<3796> 写俳二百句(139) ウメ
梅みのる天神さんのゐます国
ウメと言えば、一つに「東風吹かばにほひをこせよ梅に花主なしとて春な忘れそ」の菅原道真が想像される。道真は神童の誉れ高く、学問に秀で、政治にも能力を発揮して右大臣にまで昇進した。が、地位を脅かされる立場にあった左大臣藤原時平の讒訴によって太宰府に左遷された。道真はウメをこよなく愛していたと言われ、太宰府に赴くに当たって「東風吹かば」のこの歌を詠んだ。
道真は太宰権帥として太宰府に幽閉されるごとくあって、二年後その地で亡くなった。享年五十九歳。道真の死後、都では異変が起こり、まず、讒訴した時平(三十九歳)が亡くなり、左遷の宣旨を出した醍醐天皇と皇太子も相次いでこの世を去り、当時の人々は道真の霊の祟りであるとしてこれを恐れ、京都・北野の地に祠を建てて道真の霊を祀った。これが北野天満宮(京都市上京区)の始まりと言われ、道真は怨霊の神として祀り上げられることになった。

当時は専ら怨霊鎮めの意をもってあったが、学問に秀でた道真だったため後世の人々は学問の神として崇めるようになった。昨今では受験生の参拝者が多く見られるパワースポット的な神社に至っている。天満宮では道真が愛好したウメに因んで、神紋に梅花紋を用い、境内には多くのウメの木が植えられている。
北野天満宮と太宰府天満宮を総本社に天満天神社は全国津々浦々に、小さな祠を含めれば、数えきれない数に及ぶところ、神になった道真は「天神さん」の愛称で親しまれ、怨霊を超えて広く崇められるようになって今に至っているという次第である。
この怨霊神の精神(思想)は道真に始まったわけではなく、『古事記』の神話にして既に見える。天界を追われた荒ぶる神、須佐之男命がまさに怨霊神の初源で、須佐之男命を祀る京都・八坂神社の真夏の祭礼、祇園祭りがそれをよく物語っている。
祭りは命の霊によって起きるとされる祟りの禍(災害)がなく、平穏に過ごせることを祈願して民衆(町衆)の主催により行われるもので、命の霊を慰める鎮魂の意によっている。ほかにも日本の歴史上には大小雑多な怨霊の話が数多あり、このような死者の霊魂に関わる思想は災害の多い自然環境の国柄と相まって日本の精神文化の一端として捉えることが出来る。
稔るウメの実を見ながら、「東風吹かば」の道真が思われ、怨霊神における日本の精神文化にまで思いが及んだ。冒頭の句にはこの意を込めたつもりである。なお、太宰府天満宮の拝殿前庭に見られる飛梅は道真を慕って京から飛んで来たという謂われにあるが、いつの時代にか道真フアンがそういう話の設定により持ち来たったのであろうと想像される。そう解釈してもこの飛梅の景観は麗しい。
梅の実や日本カルチャー天神さん
蛇足かも知れないが、ウメの実には堅い核があり、核の中には有毒物質が含まれているので「梅を食うとも核食うな、中に天神寝てござる」という諺がある。ここにも道真の天神さんが見えるわけであるが、天神は核の中で未来に希望を持って存在する種子に重なる。有毒で手出しの出来ないようになっているのはその種子を守るためであろう。 写真は枝木で熟し始めたウメの実。