<99> ヤツデの花
八手咲き 今年も終ひ月となる
今年もいろいろとあったが、何と言っても災厄の年であったという印象が強い。 3・11の東日本大震災はもちろんのこと、紀伊半島の台風十二号による豪雨被害も甚大で、印象に残る。 ハード面における被災地の復旧は徐々になされているが、 当事者にはもっとスピーデイ―にという気持ちがあるのではなかろうか。
この大災害は 多くの人のものの考え方を変えたと言われるが、付随的に起きた福島第一原発の事故は深刻極まりなく、未だに見通しすら立っていないのが現状で、 科学による文明の進歩に恭順であった私たちに問いを投げかけ、将来への進む道を見直させることになった。
言ってみれば、今年は悲しみに沈んだ一年であったが、 前向きに考えれば、 私たちには昔からこうした災害列島に住まいしているわけで、絆や思いやりといったことを確認し、反省と忍耐と勇気と智慧と努力といった 日本人が 持つ底力というものを目覚めさせることにもなった。
このように、列島は大震災をはじめとして、 大困惑の年だったのであるが、 国民の意に沿わない官僚本位(主導)の 政治状況の虚しさに加え、大王製紙前会長やオリンパス上層部による巨額不正などの事範が怒りに追い打ちをかけるありさまで、列島に身を置くものには、総じて、身も心も八つ裂きにされる思いの年であったと言える。
億単位のお金はどこに消えたのだろう。儲けて余り返ったお金を金融ゲーム (博打遊び) に使うという金余りの現象と被災地の追い詰められた生活実態のあまりの落差に怒りを通り越すほどである。 それほどの余裕があるのなら、もっと社会に還元しろと言いたい。税の優遇措置なども受けているとすれば、いよいよである。 こういう輩が、 意識されないうちに日本のイメージをよくない方へ向かわせている。
つまり、この金融事件は単なる遊びでは済まされない問題を孕んでいる。事件は貧富の差の現われの一端を露呈しているが、 貧富の差がいかなる社会状況を生むかという点にあまりにも無頓着過ぎるように思われる。来年も期待の持てない政治情勢に、悲しいかな、 列島は不安のただ中から抜け出せそうにない。 悲観論で俳句などは作りたくないのであるが、これが私たち庶民の心持ちである。では、今一句。 八手咲く 八手の八つ裂き なる日本