<3827> 写俳二百句(147) ノウゼンカズラの花の朝
凌霄や誰もが寿命を生きてゐる 凌霄(のうぜん)
誰にも寿命というものが与えられているようで、みな生まれてこの方、その寿命を生きている。そして、生きているのがこの世ということ。この世に生まれ来ることも不思議であるが、寿命が与えられているというのもまた不思議なことである。
安倍晋三元首相が参院選の応援演説中、奈良市において暴漢の銃弾に倒れて亡くなった。そういう大騒動のあった日、私は喉の調子が悪く、高熱と食欲不振が酷く、かかりつけ医の診察を受けた。
コロナ禍ということで、抗原検査を受け、陰性であったが、解熱剤等を処方してもらい帰宅した。だが、その後も調子がよくならず、安倍元首相の事件も参院選の状況もそういった世間への関心が湧かず、もっぱら自宅での療養に努めた。
というような次第で、このブログも何とか繋いで、今日の更新となった次第であるが、自分の体力の限界を感じながら、非力の一句で、この場を凌いでいる感なきにしもあらず。人の死を寿命と簡単に言ってよいものではないが、致命的銃弾を思うに、寿命と解するほかない気もする。ノウゼンカズラの咲く二〇二二年の真夏のこと。 写真はノウゼンカズラの花。
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