<511> 後鳥羽院と源実朝
かたや萩 かたや菊花の そのこころ まして思ふに うつろふところ
後鳥羽院に触れたので、院に因縁の浅からなかった鎌倉幕府の三代将軍源実朝と院の歌を比較してみるのも意義のあることではないかと思われ、試みてみた。時は貴族から武家への権勢移行の時代で、その時代の流れに呑み込まれていった二人であったが、その二人の歌の比較の眺めは、個人的な人間関係のみならず、権勢の行方を加味した当時の時代様相を含むもので、興味が持たれるところである。まずは、両者の花を詠んだ代表的な歌をあげてみたいと思う。
白菊に人の心ぞ知られけるうつろひにけり霜もおきあへず 後鳥羽院
萩の花くれぐれまでもありつるが月出でて見るになきが儚さ 源 実 朝
菊と萩。この花に寄せる院と実朝の思い。殊に院の菊への執着は強く、今日皇室が用いている菊花紋は院に発していると言われるほどである。で、この歌における二人の思いは何か似通うものがあるように思われるが、気質の違いがあるように感じられる。二人とも同時代の頂点にあって、国を治める立場にして、その思いを歌にも託しているわけであるが、ほかの歌にも気質の違いが見て取れる。一方が天皇、一方が将軍という違い。都会人と田舎人、その自信とコンプレックス。比べれば、そんなところも見え隠れする。しかし、一口に言えば、気質の違い。これが言えるように思われる。
先人に影響を受けるということは誰にもあるが、受ける側の資質や環境によって受け取り方の異なって来るのは当然で、先人の歌に込められた恋の条におけるところの同じ歌枕の下野の名所、室(むろ)の八島を詠んだ歌にも、院と実朝の違いが見て取れる。
よそふべき室の八島も遠ければ思ひのけぶりいかがまがはん 後鳥羽院
ながむればさびしくもあるか煙立つ室の八島の雪の下もえ 源 実 朝
託すべき煙は同じ煙でも、煙に対する心持ちが違う。それが歌にも顕現している。二首を比較し、その心持ちを思うに、矛(能動)と盾(受動)ほどの違いが感じられ、二人の立場と気質の違いがわかる。もっとはっきりした例で言えば、以下の歌をあげることが出来る。一読、その違いは歴然である。
我こそは新島守よおきの海の荒き浪風こころして吹け 後鳥羽院
時によりすぐれば民のなげきなり八大龍王雨やめたまへ 源 実 朝
この二首には天変に対する歌であるという共通点があるが、歌の様相は、院の方が天を従える気息をもって詠まれているのに対し、実朝の方には天に祈りを捧げる気分が見える。つまり、支配と従属。二人の人柄を思うとき、この相違は実に大きい。院は配流の身となり、実朝は暗殺され、二人とも悲劇の人になるが、悲劇はそれぞれが持つ気質に絡められていった結果と言ってよく、その異なる気質が二人の命運にも現れたような気がする。
実朝と 院においての 関はりに 時は冴えつつ 過ぎしを思ふ
院は文武両道に秀でた人物と言われ、都にあって武士の台頭著しい鎌倉を抑えんとし、実朝を調伏したという伝説の持ち主で、後に承久の乱を起こして鎌倉方と戦い、これに敗れて隠岐に流される身となるが、絶海の孤島にあっても歌に執着し、『新古今和歌集』を捻りに捻って削除精選を行ない、隠岐本『新古今和歌集』をなすに至った行動の人であった。
一方、実朝は鎌倉にあって、兄の頼家同様、意にならない政治的状況に置かれ、院による調伏という憎しみの的にありながら、都にあこがれ、藤原定家に歌を習い、「山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」というような院への忠誠の歌も作って、位階に執着する一方、船を造らせて渡宋の計画を立てるなど、逃避的行動にも出る暗い予兆の中で、甥の公暁によって暗殺され、二十八歳の若さでこの世を去る温和で純朴な性格の持ち主という印象が強い。
院の新島守の歌は隠岐配流後の作であることは言うまでもない。中には「夕暮のそらだのめせで来る雁をわが思ふ人と思はましかば」というような弱気な気持ちを吐露するような歌もないではないが、孤島に配流され置かれた環境の激変は筆舌の及ぶところではなく、その心境を思えば、院にしてすら、と、その身の置きどころが思われるということになる。
釈迢空は帝王の歌を「至尊風」と呼んだが、院の歌はまさに迢空の指摘する通り、その調べはどっしりとして格調の高い男歌の典型と言ってよい。では、実朝の歌はどう言えばよいであろうか。万葉調の益荒男的歌もないではないが、それは勉強の結果によるもので、実朝生来の気息によるものではなく、真似歌の域を出ないもののように思われる。で、萩の花のような歌が実朝本来の調べではないかという気がする。今一つの比較を見ると、以下の歌が思われる。
人もをし人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑにもの思ふ身は 後鳥羽院
世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも 源 実 朝
この二首は定家の『小倉百人一首』に採られた歌で、実朝の歌の「海人」を本人の比喩と見なして読むと、両歌ともこの世を思う為政者の心情というものが浮かび上がって来るのがわかる。ともに思いはままならず、そこに歌は成立しているのであるが、なお、思いに悶々とする院に対し、悲しいと歎く実朝の違いが見える。まさに、選者定家の鋭い感覚の冴えが示されているところである。
このように、二人は、権勢の頂にありながら、立場の違いと異なる気質によって運命的な確執を持ち、歌という共通の表現方法を用いて世に問うところとなったわけであるが、その心のありようをうかがえば、例えば、かたや萩、かたや菊の花に寄せるその心が思われて来る次第である。ましてや、その移ろう花を思えば、冒頭にあげた二首は、院の「白菊」が二十歳、実朝の「萩の花」が二十二歳の作で、悲劇に傾斜してゆく二人のそれぞれの行く末を暗示しているかに受け取れるのである。 写真は左が菊花。右が萩。