真夜中のドロップアウトカウボーイズ@別館
ピンク映画は観ただけ全部感想を書く、ひたすらに虚空を撃ち続ける無為。
 



 「痺れる若後家 喪服のままで…」(1993『喪服妻悶絶』の1999年旧作改題版/企画・製作:オフィス・コウワ/提供:Xces Film/監督:坂本太/脚本:草水教行/プロデューサー:高橋講和/撮影:紀野正人/照明:小峯睦男/録音:杉崎喬/編集:金子尚樹《フィルム・クラフト》/音楽:伊東善之/効果:協立音響/助監督:堀田学/色彩計測:三角匠/メイク:中村範子/監督助手:井戸田秀行・上田耕司/照明助手:野口友行/スチール:小島浩/現像:東映化学/録音:ニューメグロスタジオ/出演:高倉みなみ・尾崎由貴・冴木直・秋吉貫次・斉藤竜一・加藤博司)。
 “華道教室草星流相原静恵”の大概下手糞な看板が郵便受けの傍らに掲げられた相原家、クレジットと併走して仏壇に手を合はせる喪服妻が、早速自慰に至る。おお、ヒロインが美人だ、何故そこに一々有難く驚くのか。タップリ四分見せた上で、亡夫遺影に予想外の坂本太を抜き監督クレジット。義弟の俊(秋吉)帰宅、居間に吊るされた喪服を、静恵が一周忌を目前に昼間着てみたと説明したところで改めてタイトル・イン。監督クレジットから、若干間延びする感は否めない。
 ベッドに寝転んでマンガを読む俊の部屋に、「少し付き合はない」とワインを手に静恵が現れる。何と下着姿の静恵の左腕は何時の間にか鎖で繋がれてゐる導入でオッ始まる一戦は、安定の夢オチ。一夜明け、外出した静恵が向かつた先は精神科の奥山クリニック。入り口の手前で加藤博司と交錯した静恵を、この人も白衣の尾崎由貴が診察室に通す。奥山(斉藤)は心の殻を破るだのあくまで治療だのと静恵を抱き、下した診断結果が静恵は夫の死後、心と一緒に体にも鍵をかけてしまつたとするもの。一点注記しておきたいのが、適宜跳ねなくもない秋吉貫次と加藤博司に対し、斉藤竜一に与へられた演技プランは一貫してシリアスな―つもりの―メロドラマ基調。この手のへべれけな方便は、繰り出すならば予め底を抜いたコメディとして御するほかないと思はれるのだが。その意味では、新田栄と岡輝男のコンビは間違ひなく正しかつた、過去形にせねばならないのか。一方、俊の婚約者・裕美子(冴木)が、連絡のつかないことに腹を立て勤務先を急襲。裕美子の車でのカーセックスに入ると思はせて、静恵V.S.奥山戦に移行。主演女優に関しては潤沢な反面、二番手三番手は結構大胆に出し惜しむ。
 昨年急逝した巨星・坂本太のデビュー作、この期にも何も今から小屋で1999年の新版を観ることはプリントがジャンクされたゆゑ不可能につき、DMMで見られるのは非常に嬉しい。それはそれとして、未亡人と義弟と義弟の婚約者、ここまでの布陣は磐石。ところが、未亡人が通ふクリニックに、時期的にどちらが先なのか微妙なのかも知れないが、日比野達郎のやうなメソッドの精神科医が出て来る辺りから、何となくでもなく雲行きが怪しくなつて来る。ビリング頭二人は下手に思はせぶりで、男優部は全員体脂肪率からモッサリした袋小路の中。見初めた勢ひで華道の入門を装ひ接近した静恵に襲ひかゝるも、未遂に終り衝動的に歩道橋から自殺を図つた加藤博司と、俊が静恵にうつゝを抜かすことに荒れ泥酔した裕美子とが出会ふ件には、さういふ形の突破口かと、一旦は光明が見えたかに思へた。ところがそのチャンスは無造作に放棄した上で、煮えきらない俊を裕美子が半ば強制的に回収、しかけておいて結局は奥山夫婦生活で再び茶を濁す。陽性の前に出る圧力で唯一軸たる資格を有した裕美子を基点に、順調に右往左往した挙句、段取り展開で静恵と俊がひとまづ結ばれまでするものの、“どこかにゐるもう一人の自分を見つけるために”だとかで静恵がいはゆる自分探しの旅に出るラストで完全に不時着する。中途半端なアンニュイさが映画的な叙情ではなく漫然さにしか通じない、平板な裸映画であつた。
 それと、蚊帳ではなくブラインド越しに狙ふショットは奥山の医院で数回見られるものの、特段明確な志向なり嗜好を感じさせるものではなく、寧ろ下元哲ばりのソフト・フォーカスの多用の方が目立つ。


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