弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

釜石訪問(1)

2011-07-31 08:41:47 | 歴史・社会
7月25日、岩手県釜石市を訪問する出張の機会がありました。
私はまだ今回の被災地を直接この目で見ていません。この際、しっかりと被災地の様子を目に焼き付けておこうと考えました。打合せは午後からです。そこで、前日から岩手県に入り、25日の午前中に釜石市内を見て回ることにしました。
といっても、釜石市内のホテル宿泊は困難です。一部再開したホテルもありますが、復興工事関係者の宿泊でいっぱいのようです。JR釜石線の途中に遠野市がありますが、こちらも宿泊施設も予約は困難なようでした。遠野市の宿泊施設は現在、三陸海岸各地へ向かう工事関係者の基地となっているようです。
やむを得ず、宿泊は花巻駅前のホテルとしました。
花巻から釜石まで、釜石線で2時間前後かかります。また釜石線は、2、3時間に1本しか動いていません。当日の朝は、6時49分発8時51分着の電車に乗りました。


釜石駅を降りて、国道283号線沿いに歩き、左折して橋を渡ります。この近辺は、津波に破壊された跡が一切見受けられません。
  
橋を渡ると、そこから釜石市街が始まり、目抜き通りとなります。上の地図の①付近です。左右の街並みは一見何の変化もありません(左上写真)。“この界隈は津波の被害に遭わなかったのだろうか”と思わせる光景です。ところが、ふっと横の家をのぞき込むと、家の一階内部が完全に破壊されているのです。中が空っぽか(左下)、あるいは瓦礫で埋め尽くされています(右下)。頑丈そうなコンクリートの建物でも「解体可」と赤ペンキで描かれた建物もあります(右上)。
  
下記「動画」をクリックすると動画が始まります。静止画のみが現れて動き出さない場合は、写真部分で右クリックし、「再生」のチェックを外し、再度「再生」のチェックを入れてみてください。
動画 目抜き通り
動画 目抜き通り
  
地図の②地点には、階段を上った高台部分に薬師公園があります。入り口部分(左上写真)には「津波避難場所」の標識があり、普段から津波に備えている街であることがわかります。ここから登ってみました。公園からの景色を下のようにパノラマ写真にしました。右端の煙突から蒸気を出している工場は、新日鐵釜石製鐵所の火力発電所です(上中写真)。現在東北電力に売電しており、岩手県の電力の相当部分をまかなっているようです。右上写真は東方向の市街です。

薬師公園から撮った津波時の動画がこちらにあります。

  
津波の傷痕は、東に進むに従って激しくなります。バイパスの東側(地図の③)まで行くと、木造の家屋は土台のみを残して全滅し、鉄筋・鉄骨の建物のみその外観を留めている状況です。その鉄筋・鉄骨の建物も、1階・2階部分は津波にやられて全滅しています(上写真、左下写真)。放置されている自動車の中には、右下写真のように、“どうしたらここまで破壊できるか”といぶかるような破壊状況の車もあります。
  

市街の東はし、魚河岸までやって来ました。地図の④の位置に、大きな船が陸上に鎮座しています。津波来襲時に乗り上げてしまったのです。ASIA SYMPHONYという船名から調べると、全長×巾: 97m X 17m、載貨重量:6800トンの船のようです。
  
船体は埠頭の平地部分に鎮座し(中下写真)、船首部分は埠頭と道路の境界にある低い防波堤に食いこんでいます(右上、左下写真)。船尾部分は海にせり出していますが、海面よりも上にスクリューが見えます(右下写真)。
   
津波来襲時は地図の⑪部分に停泊中でしたが、津波に翻弄され、港湾施設を破壊した上で湾を横断し、④位置まで到達して陸上に鎮座したということです。
  
動画 鎮座した船と湾内の全景
動画 陸上の風景と鎮座した船
動画 破壊された市街と魚河岸および鎮座した船
動画 魚河岸付近の破壊された市街
海岸沿いの魚河岸だったらしい建物は、鉄筋の外側のみ残し、内部は破壊されていました(左下写真)。一方、鎮座した船のさらに東側の埠頭には、漁船が係留されていました(右下写真)。
  

続く
コメント
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