琵琶湖の朝は快晴。比良の山々が一段と紅葉度を増して澄み渡る青空を背に輝いていた。少し寒いけど実に爽快である。
今日は、今回の旅の楽しみの一つが待っている日である。京都在住のiさんに初めてお会いする日である。午後、15時過ぎ美山の道の駅で落ち合う予定にしている。
諸準備完了して、9時40分出発。先ずは山側に向かい坂を登る。京都は山に囲まれているので、美山町(今は南丹市)に向かうには市街地を通らなければならない。それで大原の方から行くことにした。市街地を通らないで行くには、R477を行けばいいのだが、これは恐ろしい山の細道なのでそこを行く勇気は持ち合わせていない。
坂を下り大原を通り抜けて市街地へ。白川通りから北大路通りに入り金閣寺方面を目指す。思ったほど渋滞はなく、順調な車の流れだった。金閣寺近くから山沿いに並ぶ有名寺を幾つか横に見ながら福王子でR162に入る。後はこの道をひたすら北上するだけである。途中高雄を通過したが、紅葉見物の人たちで賑わっていた。紅葉は少し早いかなと思った。
その後は車も少なくなり、運転も楽になるかと思ったとたん、事件(?)が起きた。狭い道なので対向車に気をつけて少し左寄りに走っていたのだが、突然ドーンという衝撃音に驚く。何かにどこかがぶつかったらしい。停車できる場所を探し、車を見て見たら、何とオーニング(日除け)の角がカバーが吹き飛んで剥き出しになっていた。電柱の様な物にぶつけてしまったらしい。外れる心配はなさそうなので、そのままにしておくことにした。相棒には散々油を絞られた。弱点や失敗を責められるのは、嬉しくはない。しかし、当事者でない者には許せない攻めどころなのであろう。とんだ失敗談となった。
気を取り直し、北上を続けやがて美山の道の駅に。たくさんの車なバイクが止まり人が溢れていた。特にバイクの多いのが目立った。まだかなり時間があるので、ここではなく少し先の文化村の方へ行くことにする。
文化村は茅葺きの民家の集落が残されており、そこで今でも暮らしが営まれている。ここを知ったのは、亡き畏友A画伯が描かれた民家の絵を頂いたからだった。白川郷の合掌造りとは違う趣の昔からの暮らしの温かな息吹きがそこにはある。A画伯の絵にもその思いが籠められており、それ以来何度もここを訪れている。紅葉を増した大きな山を背に、庭先に赤い実を幾つもつけた柿の木のある茅葺きの集落は、日本の暮らしの原風景そのものだと思う。3時間ほど秋の日差しの中でゆったりとした気分で過ごす。先ほどの失敗をいい忘れさせてくれる、いい時間だった。
3時半頃道の駅に向かって出発。行ってみると、既にiらしい車が来ておられた。初めてお会いするのだが、やあやあお久しぶりという感じの挨拶を交わす。奥さんもご一緒で、たちまち2家族4人の輪が出来たのだった。
その後はiさんの用意された心尽くしの湯豆腐、我が家が用意したおでんの鍋などを囲んで、なんと23時過ぎまで話が弾んだのだった。旅の話を初め、話題は尽きなかった。それらをここに書くのは無理というものである。旅ならではの嬉しい出会いのもたらしてくれる、至福の時間でもあった。
今日はここまで。
今日は、今回の旅の楽しみの一つが待っている日である。京都在住のiさんに初めてお会いする日である。午後、15時過ぎ美山の道の駅で落ち合う予定にしている。
諸準備完了して、9時40分出発。先ずは山側に向かい坂を登る。京都は山に囲まれているので、美山町(今は南丹市)に向かうには市街地を通らなければならない。それで大原の方から行くことにした。市街地を通らないで行くには、R477を行けばいいのだが、これは恐ろしい山の細道なのでそこを行く勇気は持ち合わせていない。
坂を下り大原を通り抜けて市街地へ。白川通りから北大路通りに入り金閣寺方面を目指す。思ったほど渋滞はなく、順調な車の流れだった。金閣寺近くから山沿いに並ぶ有名寺を幾つか横に見ながら福王子でR162に入る。後はこの道をひたすら北上するだけである。途中高雄を通過したが、紅葉見物の人たちで賑わっていた。紅葉は少し早いかなと思った。
その後は車も少なくなり、運転も楽になるかと思ったとたん、事件(?)が起きた。狭い道なので対向車に気をつけて少し左寄りに走っていたのだが、突然ドーンという衝撃音に驚く。何かにどこかがぶつかったらしい。停車できる場所を探し、車を見て見たら、何とオーニング(日除け)の角がカバーが吹き飛んで剥き出しになっていた。電柱の様な物にぶつけてしまったらしい。外れる心配はなさそうなので、そのままにしておくことにした。相棒には散々油を絞られた。弱点や失敗を責められるのは、嬉しくはない。しかし、当事者でない者には許せない攻めどころなのであろう。とんだ失敗談となった。
気を取り直し、北上を続けやがて美山の道の駅に。たくさんの車なバイクが止まり人が溢れていた。特にバイクの多いのが目立った。まだかなり時間があるので、ここではなく少し先の文化村の方へ行くことにする。
文化村は茅葺きの民家の集落が残されており、そこで今でも暮らしが営まれている。ここを知ったのは、亡き畏友A画伯が描かれた民家の絵を頂いたからだった。白川郷の合掌造りとは違う趣の昔からの暮らしの温かな息吹きがそこにはある。A画伯の絵にもその思いが籠められており、それ以来何度もここを訪れている。紅葉を増した大きな山を背に、庭先に赤い実を幾つもつけた柿の木のある茅葺きの集落は、日本の暮らしの原風景そのものだと思う。3時間ほど秋の日差しの中でゆったりとした気分で過ごす。先ほどの失敗をいい忘れさせてくれる、いい時間だった。
3時半頃道の駅に向かって出発。行ってみると、既にiらしい車が来ておられた。初めてお会いするのだが、やあやあお久しぶりという感じの挨拶を交わす。奥さんもご一緒で、たちまち2家族4人の輪が出来たのだった。
その後はiさんの用意された心尽くしの湯豆腐、我が家が用意したおでんの鍋などを囲んで、なんと23時過ぎまで話が弾んだのだった。旅の話を初め、話題は尽きなかった。それらをここに書くのは無理というものである。旅ならではの嬉しい出会いのもたらしてくれる、至福の時間でもあった。
今日はここまで。