<2841> 余聞、余話「台風19号に寄せて」
経験は教訓を生む教訓は表現されて周知に及ぶ
十二日夜、伊豆半島に上陸し、十三日朝福島県付近から太平洋に抜けた超大型の台風19号は強風と大雨をともない、記録的豪雨によって東日本一帯に甚大な被害を及ぼした。その記録をうかがうと、十七日現在、59河川の90箇所で決壊し、253河川で越水が起き、約4万棟(床上23500余棟、床下16500余棟)が浸水し、土砂災害も約170件に及び、死者77人、行方不明者14人が出ている。
このような被災状況に対し「まずまずに収まった」とこの台風19号に対する感想を述べた政治家の感性のなさに「とんでもない」と批判が殺到し、日が経つにつれて被災の凄さが示されるに至り、政治家は自らの非を認め、その発言を撤回した。被害は人命のみならず、生活、交通インフラ、各種産業、経済活動等において広範囲に及び、日時が経つに従って深刻度を増している感がうかがえる。
ここで思われるのが、この19号が最近にあっては極めて大きい台風であること。この点を踏まえ、記憶されるべき台風であるということにおいて、単に公式の「台風19号」という無機的な名のみでなく、日本独自の名称を付けた方がよいということ。どうであろうか。過去に例がある。その例に倣ってその個別名称の復活を提案したいと思うが、これには何か支障があるのだろうか。
例えば、昭和九年(1934年)、高知県の室戸岬付近に上陸した室戸台風。同二十年(1945年)、鹿児島県の枕崎に上陸し、列島を縦断した枕崎台風。同三十三年(1958年)、神奈川県に上陸し、伊豆半島の狩野川で大洪水を引き起こした狩野川台風。同三十四年(1959年)、和歌山県の潮岬付近に上陸し、伊勢湾岸に津波の大被害をもたらした伊勢湾台風などがある。
これらの台風は死者、行方不明者が千人以上に及び、今回の台風19号とは人的被害において比較にならないが、これは最近の気象予報の信頼性にともなう状況であり、時代の違いと察せられる。仮に今回の台風19号が昭和年代に起きていれば、その被害は未曾有に及んだであろう。言わば、それだけ時を重ねて現代人は完璧ではないにしても台風に備える心構えが出来ている証と思える。
しかし、河川の決壊の数などを見ると、今回の台風19号による被災は極めて甚大で、今後の教訓とすべき課題を各方面に示したと言え、この点において考えるに、「台風19号」という無機的番号による公式の名だけでなく、前述したような過去の例に倣って固有の名称を付けて置くのが、記憶に残し、今後に引き継ぐ歴史の観点からしてよいのではないかと思われる。ということで、ここに提案する次第である。 写真は河川の決壊と洪水に襲われた住宅地。東日本の各地でこうした光景が見られた(テレビの映像による)。