格的に愛し合ふやうになるも、それぞれの両親は同性愛を全否定。互ひに普通に法律婚させられさうになつた二人は心中を決意、思ひ詰めた風情で軽く電車に揺られてタイトル・イン。適当に彷徨ひ込んだ深い森の中、詩麻が用意した各種薬物と、伊織が調達したハンマー・ロープ・熊手・包丁・糸鋸・アイスピック、そして何処から入手したのか回転式拳銃。無駄にバラエティ豊かな得物を拡げ、逡巡ついでに二人がついつい抱き合つてゐると、茸取りの篭をぶら提げた杏(橋本)が現れる。とりあへず、失敗したおでんみたいな正体不明の料理が出される杏の家にその日は一泊。翌日、憲兵1(上杉)の呼び出しは無視し、デスる気の失せた伊織と詩麻は杏の下を御暇しようとするが、どうしても森の中から出られない。そこは両性具有の女王(秋本)の魔力に支配された、女の子だけの王国であつた、化粧品とかお洋服のサプライはどうしてるの?
 エンド・ロールと新東宝―の配信―公式に頼らねば正直手も足も出ない主要配役は、登場順に松田知美が憲兵2で、菊地のり子が憲兵2と御法度の百合を咲かせる道子。京徳ゆり子は、スポンの大役も担ふ杏の彼女・唯。秋山未来は女王の鍋臭い侍従、この人は脱がない。徳重さゆりは、回想中男に振られ痛飲し荒れる杏を東の山に広がるキングダムに誘(いざな)ふ、“相談”とプリントされた黒いトレーナー着用の占ひ師みたいな女、この人も脱がない。いわぶちりこ以降は脱ぐ脱がないチャンポンでその他大勢、大川忍や杉下なおみは知らない名前ではないのだが、裸の海に沈む。
 御本人のサイトと添付されたピンク映画時評によれば、通常ピンク倍以上―それでもロマポ未満―の奮発予算、一週間を超える撮影期間と、キャスト総勢二十二人の大所帯。スーパー16で撮影後35mmにダイレクトブローアップする特殊な方式に加へ、ピンク映画にしてはまさかの同時録音、諸々規格外の細山智明昭和62年第二作。尤も、蓋を開けると業界関係者は唖然とさせるか激怒させつつ、一部シネフィルにはカルト的な好評を博したとのこと。さうはいふものの、率直なところ当サイトにはまるでピンと来らん。物語の大枠は、奇天烈な女王の支配する奇妙な世界に、二人の新参者が彷徨ひ込む。新参者が生んだ波紋はとんとん拍子で叛逆に発展し、少女達の楽園が新たに誕生する。と掻い摘んでみると、実は意外とありがちなファンタジー。股間に正しく屹立する巨大なチンコから精液代りに火花を噴き驚喜する、秋本ちえみ一世一代の大怪演。リボルバーを抜いた橋本杏子超絶のカッコよさと、見所もなくはないとはいへ、総じては未熟な女優部―そもそも男優部は存在しない―と、後の名前も挙げると荒木太郎臭も感じさせる持ち前の不用意な意匠とに足を引かれ、素直に作ればもう少し形になつたらうものを、シンプルに仕損じたといふ印象が強い。逆の意味で特筆しておかねばならないのは、十数人―第一回オナニー大会の一度目は十二人で、クライマックスの二度目は一人頭数が減つてゐないか?―の女が自慰に狂ふ桁外れの人海戦術の見せ場を、にも関らず一列に並べた上でテローンと舐めるだけといふのは、大概無策に過ぎまいか。裸映画の即物的な文法を忌避したつもりなのかも知れないが、何れにしても折角のシークエンスがスペクタクルに欠くきらひは否めない。細山智明は構想段階で、ジョン・ウォーターズの「デスペレート・リビング」(1976)に触発されたらしい。お手本があるやうでは尚更、所詮は頭で考へて、ヘンなことヘンなことをしようとした結果でしかなからう。斯くも脆弱な代物を捕まへて、何がカルトか。片腹痛い、狂へばカリスマかといふ奴である。それよりも寧ろ、大御大・小林悟、今上御大・小川欽也、小屋の番組占拠率最高を誇る無冠の帝王・新田栄らが無造作に繰り出す、ルーチンがグルッと一周して紙一重を突き抜けた凶暴な無常。ナチュラルな破壊力では他の追随を許さない―但し処女作は除く―忘れ去られがちなモンスター・関良平、明後日にせよ一昨日にせよ、兎も角ベクトルが無闇にデカい映画ならばほかに幾らも浮かぶ。意図的に筆を躍らせると一見コアで能動的な領域に見えて、案外狭い料簡で固定されてしまふ惰性は今も昔も変わらないが、世界の見方は、ひとつきりでなくてもいい筈だ、常々俺はさう思ふ。

 とこ、ろで。クレジットに話を戻して照明部サードが八木徹!?この人つい最近でもセカンドだけれど、一体幾つなんだ。


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