<3835> 写俳二百句(150) サルスベリ
百日紅母の腕に抱かれし児 百日紅(ひゃくじつこう)

サルスベリと言えば、私には母への思い入れがある。私の誕生日は八月七日。旧暦の七夕に当たる。母は私をお腹に抱え、臨月まもない盛夏の七月を懸命に凌いだ。私が一年の中で、もっとも苦手な月が七月だということは、苦しんだ母と母胎の私の以心伝心に違いないことは以前に触れた。
このことを踏まえて思うに、母が私を生んだ我が故郷の家は、昔の田舎風の家で、田の字の間取り、南が縁側になっていた。仕切りの襖を外すと広々として見え、夏には襖の後に涼しいレースや浴衣地のさらっとした暖簾を下げた。暖簾は開け放たれた家の中を通り抜ける青田を渡って来る風に揺れて、夏らしい居心地のよさがあった。夜になると大きなアサの蚊帳を吊って、雑魚寝をした。
我が誕生日の八月七日前後は暑さの盛り。故郷の家は地道と広い田一枚を隔てて築地を廻らせた柴田家(柴田錬三郎の実家)の邸があって、築地の南東隅に一本のサルスベリが植えられ、毎年このころになると淡紅紫色の花を咲かせ始めた。
サルスベリは百日紅(ひゃくじつこう)とも呼ばれるように、「散れば咲き散れば咲きして百日紅」(千代女)の句のごとく長い期間花が見られる。という具合で、我が故郷の家からは青々と育ち行く水田の先に、そのサルスベリの咲く柴田家の築地の庭が見えた。
私を産み上げた母は、その大仕事の後の安堵感にあって、私を腕に抱きながらこの淡紅紫色のサルスベリの花に心を和ませたに違いない。私にとって七月は苦手な月であるが、私の誕生を祝福するがごとくに咲いていたサルスベリの花を思うに、ほのぼのとしたイメージは今も、そのときの母に重なって来る。では、いま一句。百日紅母とこの身の抒情質 写真は満開のサルスベリ。