COLKIDが日々の出来事を気軽に書き込む小さな日記です。
COLKID プチ日記
ゲーム
D850 + SIGMA 85mm F1.4 DG HSM
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子供の頃ゲームをやると母親から怒られた。
「何の生産性も無い」
「他にやるべき事があるだろう」
と言われた。
確かに何の生産性も無いし、そんな暇があるなら、他にやらなければならない事がいっぱいある。
ゲームと言っても、ディスプレイを使ったいわゆるコンピューターゲームが出てきたのは、僕が中学生の頃だ。
インベーダーゲームが一世を風靡し、中毒のように没頭する若者が続出し社会問題となった。
それは未知の異文化の侵入でもあり、誰の眼にも異様な光景として映った。
僕自身は例によって人のやる事には乗らない主義で、夢中になる友人を冷めた目で見ていたが・・・
それ以前のゲームといえば、自宅では人生ゲームや野球盤などが主流だった。
温泉の遊技場に行っても、ピンボールかパチンコの変形型の台くらいしかなかった。
電子系のゲームが登場して一気に入れ替わり、ゲームセンターがあちこちにできた。
そこは不良の集まる怪しげな場所となり、ゲームよりむしろそのことの方が問題となった。
ゲームは何かから逃げたい人の逃避の手段となりやすく、ゲームセンターには学校をサボった若者たちがたむろしていた。
しかし現代のゲームの立ち位置は、恐らく少し違っている。
ダークな面が薄れ、人々の日常生活に、より自然に入り込んでいる。
子供から大人まで広い世代の人たちが、罪の意識などまったく持たずにプレイに興じている。
電車に乗りシートに座ると、多くの人がスマホを取り出しゲームを始める。
巨額のマネーと結びつき、花形の産業のひとつとなっている。
ではそれに生産性があるかと問われると、今でもその点はあまり変わっていないように思う。
確かにゲームをする事で、精神的な休息や救いとなる事はあるかもしれない。
一種の競技へと進化し、商業的なものと結びつき、それを職業として食べている人たちもいるだろう。
だがそれでも、「他にやるべき事があるのではないか」という思いは拭いきれない。
まあ、僕の世代の考え方が古いのかもしれない。
先日も書いたが、これからの人類はかなり違う方向に進むことが予想される。
やるべき仕事を失った人間が、一体何をして生きていけばいいのか・・という事を考えると、「ゲームをプレイする」事は、かなり有望な候補となるのではないか。
生産性が無いのは確かであるが、もはや物事に生産性がある必要が無いのだ。
そこにあるのは虚構の世界に過ぎないと言っても、それで何が悪いのか・・と開き直られると反論できない。
確かにゲームは暇つぶしに違いないが、未来の人間にとっては、暇をいかにつぶすかがもっとも重要な課題となるかもしれない。
今は企業もお金儲けが目的でゲーム産業に手を出している。
ちょうどスピルバーグがそういう映画を作って公開されているようだが、解説を読むと荒廃した未来社会で一攫千金を目指してゲームで勝ち抜くというストーリーのようだ。
しかしゲームの本当の重要性が見出されるとしたら、それは人類の生活がお金と結びつかなくなった時のことではないだろうか。
コンピューターの性能がさらに進み、ヴァーチャルの世界と現実の世界とが見分けがつかなくなる日がいつか来るだろう。
自分が現実と虚構のどちらの空間にいるのか分からなくなる。
そうなった時に、ゲームの新たな存在意義が生まれてくるのではないかと予想している。
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