<104> 冬 の 月
思ふ身の ここに一あり 冬の月
写真の月は一九九七年の十二月十五日に撮影した斑鳩三塔の法起寺三重塔にかかる夜明け前の月である。これは満月であるが、これより遅れる十六日以降の月を有明の月と言い、辺りが少し明るくなる時刻に月がこの位置にかかる。 有明の月と言えば、何と言っても次の歌がある。夏の月ではあるけれども、切々として感じられるところがある。
ほととぎす鳴きつる方を眺むればただ有明の月ぞ残れる 藤原実定
この歌は『千載和歌集』に初出し、『小倉百人一首』にも選ばれた歌で、 歌の眺めは私たち現代人にも容易に想像出来る。しかし、武家が台頭し、 公家が衰退していった平安時代末期に後徳大寺左大臣と呼ばれ、公家の名門であった実定の歌であることを考えると、このほととぎすは、単に夏を告げる渡り鳥というだけではなく、また、月も単なる月ではなく、ほととぎすも月も深い精神的な意味を持っているように思われる。
ほととぎすを公家の面影とすれば、 月は時代 を越えてある不変の存在であると言えようか。つまり、この歌は衰退を宿命づけられた公家の立場にあって詠まれたもので、月は実景に違いないが、実定の心象に思いを致して鑑賞するのがよいように思われる。平清盛が福原遷都した後、旧都を訪れ、異母姉の御所で詠んだ即興の歌とともに心のうちのその思いが彷彿とされる一首である。
ふるき都を来てみれば
浅茅が原とぞなりにける
月の光は隈なくて
秋風のみぞ身にはしむ
これがその即興の歌で、『平家物語』が伝えるところであるが、 感性の人実定の心象をうかがうことの出来るものと言え、前述の一首にも重なる。 つまり、移りゆくのは私たち人であり、月は変わらず、隈なく照り、秋風は巡る季節に吹きすさぶ。 これを如何に感じ、 如何に思うかであるが、それは人であり、私たちなのである。
激動の時代であった平安時代の末期は人々の思いも揺れ動いたであろうことは歴史が伝えている。 そして、 その激動に翻弄されながら貴族と呼ばれた人たちは月に癒しを求めたのである。で、この時代の短歌は殊に哀れへの傾斜が強く、悲の器の趣をもってあったと言える。月の歌では次のような歌もある。
なげけとて月やはものを思はするかこち顔なるわが涙かな 西 行