弁理士の日々

特許事務所で働く弁理士が、日常を語ります。

特攻の論理

2006-06-02 00:17:03 | 歴史・社会
第二次大戦中、帝国陸海軍が行った神風特別攻撃は、今にして思えば「若者の命を粗末にする命令が何で出されたのか」とうてい理解することができません。

昭和19年10月、日本が「絶対国防線」と称したサイパン島も陥落し、米軍はフィリピンに迫ります。このとき、日本軍ははじめて神風特別攻撃を敢行します。

それでは、神風特別攻撃とはどのような論理に基づいて導き出されたのでしょうか。
私が思うに、「日本は絶対に負けない。一億玉砕しても、日本は戦い続ける。」という前提を立て、その前提のもと、当時の戦力評価を冷徹に行ったら、「体当たり攻撃が最良」という結論が出たのではないかと思っているのです。

当時の日本海軍は、開戦当初から使用しすでに時代遅れとなったゼロ戦(戦闘機)と一式陸上攻撃機(水平爆撃及び雷撃)を未だに主力として使っていました。それに対し、米海軍のグラマン戦闘機はF4F(ゼロ戦より弱い)からF6F(ゼロ戦より強い)に変わっています。米艦隊の防御網は、まずレーダーで敵来襲を察知し、F6Fが待ちかまえて日本軍機を餌食とし、それでも艦隊まで接近した日本軍機は、VT信管を装備した機関砲で撃墜されます。

一式の乗員は7名で、1機撃墜されると一度に7名の命が失われます。たとえば10機の一式と70名の搭乗員が配備されているとして、1回の出撃で10%が未帰還になるとします。出撃を5回繰り返したら、10機のうち4機は撃墜され、70人中30人は戦死することになります。なおかつ、この時点では爆撃による命中率は極めて低かったようです。

そのとき、体当たり攻撃のアイデアが出されます。ゼロ戦に爆弾を装着し、敵艦に体当たりして搭乗員もろとも敵艦を爆撃しようとするものです。もし5機の体当たり攻撃で得られる戦果が、10機の一式による攻撃戦果よりも大きかったとしたらどうでしょう。
1回の出撃で、体当たり攻撃による戦死者は5名、一式攻撃による戦死者は7名(10機中1機未帰還)です。より戦死者の少ない体当たり攻撃の方が大きな戦果を挙げていることとなります。実際、特攻の命中率は通常爆撃の命中率の10倍だったそうです(草柳大蔵「特攻の思想」)。

統計計算の結果を見ると、戦死者の数は一式による通常爆撃よりも特攻の方が少ないということになりますが、搭乗員の立場からすると全く異なります。通常爆撃であれば、確かに戦死する可能性は高いがそれが自分だとは決まっていません。それに対し、特攻の場合は出撃すれば自分が戦死すると決まっているわけですから。

今にして思えば、「神風特別攻撃までして戦い続ける意味がどこにあったのか」と考えると、意味を見いだすことができません。戦争を始めてしまったのはしょうがないとしても、遅くともサイパン陥落時点で「もうだめだ」と覚悟し、戦争を終了しているべきだったのです。それができず、「一億玉砕してでも戦い続ける」との前提を固守したため、論理の帰結として神風特別攻撃が案出され実行されてしまいました。
「国家の品格」にある《「論理」だけでは世界が破綻する》《論理には出発点が必要》からの連想で書きました。

「なぜサイパン陥落時に戦争を終結できなかったのだろう」と考えたことがありましたが、「それができるぐらいなら最初から太平洋戦争を始めなかっただろう」との結論にいたり、納得してしまいました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする