<21> 塔
人生は悲願と祈願
塔はその象徴だ
真っ直ぐに天を指し
天に向かって立つ
塔の精神性
塔の縁者たる
見上げるものたち
私たちの意志に
今日も相輪は見える
とまどうことなかれ
悲願と祈願を込めて
見上げながら行こう
人生とは悲願を抱き、祈願しつつ歩み行くものである。 人生の道は試練の襲いかかるのが通例であるが、そういうときは、 悲願を見失わず、祈願を込めて越え行くこと。それが求められる。そして、 越える先に彼岸の光明が見えて来ることを思い、 このことを信じて私たちはこの道を行く。
塔は人生の悲願と祈願の現われであり、象徴であって、天の光明を指して行く私たちの意志を示すものにほかならない。 私たちにとって天は悲願の在処であり、この天を司るのが太陽神の日輪であることが察せられる。この天と私たちの間に塔はあり、その接点に塔の相輪はある。日輪はどこまでも輝き、 私たちは眩しくもその輝きにあこがれながら悲願を抱いて歩み行くのである。
日輪はときに雲に隠れ、 私たちは自失に襲われるのであるが、 なお塔も相輪も天を指し、その意志を示す。 そして、この写真のように相輪に託した願いが叶えられて日輪を得たと思うようなこともある。しかし、それは幻影に過ぎず、真の日輪はなお高い位置にあって眩しく輝き、私たちを照らしているのである。
これこそが人生の姿であり、 この世の様相であって、満身創痍、自失しているものも、 自分の思いを得て有頂天になっているものも、平平凡凡と過ごしているものも、すべてこの天の下に居をもって人生を歩んでいるということである。だから相輪に託す願いはすべてのものにあって意味を持つ。で、今日も相輪は天を指して見えるのである。 写真は日の出の際で、四〇〇ミリレンズを使用して撮影したものであるが、 どこの塔で、いつの時期に撮影したかはあえて言わずにおこう。