弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

釜石訪問(2)

2011-08-02 18:49:54 | 趣味・読書
前回に引き続き、釜石訪問記を綴ります。


地図の⑤部分(多分)、左下写真の中央高台部分に小さな公園があり、横断幕がかけられています。写真では不鮮明ですが「ガンバロウ!!釜石」と書かれています。この高台からの風景が右下写真、およびその下の動画です。木造の家屋が建っていたのであろう部分は破壊し尽くされ、鉄筋や鉄骨の建物の骨組みと外壁が残されていることがわかります。一見、さほど破壊されていないように見えますが、残された鉄筋・鉄骨の建物も撤去せざるを得ない建物が多く、これから解体作業を行わないと復興に取りかかれない状況のようです。
    

動画 ⑤の高台から市街を一望する

上の動画を見ていただくとわかるのですが、月曜の午前中であるにもかかわらず、復興の槌音はさほど聞こえません。重機の数も決して多いとはいえません。東北3県の被災箇所があまりに多く、個々の被災地での復興工事に集中できないのでしょう。このような工事進捗状況では、復興には相当の時間が必要になるのであろうと想像できます。

   
高台⑤から降りて、西の方向に歩き出します。
目抜き通りから外れると、破壊された家の家財がまだかたづけられていない場所が散見されます(上写真)。家毎に旗が立っている場合があります(上中写真)。赤は“建物の撤去可”という意味であり、黄色は“建物を残して瓦礫のみ撤去可”という意味だそうです。
⑦に位置する桑畑書店が下の写真です。1階部分は鉄骨を残して完全に破壊されていました。
  
破壊の爪痕は随所に見ることができます。
  

市街の目抜き通りと海岸との間に、オ社の大きな工場があります。下の写真は薬師公園から見たもので、こうして見ると健全に立っているようです。

ところが、工場建屋の東端は津波に持っていかれてしまったそうです。左下写真は⑥の高台から撮ったものですが、この写真に見える部分が、破壊された工場の切断面になるのでしょう。そして、工場の近くまで寄ってみると、工場外壁は破壊されており、工場内部を津波が蹂躙したことが明らかです。
  
動画 オ社の工場

動画 瓦礫の山  
薬師公園から撮った津波時の動画がこちらにあります。

釜石駅の近くまで戻ってきました。
釜石駅の南側には新日鐵釜石製鐵所が位置しています(左下写真)。付近を大阪府警のパトカーが走っていました(右下写真)。今でも、全国の警察から応援に来ているのだそうです。
   

釜石駅前広場には大島高任(たかとう)の銅像が立っています(右上写真)。
釜石は、日本で最初に商用高炉が建設された地です。この地に良質の鉄鉱石が産出したために選ばれ、大島高任によって建設されました。安政4年12月1日(新暦1858年1月15日)に鉄鉱石製錬による本格的連続出銑に成功しました。
現在は、残念ながら釜石に高炉は存在しません。

続く

p.s. 8/9 赤い旗と黄色い旗の意味について、今回釜石出張でお世話になった方が調べてくださり、その結果に基づいて正しい意味に修正しました。
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