焼夷弾


Z9 + NIKKOR Z 50mm f/1.2 S

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スタジオジブリの高畑勲監督作品「火垂るの墓」が、ネットフリックスで全世界一斉配信されている。
2024年9月16日より、世界190以上の国と地域で配信がスタートしたという。
ただし日本は、その対象になっていない。
理由はどうも日本テレビの放映権との絡みらしい。

まあそれはともかく、「火垂るの墓」は海外でかなり高い評価を得ているようだ。
1988年(36年前)公開の作品なので、日本人としては、何を今更・・とも思う。
しかし海外の人達にとっては、今まで見る機会がほとんど無かったようで、やっと見られた・・という人も多い。
ただアニメーションで、ここまで悲劇的な内容の(特に子供が亡くなる)作品は少ないのか、かなりの衝撃を与えているようだ。
世界的にまた戦争の時代に突入しているので、映画の内容が切実に感じられる・・という面もあるのかもしれない。

高畑監督自身はこの作品を反戦映画ではない・・と発言されている。
しかし海外での反応を見ると、これこそ反戦映画のナンバーワンだ・・という意見が多い。
トラウマになり一生忘れられない・・と言う人もいた。
絶対に見るべき作品であるが、二度と見たくはない・・という、少々変わった評価が多いのも興味深い。

我家は太平洋戦争の際、空襲の被害をかなり受けている。
それでも現在家族がこうして元気に暮らしているのは、何とかその中を生き残ったからではある。
繰り返し爆弾や焼夷弾の雨に晒されたし、戦闘機から機銃掃射も受けた。
あの弾が当たれば、一瞬で体は四散して消えてしまう。
死は常に隣りあわせで、実際に多くの人たちが、目の前で死んでいった。

お向かいのおばさんは、焼夷弾を束ねる輪の直撃を受けて亡くなった・・・
近所のおじいさんは、動けないから置いて逃げてくれと家族に言ったが、戻ったら半焼けでまだ生きていた・・・
空を埋め尽くす敵の爆撃機に、日本機が体当たり攻撃をしかけ、翼が吹き飛んだB29が、クルクルと木の葉のように舞いながら落ちてきた・・・
近所に墜落したB29を見に行ったら、搭乗員の靴が落ちていて、拾おうとしたら中に足が入っていた・・・

そういう話を、家族や親戚が当たり前のように話すのを、子供の頃から聞いて育った。
しかし具体的に想像してみると、それぞれ大変悲惨な状況である。
その場にいたなら、そうとう酷い状況を、目の当たりにすることになる。
まさに本当の意味でトラウマになるであろう。

空襲は民間人に対する一方的で無差別な殺戮でもあるので、受けた方は被害者としての意識が強い。
そのため、こういう事があった・・と、まだ語ることが出来る。
しかし実際に戦場で敵と殺し合いをした人の場合は、語ること自体に苦しさが伴い、あまり話さなくなる。
たまたま生き残って激戦地から帰還した伯父などは、戦後の平和な日本に馴染めず、なぜ自分だけ生き残ったのだろうと、しばらくは精神的におかしくなっていた・・と後から打ち明けてくれた。

いずれにしても、現在の日本人の多くは、そういう中を行き抜いた人たちと、その子孫である。
僕自身にも、あの時代を通ってきたからこそ、今の日本があるのだ・・という思いが、当然のようにあった。
そう思っていたので、こんなことがあったなんて知らなかった・・と言われると、逆に驚いてしまう。

その昔、両親と一緒に「火垂るの墓」を見たことがある。
ふたりとも、あの時代はこれが普通であったので、ああ、そうね・・という程度で、特にどうという感想は無いようであった。
かわいそうな話だけれど、あの頃は皆ああだったから・・という感じである。
あれを見て衝撃を受けた・・と言うのは、やはり第三者の感想なのかもしれない。

一箇所だけ、見ていた父親が、焼夷弾の落ち方はああじゃない・・と指摘したシーンがある。
映画では、落下する焼夷弾が既に火を噴きながら落ちてくる。
その焼夷弾が地面に当たって跳ね返る場面があるのだが、実際には突き刺さることが多かったという。(まあ地面の硬さにもよるのかもしれないが)
屋根を貫通した焼夷弾が床に突き刺さり、火を周囲にばら撒く。

父親は青年団で、焼夷弾による火災の延焼を少しでも防ぐ役割があり、防空壕に逃げるわけにいかず、落ちてくる様子をずっと観察していたようだ。
そのためB29の飛行コースをよく見て、焼夷弾がどの辺りに落ちるのかを見定める必要があった。
燃え盛る炎の周りで、消火作業をしていると、上空から人影が見えたようで、B29の銃座から直接撃たれたこともあったと言う。
そういう話は、やはりその場で体験した人でないと分からない。
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