大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2016年12月20日 | 写詩・写歌・写俳

<1817> 余聞・余話 「続・ネット社会に思う」

        我らみな何処に向かひゐるものか時の流れは止まらなくに

 自由自在な情報のやり取りを可能にしたネットの特質について、一つは国境を越えるボーダレスの情報網として、それも瞬時に相方向性をもってコミュニケーション出来るという点、今一つは個人も全体も、即ち、私的も公的も全てをひっくるめてネットの網は情報の満載された状態で活用されているということ。これに前回は触れたが、この特質よりなるネットの影響というものについていま少し考察してみたいと思う。

 このネットの二大特質からなる影響というものが私たちの生活の上に如何に大切かということはスマホが手放せない現代人の生活実態を見ればわかる。言わば、公私に関係なくそのネットの情報はすぐさま自分のものに出来、自分からも情報を発することが出来る。このことをして言えば、これまでの時代と、ネットの時代では社会の仕組みや秩序、もっと大きく言えば、その影響力は世界の仕組みや秩序にも及ぶと言え、現代はまさにそういうネットによる変革の時代に差しかかっていると言ってみても差し支えないのではないかと思われる。

  卑近な例かも知れないが、国家を標榜して出現して来た過激派組織のイスラム国(IS)の台頭や世界各地で発生しているテロなどを思い巡らせてもこのネットの影響は大きい。全世界に及んで個人も全体もすべてをひっくるめて繋がり行なわれているネットによる情報のやり取りというものが、瞬時にそれも相方向性をもって行なわれている凄さが私などには思われるところである。

                                                    

  このような意味においてネットを見れば、ネットはグローバル化の推進役の第一人者と言え、褒賞ものであると言えるが、このことに止まらず、既成の仕組みや秩序では収まり難く、その仕組みや秩序を新しく構築しにかかっている状況がそこここで見られるようになったことが言える。英国の欧州連合(EU)からの離脱は欧州のみならず、世界へ影響を及ぼす出来事であるが、これなどもネットの影響力がその背景にあると指摘出来る。

  米国の大統領選で、予想を覆して民主党のヒラリー・クリントン候補を破って、共和党のドナルド・トランプ候補が勝利した。この件も、ネット時代のネットが既成の仕組みや秩序を壊している結果の現れではないかということが私などには思われる。クリントン候補には本人の不正メール事件が負のイメージとして票の行方に繋がったと言えようが、これにしてもネットの影響に違いなく思われる。要は、良しにつけ悪しきにつけ、前述した二大特質を有するネットの影響がいよいよ大きく、私にはこのネットが既成の仕組みや秩序に対して挑み浸透してゆく革新の時代が見え隠れしているのが感じられる。

  電車の乗客などを見ていると、よくわかるのであるが、片手にスマホを持って、少しうつむき加減にスマホの画面に見入っている。この光景を私などは異様に感じるときがあるが、これが昨今の電車の中の乗客、即ち、大衆の様相になっている。所謂、現代はこの光景が普通に見られるわけで、思えば、あの小さな手のひらサイズの薄っぺらなボックスから立ち上がって来る情報にスマホの御仁は意識を集中し、時間を割いているということになる。中には歩きながらとか車を運転しながらという御仁もいるから、このスマホ、即ち、ネットの影響力は凄い。

  このようなスマホの光景に接していると、更に気づくことがある。ネットが国境を取り払い、ボーダレスをもたらし、グローバルな世界環境を作り上げて来た。所謂、このマクロ的視点に対し、ミクロ的な視点でも言えることが指摘出来る。それは、ネットが常に個(私)を重視する点において成り立っているということで、個々人に比重を置く社会への変革をその反面において成し遂げるべく働いているということである。

  これは米国等が大切にしている自由主義の理念に合致するが、言わば、そこには個人主義の究極の姿が見えると言ってよい。欧米文化に習って来た戦後の日本では、個人主義に基づく核家族化が進められ、現在に至っているが、この核家族の関係も今や怪しくなりつつある。ネットだけの問題ではなかろうが、スマホの使用状況を見ていると、ネットの影響が個人主義の究極への流れを加速させているように思われて来る。言わば、ネットはグローバル化と個人主義の徹底に寄与して今日に至っていることが言える。

  国が導入したマイナンバー制は国民一人一人に番号を振り当てて、国が国民を統括し、一括管理してゆくシステムであるが、これなんかもネットがなくては出来ない制度と言って差支えない。その構築されたシステムをうかがうと、個々人に繋がるネットの特性がよく現れていることがわかる。言わば、マイナンバー制では個人がターゲットであり、これまでの家、つまり、家族を単位の制度から個人へのアプローチが可能になったという次第で、これは社会の仕組みや秩序のミクロ的視点における変革と言ってよい。

  これらを総合して思うに、ネットは個々人のものであり、この個々人のものが全体、即ち、公的にも利用され、その相方向性において混在しているわけで、いろいろと問題も起きて来るという次第である。このよい例には国務長官時代のヒラリー・クリントン氏の国家機密を漏洩した私用メール問題がある。また、サイバー攻撃を受け、公的な機密が奪い盗られたりするというような事件も起きる状況がネットには生み出されている。逆にネット上で秘匿されていた悪事が暴かれるというようなことも起きる。とにかく、ネットはその特質において世界乃至は社会を大きく変えつつあると言って差支えなかろうと思われる。 写真はネットのニュース面におけるトップページ(二十日のパソコンより)。