山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

関西・北陸の旅: 第1日

2007-11-12 07:14:35 | くるま旅くらしの話
起床4時半。目覚めは1時半。3時間ほど辛抱して起き出し、外を見るとまだ雨が降っていた。最後の荷物を積み込んで、出発したのは5時20分だった。予定より40分も早かったのは、上出来だった。
直ぐに常磐道に入り、一路東京方面へ。首都高に入り都心をすんなり通って、新宿から高井戸を通過して中央道に入る。途中高井戸付近で同じ進路を反対に向けて停まっている小型トラックがあり、びっくりした!訳がわからない。ニュースだけの話かと思っていたが、現実にそれを見て、目を疑った。気を引き締めて運転するよう、自分に言い聞かす。
八王子を過ぎ、上野原icにて一般道のR20へ。甲州街道である。山あいの集落は朝霧の中に朧気に見えた。雨は殆ど止んでいるようだ。旅は高速道ではなく、一般道に限るようだ。甲州路はまだ少し紅葉には早く、柿の実だけが赤く輝いていた。山道を登り笹子トンネルを抜けると直ぐに道の駅:甲斐大和がある。ここで小休止し、一息入れる。雨模様の天気で、周囲は霞んでいる。
出発の後は、甲府を通り過ぎ道の駅:白州に立ち寄り、野菜などを眺める。買ったのは相棒用の赤飯とパン類少々だけ。白州は名水の里で、道の駅にも水汲み場があるけど、今日は汲まない。
山あいの道を更に走って、茅野を過ぎやがて諏訪に。R20は諏訪にはバイパスがなく、しばらく狭い街中を走る。諏訪湖は見えない。そう言えば今NHKでやっている大河ドラマは信玄についての物語だった。その縁(ゆかり)の地をずーっと通ってきたのだった。しかし今日は寄り道はせず、ひたすら走り抜けるだけだ。
岡谷を過ぎ塩尻峠を越えると、R20は終わり、R19となる。木曽路である。今日はこの道を名古屋に向かい春日井まで南下する予定。再び雨が降り出し、やがて本降りとなった。奈良井の宿もけぶる雨の中だった。木曽路は見事な全山紅葉の中にあった。雨でなければ車を停めて、その大きな景観に浸りたいのだが、残念である。
ずーっと走りつづけて、賤母(しずも)という道の駅で、いい加減な昼食を済ます。内容は書けない。13時10分出発。中津川を過ぎると、名古屋の匂いが急に強まってくる。多治見を過ぎると間もなく春日井である。ここから東名に入り、豊田からの伊勢湾岸道を目指す。
今日は無理すれば東名阪の針インター迄行けるのだが、それは止めて伊勢湾岸道にある刈谷のハイウェイオアシスに泊まることにしたのである。
豊田インター近くになっても伊勢湾岸道の何の案内板も無いので、不安になり、とにかく一旦インターを出ることにした。料理所の人に聞いたら、つながっているとのこと。やっぱりそうかと思いつつ、ナビなし、地図無し(古くて湾岸道が載っていない)を少し反省する。豊田南インターから入ったのだが、結果的には料金的にも正解だったのかも知れない。刈谷ハイウェイオアシスは直ぐだった。15時半到着。ここに泊まるには、かなり早い時間である。今日は日曜日とあってか、かなりの混雑ぶりである。
相棒はスペシャルトイレの写真を撮るのだとカメラを抱えて飛び出して行った。ここにはご婦人用の超デラックスなトイレがあるとか。自分はまだ見たことがない。これからも見ることはないだろう。ここには名古屋名物の一つであるえびせんをはじめ、たくさんの魅力的な食べ物があるらしく、相棒は張り切って何回か買い出しに出掛けて行った。その結果、夕食と言えば、竹輪、シュウマイ、餃子、豚まん、ういろう、それにえびせんを、我が家の菜園で採れたのを大量に持参したチシャにくるんでつまむと言う、何とも珍奇なメニューとなった。焼酎のお湯割には合わないものが幾つかあったが、それは相棒の腹の中にだけ収められた次第である。明日はもう少しまともなものを食べよう。長~い夜を迎える。
今日の走行距離は462km。
コメント (2)
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