プラモデル


Z9 + NIKKOR Z 35mm f/1.8 S

大きな画像

子供の頃は、プラモデルをずいぶんと作った。
さすがに小学生の頃だと、塗装までするのは、なかなか難しかった。
当時はお店にも道具が揃っていなかったし、あっても購入するお金も無かった。
爪きりで切って、接着剤でくっつけて組み上げるのが精一杯であった。
(そのせいで爪切りが切れなくなったとよく怒られた・笑)

しかし中学生くらいになると、話は変わってくる。
専用のニッパーや紙やすり、コンパウンドなどを使い始める。
手塗りではむらが出るので、スプレー缶塗料を併用するようになり、そのうち簡易型のエアブラシの道具を揃えて塗装するようになった。
本格的なコンプレッサーが欲しかったが、そこまでは手が出なかった。

高校生、大学生になっても、時々プラモ熱が再燃して、作ったのを覚えている。
学校の帰りに、ふと模型店などに立ち寄って、眺めているうちに、作りたくなってしまうのだ。
あの頃は、おじさんの経営する小さな模型店が、町にいくつかあった。
久しぶりに作りたくなっても、昔の塗料はもうダメになっていて、そのたびに買い揃えなければならなかったが・・・

プラモデルを作るのって、多岐に渡る技術が必要になる。
そればかりか、かなり頭も使う。
手先が器用な上、いろいろなアイディアが浮かばないとダメなのだ。

ニッパーでパーツをランナーから切断して、切り口をきれいにならす。
パーツが合わないところをどう補正するか頭を悩ます。
隙間をパテで埋めて、紙やすりで修正する。
サーフェイサーで下地を作る・・・

しかも相手はとても小さい。
今では老眼でとても無理であるが、当時は数ミリ程度の人間の顔に目を入れたりしていた。
自分なりに工夫して、細い針のようなものを使って書き込んだりした。

切ったり、削ったり、下地を作ったり、塗装したり・・・といった、基礎的な作業が、考えてみれば、すべて詰っていた。
加工ばかりでなく、実物らしく見せるセンスなども、プラモデルを作ることで養われていったように思う。
たとえばエンジンの排気管の周辺が、どのように汚れているかなど、普段から気をつけて見るようになる。
戦時中の機体を作る時など、古いモノクロ写真から、色がついた状態を想像したりもする。

プラモデルを作るだけで、様々なセンスが磨かれていくのだ。
自分なりに、あの手この手といろいろな工夫をするが、専門誌などでもっといい方法を知ると、その手があったか・・と感心する。
加工の技術ばかりでなく、機械の構造に関する知識、さらには歴史的な知識までもが豊富になり、想像する力も身についていく。

こう考えると、プラモデルって凄く役に立つな・・・
学校のカリキュラムに入れればいいのに・・・
ま、塗料の溶剤のシンナーは、かなり体に悪いような気はするが・・・

その昔、おもちゃ屋さんで働く友人がいた。
彼によれば、長く子供たちを見ていて、ある世代だけが、道具を使うことに長けている・・・のだそうだ。
それはミニ四駆が流行った時代を、経験した人たちだという。
同時に子供と一緒になって作業したその親たちも、やはりその技術を持っているのだという。

ところがその世代から少しでも外れると、まったく道具を使うことの出来ない人たちの集団になってしまうらしい。
現代社会では、ナイフで物を切ったり、加工したりする作業が、日常の中にほとんど無い。
それが出来なくても、特に問題なく生きていくことは出来る。
それどころか、危ないからと、ナイフには触らせなかったりする。
そのため身についている技術に、極端に差が出ている・・と言っていた。

僕はミニ四駆をまったく知らないのだが、作る作業だけなら、プラモデルとそれほど変わらないように見える。
ミニ四駆の場合、組み立てるばかりでなく、実際にそれをコースで走らせてタイムを競い合う。
そのためにいろいろなチューニングをするわけで、そういう物理的な現象についてのセンスも磨かれていくのであろう。

実は製造工場では、この体験って凄く重要になる。
子供の頃、こういう工作作業をしていたかどうかが、大きな差になって現れるのだ。
やっぱりプラモデルやミニ四駆を、学校の授業で取り入れてくれたらいいのに・・・
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )