<1464> 葉 牡 丹
葉牡丹の 昭和を写す その姿
昨年の正月二日は積雪で、寒さの厳しい日だったが、今年は元日からよい天気が続き、日中は暖かく穏やかだった。で、今日は近くの神社に初詣でした。少々風邪気味で、元日は初日の出の写真を撮ったのみで、家に籠って一日を過したため、今日の初詣でとはなった次第である。
町を歩くと、何となく正月の佇まいで、清々しいような大気感があった。道々の門先を見ていてふと気づいたのだが、注連縄のお飾りはそれなりに見られるが、門松のような正月を飾る家はなく、私たちが子供のころのような雰囲気の家は見られなかった。我が家でも同様であるが、そういうところに気を配ることがなくなったと言えるように思われる。
そう言えば、このごろ葉牡丹というものも見ることが少なくなったような気がする。昭和の私が子供の時分は、正月になると、どこの家でも門先などに葉牡丹を植えて飾っていた。中には立派な門松とともに見られた。今では神社にでも行かなければ、門松に葉牡丹というのは見られない。
ということで、冒頭の句を得た次第である。中村草田男に「降る雪や明治は遠くなりにけり」という名高い句があるが、よしにつけ悪しきにつけ時代というものは過ぎて行く。この句は昭和六年、三十一歳の作で、句集『長子』に所収されている。言わば、明治時代から二十年ほど経ったときの句である。冒頭の句はこの草田男の句を念頭に置いて作ったものである。葉牡丹は私にとって昭和の気分を纏っている観葉植物と言える。季語は冬、牡丹菜とも呼ばれる。
葉牡丹の 渦の宇宙に 薄日差す