山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

関西・北陸の旅: 第10日

2007-11-21 07:17:12 | くるま旅くらしの話
昨夜は夜中に雨も降らず、トラックの騒音も少なくて、良く眠れる夜だった。少し冷え込んだが朝は極上のいい天気だった。ところが、ブログを書いている内に、気がついたらいつの間にか雲が増えて怪しげな空模様となり出していた。予報では午後から天気は崩れるとのことだったが、どうやらそれが早まったらしい。日本海側は、海を挟んで大陸の影響を受けやすく、変化の激しい気象なのであろうか。
今日は金沢市に隣接する野々市町在住のMさんを訪ねる日である。Mさんご夫妻はくるま旅の大先達で、我々が本格的なくるま旅を始めるきっかけを頂戴した方でもある。ご夫妻合わせて160歳を超える高齢だが、毎年くるま旅を楽しんでいらっしゃる。今年は残念ながらお母さんの体調が良くなかったため、北海道の旅をご一緒できず、淋し思いを我々もしたのだった。今日はそのご夫妻に一年ぶりにお会いできる日なのである。
Mさん宅は午後にお邪魔することにして、その間少し寄り道をして、まだ行ったことのない白山山麓の道の駅などを訪ねることにして出発。
まずはR8に戻り、加賀から北上して、小松市郊外でR360に入り山の方に向かう。途中から雨降りが本格化しだした。しばらく走って道の駅:一向一揆の里に到着。初めての道の駅である。駅名からして、その昔悪しき為政者を悩ませた一向宗信者の団結の地であったのであろう。雨でなければ、近くを散策するのだが、それは叉の機会にすることにした。
一向宗信者というのは、お坊さんではなく、農民だったのだと思う。一揆というのは農民の為政者の悪政に対する反抗である。その昔はいずれの国においでも政治に対して真の勇気を示したのは農民だったと思う。この馬の骨のご先祖もその農民の一人だったに違いないと思っている。元々農耕民族は皆農民だったのだ。土を耕し種を蒔いて命を養う植物を育てて食料を生産していたのである。初めに政治があったのではなく、農耕があってこの世が成り立っていたのである。今でもその本質は変わらないと思う。ところが、この真実を多くの人が忘れている。一向一揆の話からかなり怪しげな方向に逸れてしまったようだ。
道の駅の売店でネギを買い、特製うどんで昼食とする。雨は益々強くなり出している。少し休んだ後野々市に向かってR157を走る。途中道の駅:しらやまさんというのに寄ったが、何もめぼしいもの無し。
Mさん宅到着は13時半を少し過ぎていた。Mさんご夫妻は私どもにとっては、大切な知人と言うよりも両親のような方である。何度もお邪魔させて頂く内に、何だか実家に帰ったような気分になってしまうのである。勝手知ったる駐車場に車を入れていると、雨の中をお父さんが迎えに出て来て下さった。お父さんは膝を痛めておられ杖を使っておられる。お元気そうで何よりだけど、膝のことだけが一番心配である。嬉しい挨拶を交わした後、お宅に上がらさせて頂き、お母さんに挨拶する。お母さんもお元気そうな様子でホッと安心した。でもまだ少し手先に痺れが残っているという。早く完治して欲しい。
その後は再会の団欒が続いた。夕食には、心尽くしのご馳走に舌鼓を打った。わざわざご用意頂いた能登の名酒宗玄は、久しぶりの嬉しい味わいだった。ありがとうございました。外の雨にも全く気づかず、ぐっすりと眠りに落ちた夜を送った。
コメント
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