大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年06月25日 | 写詩・写歌・写俳

<662> 有生君の詩に寄せて

              みんな時を共有して  同じお日さまの下で  生の営みをしている  わたしも あなたも

            ネコがわらっている  それは いいことだ  イヌもわらっている   それも いいことだ

            わたしも あなたも  みんな やさしい心で  いられるというのは   まさしくいいことだ

                                           

 これまで、「私たちはみな時と所の産物である」ということを、ときに触れて言って来たが、これは私の思想のような、考えの根本にある言葉と言ってよい。そして、今一つの考えは、太陽の存在によって私たち生きとし生けるものすべては成り立っているということである。 写真は山の稜線より現れた旭日(イメージ)。

 一昨日(六月二十三日)の沖縄慰霊の日に営まれた「沖縄全戦没者追悼式」で、与那国島の小学一年、安里有生(あさとゆうき)君(六歳)が平和の願いを込めて読み上げた自作の詩は感動を呼んだが、その詩の朗読を聞いたとき、上記の私の考えが思われたのであった。詩の中では、「おともだちとなかよし。かぞくが げんき。えがおであそぶ。ねこがわらう。おなかがいっぱい。やぎがのんびりあるいている。けんかしてもすぐなかなおり」というところが、特によかったと感じられたが、それと同時に、この朗読では、「ああ、ぼくは」の続きのところで考えさせられた。

  「へいわなときにうまれてよかったよ」と有生君は言った。考えさせられたのはここのところである。時と所を得て、有生君は六歳の今、沖縄の与那国島にその生を営んでいる。「へいわなときにうまれてよかったよ」というのは、沖縄戦の悲惨な状況を幼いながら学んで、そのときと今とを比べているわけである。当然のこと、悲惨であった当時よりも平和な今がよいということである。

 有生君は続けて「このへいわが、ずっとつづいてほしい。みんなのえがおがずっと、つづいてほしい。へいわってすてきだね」と読み上げた。先生の筆が添えられたようなところも感じられなくはなかったが、素晴らしい詩の朗読だった。

 言わば、「へいわなときにうまれてよかったよ」という言葉は、国家運営の面で言えば、「現憲法のもとに生れて来てよかったよ」というに等しいことが言えるわけで、「このへいわが、ずっとつづいてほしい」というのは、「現憲法のもとでこれからもずっと暮らして行きたい」ということに通じる。この言葉は現憲法の実績を言うものにほかならず、小さな子供の詩に現われた言葉ゆえに、かえって考えさせられるのである。

 安倍政権になって、改憲への動向が顕著になって来ているように思われるが、戦争に加担することが出来るようにする改憲だけは避けるべきであることを、この有生君の詩によって改めて思った次第である。現憲法と前憲法を比べてみれば、この詩の訴える意味がわかる。前憲法の実績が如何に惨憺たるものであったか。ここのところを有生君の詩は訴えかけているとみるべきである。子供の詩でも、当を得たものであるならば、大人であっても真をもって耳を傾けるべきである。

  この日、営まれた「沖縄全戦没者追悼式」の戦没者も、戦火に苦しんだ人たちも、言ってみれば、前憲法の実績に含まれる。戦前と戦後のどちらの憲法の実績が汲まれて然るべきか。「へいわなときにうまれてよかったよ」という有生君の言葉はやさしくも、強く大人の思惑の事情を打つ。「負うた子に教えられ」とはこのことであろう。改憲して、前憲法に近づけ、戦争をやりやすくするなどは決して国民が望む国家運営の在り方ではない。平和に勝る国家運営はない。

 如何なる正義に立った戦争も戦争には多大な戦禍が生じ、悲惨な状況は免れ得ず、それが自分でなくても、同じお日さまの下に生を得ている生きとし生ける人間の上に生じることであることを思えば、やってよいわけがないということになる。ましてや、正義などというのは自分本意に主張せられることを思えばなおさらのことと言ってよい。

  有生君が言う「おともだちとなかよし。かぞくが げんき。えがおであそぶ。ねこがわらう。おなかがいっぱい。やぎがのんびりあるいている。けんかしてもすぐなかなおり」という、まだまだあろう。このかけがえのない平和な光景を壊しにかかるような戦争が安易に出来るような憲法にする改憲だけは決してさせてはならないと言ってよい。

 

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年06月24日 | 万葉の花

<661> 万葉の花 (97) ぬなは (蓴) = ジュンサイ (蓴菜)

       星の数 ぬなはの花の 小池かな

     わが情(こころ)ゆたにたゆたに浮蓴(うきぬなは)辺(へ)にも奥(おき)にも寄りかつましじ                  巻 七 (1352) 詠人未詳

 集中にぬなは(蓴)の登場する歌はこの歌一首のみ。巻七の譬喩歌の中に「草に寄す」と題してある歌群の末尾に見える歌で、自分の心情をぬなはに喩えている女性の歌であるが、このぬなは(蓴)がどんな特徴を持った植物であるかがわからなければ、歌の理解も十分に出来ないところで、まず、このぬなは(蓴)について見ることにする。

  ぬなは(蓴)は『倭名類聚鈔』に水菜類として「蓴 沼奈波」とあり、『新撰字鏡』と『本草和名』に「蓴 奴奈波」と見え、「水菜」とあるので、「蓴菜」ということになる。「蓴」は漢名で、チュンと言い、これがジュンに訛り、「じゅんさい」と言われるに及ぶわけで、これが現在のジュンサイに当たり、当時から食用にされていたことが言えるわけである。

                  

  ジュンサイはスイレン科の多年生水草で、『大言海』によると、「古名、ぬなは。水草ノ名、池沢等ノ中ニ生ズ、葉ノ形、楕円ニシテ深緑色、厚クシテ光ル、茎ハ、葉ノ中央ニ附ク、葉ハ水面ニ浮ビテ、根ハ水底ニアリ、故ニ、茎、長クシテ、蔓ノ如シ、茎ト、葉ト、背トニ、涎アリテ、氷ノ如シ、嫩葉(わかば)ハ、巻キテ、荷(ハス)ノ巻き葉ノ、小サキガ如シ、春、夏ノ間、採リテ、食フ、夏ノ末、花ヲ開ク、細辦ニシテ、紅紫ナリ」とある。

  言わば、ぬるぬるとした葉と長い茎を有し、『大言海』に「滑(スル)之葉ノ義ト云フ。或ハ云フ、滑(ヌル)縄カト」というがごとく、沼の縄と見なしてこの名がつけられ、昔からこの茎縄を手繰ってジュンサイの若芽を採取した次第で、この根と葉を繋ぐ長い茎の姿によってこの1352番の歌はある。

  そこで、この歌であるが、「ゆたにたゆたに」はゆらゆらと揺れる意で、歌の意は「私の気持ちは浮いたぬなは(蓴)のようにゆらゆらと揺れて定まらず、岸辺にも沖にも行き兼ねて迷っています」というほどになろうかと思われる。所謂、長い茎をもってぬなは(蓴)の葉があちらに動いたり、こちらに動いたり、揺れ動くその光景に自分の揺れる思いを重ね合わせたのである。

  「ゆたにたゆたに」の状況はそのぬなは(蓴)の水面における微妙な動きにあると言え、この比喩の歌の情景描写にこの微妙な動きが役立てられているわけである。このぬなは(蓴)という水草の特性を知るにつけ、この歌の比喩歌としての巧みさがわかる。なお、この万葉歌と同じような蓴(ぬなは)繰りの歌が記紀の応神天皇の条にも出て来る。記紀の場合も「ぬなは(蓴)」を女性に見立て、男性の歌としてあるのがわかる。

  写真は宇陀市の勾玉池で撮影したもので、十五年ほど前まではヒツジグサが池の一面に生えていたが、ヒツジグサと入れ替わるように五年ほどの間にこのぬなは(蓴)のジュンサイが池面を被うようになり、今はセイヨウスイレンと池を二分する勢いで繁茂しているのが見て取れる。右端の写真は水面に浮き上がって来た長い茎。万葉の歌はこの茎をもって詠んでいる。ただ、このぬなは(蓴)のジュンサイは、ヒツジグサほどではないが、生育に適した池や沼が少なくなり、大和における野生のものは絶滅危惧種にあげられるほどになっている。

 

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年06月23日 | 万葉の花

<660> 万葉の花 (96) あざさ (阿邪左)= アサザ (荇)

        万葉の 花を誇りに あさざ咲く

 うち日さつ 三宅の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏み貫き 夏草を 腰になづみ 如何なるや 人の子ゆゑそ 通はすも吾子  諾(うべ)な諾な 母は知らじ 諾な諾な 父は知らじ 蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に 眞木綿(まゆふ)持ち あざさ結ひ垂れ 大和の 黄楊(つげ)の小櫛を 抑へ挿す 刺細(さすたへ)の子 それそ吾が妻                                     巻十三(3295) 詠人未詳

 原文で阿邪左と表記されているあざさは、『倭名類聚鈔』(平安時代)に「荇菜、莕菜、叢生水中、葉円在茎端長短随水深浅者也、阿佐佐」とあり、『類聚名義抄』(同)には荇、莕が蘅の俗字で、「あざさ」と読み、菜名であると言っている。

 以上の説明を合わせてみると、「あざさ」は「荇」で、現在のアサザをいうものであることがわかる。で、その名は「いよいよ」を「いよよ」、「はらはら」を「はらら」というがごとく、浅いところに生える「浅浅菜」の「浅浅」(あさあさ)を万葉当時は「あざさ」と言い、平安時代以降は「あさざ」と清濁を逆にして言ったことになる。

                                             

  アサザはリンドウ科の多年生の水草で、水深の浅い池や沼地に生える。長い葉柄によって基部が心形になった円形に近い葉を水面に浮かべる。その葉腋から花柄を出し、夏から秋にかけて直径三、四センチの花冠が五深裂した鮮やかな黄色い花を上向きに開く。花は水面のそこここに次々と咲き出すので花の時期にはよく目につく。

 『万葉集』に「あざさ」のアサザが見える歌はこの長歌一首のみで、この歌がアサザを万葉の花に加えさせているわけである。その歌というのは、父母と息子の問答形式になった相聞の歌で、まず、父母が「うち日さす三宅の原を直に踏みしめ、腰までもある夏草に難渋しながらそんなにまでして逢いに行く娘とはどこのどんな娘なんだい」と息子に問うと、息子は「そう言われるのはごもっともです。お母さんもお父さんもご存じないでしょう。私が通い詰めている子は、黒い髪に木綿であざさの花を結んで垂らし、大和のツゲの小櫛をおさえにして挿す愛らしいそんな子です。その娘は」と答え返すというものである。

 三宅の地名は多く、当時も各地に見られたようであるが、この歌に登場する三宅は現在の奈良県磯城郡三宅町に当たるというのが定説になっている。三宅町は大和平野のちょうど真ん中に位置し、田園地帯に当たるところで、当時は原っぱが広がり、池や沼地が多く、あざさのアサザもそこここに生えていたことがこの長歌からは想像出来る。また、当時、若い娘がアサザの黄色い花を髪飾りにしておしゃれをしていたことも思われる。

 アサザは本州、四国、九州に分布し、「菜名」であると言われているように、当時は食用にされ、身近に接していた水草であるのがわかるが、最近の大和では自生するものが少なくなり、野生は極めてまれで、『大切にしたい奈良県の野生動植物』(2008年の奈良県版レッドデータブック)には、絶滅寸前種としてあげられ、保護が呼びかけられている。

  因みに、三宅町ではこの3295番の万葉歌に因み、アサザを万葉の故地である歴史に合わせ、町の花に指定して、町のそこここにアサザを増やし、美化キャンペーンの一環に役立てている。 写真は黄色い花を咲かせるあざさのアサザ。なお、アサザは花が鮮やかでよく目につくので、目立たない同じ水草のジュンサイに比して、ハナジュンサイの別名でも呼ばれる。

 

 


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年06月22日 | 創作

<659> 掌編 「花にまつわる十二の手紙」 (11) 合歓木 (ねむのき)     ~<658>よりの続き~

      合歓の花 薄暮どきのほのかなる 思ひのそれや 今に至れる

 もうすぐ祇園祭りですが、見物を兼ねて、一度会っていただけたらと思い、手紙を認めている次第です。あなたのことはお母上から多少うかがっています。「いい人がいたらお願いしますね」と言われたりしていますので、私の話をお聞きになったらびっくりして反対されるかも知れません。初婚のあなたを思うと、なおさらのことで、私の言っていることは無茶苦茶かも知れません。それはよくわかっています。

  駄目なら駄目でいいという思いです。いい歳をして勝手なことをと言われても仕方のないことです。しかし、この思いは、あなたのほかに、誰に打ち明けることも出来ません。ですので、ここにこうして告白している次第です。私にとって、あのときのあなたがあなたの全てです。ほかに求めるべきものは何もありません。あのときのあなただけです。

                                    

 それにしても、再婚というのは、単純には行きません。世間体などはどうでもいいようなものですが、家の中がうまく行くかどうか、このこと一つに、二人だけでなく、周囲をも巻き込んで考えさせられます。私は、私が全てを背負って行けばいいと思っていますが、あなただって、私と結婚するとなれば、自分が全てを心に納めて行けばいいと、そう思われるでしょうし、子供たちは子供たちで、それなりに考えを巡らせることになるでしょう。

  しかし、いくら考えても、先のことはわからないのですから、今を見る意外にありません。その今のあなたが私には全てです。人間そんなに変わるものじゃあないと、私は思っています。あのときのあなたは、誰を意識するでもなく、とても自然に感じられました。だから、私はあのときのあなたがあなたの全てだと思っています。全てがおかしいと思われるなら、全てに通じると言えます。

 小さいものたちもよくわかっているはずです。しょっちゅう会っていなくても、わかるものにはわかるものです。子犬のようにじゃれついていた二人の姿が何よりの証です。あなたの年齢については、亡き妻に近く、私とそれほど離れてないのが、かえってあなたを嫌な気持ちにさせはしないかと気がかりです。初婚なのに、年齢が後添えを強いるというようなことで、あなたのプライドを傷つけるのではないかということです。私にそんな考えはいささかもありません。もっとあなたと年齢が離れていても、あなたへの思いは変わらないと思います。

 亡き妻については、私の心から消えることはないでしょう。しかし、このことで、あなたを厭な思いにさせたり、煩わせるようなことはないと思います。私は、義母の味方を得て、あなたのことについて、臆病になってはいけないと思うようになりました。どうか、小さいものたち、あの子たちの母親になってはいただけないでしょうか。

 この手紙を読んで、あなたが負荷を感じ、心を重くなさるようなことのないことを願って止みません。私は祭りの日を楽しみにしています。あなたにとっても楽しみな日であることを祈るばかりです。お母さまによろしくお伝えください。あなたの気持ちをお聞きした後、あなたが私の思いを叶えてくださるなら、後日、お母さまにお会いして御挨拶したいと考えています。

 あなたの気持ち、あなたの都合がどんなものか、お聞きすることなく、一方的にお便りしているわけで、勝手気ままなことはよく承知しているつもりです。しかし、これも恋したものの心がなせるものであることをお含みおきいただければ、何よりです。

 それでは、七月十七日午前九時、天候にかかわりなく、四条河原町の高島屋の正面入口でお待ちしています。お気持ちもお聞きせず失礼とは思いますが、勝手に決めさせていただきました。ご都合が悪ければご連絡ください。長々と書いてしまいましたが、手紙の力を借りなければならない小心をお察しください。まずは、お便りまで。                                                     敬具

この手紙は四年前に妻を亡くした私大の准教授である桐生敏彦(43)から亡母の友人の娘久永芳子(39)に当てて出された結婚申し入れの手紙である。


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2013年06月21日 | 創作

<658> 掌 編 「花にまつわる十二の手紙」 (11) 合歓木 (ねむのき)

            相ひ見ての後の心に貴船川 合歓の花咲く薄暮(かはたれ)の宿

 敬具、緑が一段と深まり、雨が情趣を引き立てる今日このごろですが、あなたにお会いした日のことが思い出されます。いつか切り出したい、いつか切り出したいと思いながら、踏み切ることが出来ず、私の胸一つに仕舞って、今に至っているわけですが、小さいものたちが、あなたにまつわりついて離れずにいたあの日の光景が、眼の奥に焼きついて今も離れずにいます。どんなに言ったらいいものか、私はこの歳になって、また、人を恋してしまいました。

  このような気持ちになったことについては、何か運命的なものを感じています。あなたのお母さまと親しくお付き合いさせていただいた私の母が他界して十年。お母さまは母が亡くなってからもよく私の家に来られ、母の話をしておられました。亡き妻もあなたのお母さまには親しくしていただきました。あの日が初対面でしたが、あなたのことはときおり話に聞いていましたので、全く知らなかったわけではありません。

 あの日は、そちらの方面に小旅行をしようということで、出かけたもので、取り立てて用事があったわけではありませんでした。近くまで来ているので、ご挨拶と思い、電話をさせていただいたわけです。そうしたら、お母さまから「是非いらっしゃい」というお言葉があり、そのお言葉に甘えた次第です。

                                                            

  あなたもご存じでしょうが、妻を亡くしたのは四年前。義母に助けられながら、この三年余、曲りなりにやって来ました。母親のいない子がときにはかわいそうに思えることもありますが、小さいは小さいなりに自分の状況を飲み込んでいるみたいで、案外平気にしているようなところも見受けられ、他所の子と比べるようなこともなく、安心していたきらいがあります。それは、私の一人合点に違いないのでしょうが、そう思っていままでやって来ました。

  昨年のちょうど今ごろ、お宅に伺ったとき、子犬がじゃれつくように、小さいものたちがあなたにまつわりついて離れずにいるそのあなたの背がふんわりと温かく見えたとき、私の心に火が点いたのです。小さいものたちは、近くに住まいしている義母を母親代わりに生活して来ました。義母はよくしてくれますが、今までに、あんな光景を見たことのない私には、それがとてもほのぼのと感じられ、胸の奥であなたと観音さまがダブったのです。そのときの気持ちは何とも言えないものでした。

  あの日は、その光景が頭から離れず、あなたのことばかり思っていました。家に帰ってからもずっとそのことばかり。そうしたら、夜、小さいものたちが眠った後、あなたから電話をいただき、あなたの心遣いが、いよいよ私の心の火に油を注いだのです。あの日は車でしたので、本来なら、こちらから無事に帰着したことをお知らせしなければならなかったのに、心配して電話をくださったあなたの親身に、私はあなたへの思いを決定的にしました。それからずっと、この気持ちを胸に、いつ切り出そうかと思っていたのです。

  この間、家族三人で出石までバスの日帰り旅行をしたのですが、バスの窓からネムの花が咲いているのを見て、上の公一郎が、お宅に伺ったとき、貴船川の近くの宿の傍に咲いていたのを言い出し、あのときの光景がありありと浮かんで来て、また思いをつのらせることになりました。私があなたに対して思い描いていることについて、義母に話したところ、「いい話だと思うけど、あちらさんはどうでしょうね」と、賛成してくれました。あの子たちにはまだ話していませんが、大きな味方を得たような気がして、お便りをした次第です。あの子たちも、この件についてはきっと承知してくれると思います。   ~ 次回に続く ~