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大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

日ごろ撮影した写真に詩、短歌、俳句とともに短いコメント(短文)を添えてお送りする「大和だより」の小筥集です。

大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2022年07月22日 | 創作

<3837> 写俳二百句(151)  歳時記夏編季語の旅

            拾い読む歳時記夏編こころ旅

                    

 最近、昔買った角川書店編の合本俳句歳時記を本棚から引っ張り出し、手元に置いて、ときに拾い読んでいる。全部目を通すというわけではなく、好きな季語、気になる季語に誘われ、1000ページほどの今は「夏編」。そのこころ旅。

 今夏はコロナの第七波の鬱陶しさの中、夏風邪を発症。体調の乱れ著しく、思うに任せない絶不調の日々ではあるが、この合本俳句歳時記を励みに、我が「写俳」も続けられている。青息吐息の昨今ながら「写俳」の句が支えてくれている。 写真は手元に置いている角川書店編の合本俳句歳時記(左)とその中ページ(右)。


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2022年07月20日 | 創作

<3835> 写俳二百句(150) サルスベリ

           百日紅母の腕に抱かれし児         百日紅(ひゃくじつこう)

                          

 サルスベリと言えば、私には母への思い入れがある。私の誕生日は八月七日。旧暦の七夕に当たる。母は私をお腹に抱え、臨月まもない盛夏の七月を懸命に凌いだ。私が一年の中で、もっとも苦手な月が七月だということは、苦しんだ母と母胎の私の以心伝心に違いないことは以前に触れた。

 このことを踏まえて思うに、母が私を生んだ我が故郷の家は、昔の田舎風の家で、田の字の間取り、南が縁側になっていた。仕切りの襖を外すと広々として見え、夏には襖の後に涼しいレースや浴衣地のさらっとした暖簾を下げた。暖簾は開け放たれた家の中を通り抜ける青田を渡って来る風に揺れて、夏らしい居心地のよさがあった。夜になると大きなアサの蚊帳を吊って、雑魚寝をした。

 我が誕生日の八月七日前後は暑さの盛り。故郷の家は地道と広い田一枚を隔てて築地を廻らせた柴田家(柴田錬三郎の実家)の邸があって、築地の南東隅に一本のサルスベリが植えられ、毎年このころになると淡紅紫色の花を咲かせ始めた。

   サルスベリは百日紅(ひゃくじつこう)とも呼ばれるように、「散れば咲き散れば咲きして百日紅」(千代女)の句のごとく長い期間花が見られる。という具合で、我が故郷の家からは青々と育ち行く水田の先に、そのサルスベリの咲く柴田家の築地の庭が見えた。

 私を産み上げた母は、その大仕事の後の安堵感にあって、私を腕に抱きながらこの淡紅紫色のサルスベリの花に心を和ませたに違いない。私にとって七月は苦手な月であるが、私の誕生を祝福するがごとくに咲いていたサルスベリの花を思うに、ほのぼのとしたイメージは今も、そのときの母に重なって来る。では、いま一句。百日紅母とこの身の抒情質 写真は満開のサルスベリ。


大和だより ~写詩 写歌 写俳~ 小筥集

2022年07月18日 | 創作

<3833> 写俳二百句(149) 子蟷螂(こかまきり)

            子蟷螂自力にありて花の上

                

 木の枝に産みつけられた蟷螂の卵。茶褐色の卵嚢が越冬して次の年の夏になるとその卵嚢がほぐれ、幼虫が一斉に孵化し、親とそっくりの子蟷螂が次々に生まれ、枝に連なるのを見ることがある。

 その子蟷螂は日が経つにつれて散って行き、中には小鳥の餌にされたりするものもあろう。強運の持ち主だけが多分生き延びる。生まれ立てから親そっくりの不思議。ところが、親の助けや教えなど一切なく、生れ出たその瞬間から自力をもって生きて行かねばならぬ厳しさにある。

 月日が過ぎ、散って行った子蟷螂はどのように食を繋いで来たのか、梅雨明けのころ、大きく育った姿を見かけることがある。完全には大人になり切っていない、どこかまだ幼さが残っている。この間は庭のアガパンサスの花のうてなにいるところを目撃した。花にやって来る虫を待っているのに違いない。

 前脚の二つ揃った大きな鎌はもう十分に機能を発揮できるように思える。子蟷螂はゆっくりと位置を変え、獲物を待つ態勢になった。食なくしては生きて行けない。子蟷螂の自力とその辛抱が思われた。 写真はアガパンサスの花に見える子蟷螂。


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2022年07月16日 | 創作

<3831> 写俳二百句(148) 夏病み

           夏病みや頑張ってゐる齢かな

          

 七月はじめに夏風邪を引いて喉まわりの調子が悪く、かかりつけ医に処方してもらった薬を一週間飲み続けた結果、痰も切れ、咳も止まり、熱も下がってよくなったのであったが、睡眠不足に加え食欲が湧かず、悩ましさが続いている。これを「夏病み」というのであろう。

 後期高齢の齢に基礎疾患、というような我が身にあってコロナウイルスの感染症には気を遣って来た。ワクチンも世間並みにこれまで三回。四回目も七月末に予約済みで、それなりに防御している。夏風邪を引いた関係でこれまで二回抗原検査を受け、二回とも陰性だったが、コロナがまた感染者を増やし始めている。

 それはそれで致し方のないことであるが、この「夏病み」は私の場合、どうも齢から来ているそんな気がする。世の中の出来事にしても、最近はコロナ禍をはじめ、ロシアによるウクライナへの一方的軍事侵攻、この間起きまだ尾を引いている安倍元首相の暗殺事件にしても、人間の世界が普通でない、私の頭ではついていけない異様な光景の連続で、そう言った世の中の状況も心のどこかに沁み込んで影響しているのだろうか。

 以前だったらこうした状況においてもその状況を跳ね返して精神の馬力にして来たような気がするが、これが齢というものであろうか。「夏病み」という言葉が脳裏に浮かんで来て、冒頭の句になった次第。最初は「頑張ってゐる」を「悩み増しゐる」にしたが、気分が暗くなる一方で、斯くのごとくに句をまとめた次第である。 写真は寝床から見た目線の室内写真。

 


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2022年07月12日 | 創作

<3827> 写俳二百句(147) ノウゼンカズラの花の朝

           凌霄や誰もが寿命を生きてゐる    凌霄(のうぜん)

                           

 誰にも寿命というものが与えられているようで、みな生まれてこの方、その寿命を生きている。そして、生きているのがこの世ということ。この世に生まれ来ることも不思議であるが、寿命が与えられているというのもまた不思議なことである。

 安倍晋三元首相が参院選の応援演説中、奈良市において暴漢の銃弾に倒れて亡くなった。そういう大騒動のあった日、私は喉の調子が悪く、高熱と食欲不振が酷く、かかりつけ医の診察を受けた。

   コロナ禍ということで、抗原検査を受け、陰性であったが、解熱剤等を処方してもらい帰宅した。だが、その後も調子がよくならず、安倍元首相の事件も参院選の状況もそういった世間への関心が湧かず、もっぱら自宅での療養に努めた。

   というような次第で、このブログも何とか繋いで、今日の更新となった次第であるが、自分の体力の限界を感じながら、非力の一句で、この場を凌いでいる感なきにしもあらず。人の死を寿命と簡単に言ってよいものではないが、致命的銃弾を思うに、寿命と解するほかない気もする。ノウゼンカズラの咲く二〇二二年の真夏のこと。 写真はノウゼンカズラの花。