山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

関西・北陸の旅: 第9日

2007-11-20 09:16:34 | くるま旅くらしの話
昨日からの荒天は朝まで続いて、今日もこんな状況だったら、どうしょうかと迷ったのだったが、9時近くになると青空が見えだし、やがていい天気になった。それにしても、昨夜は霰なのか雹なのか、かなり派手な音が天井を叩いていて、北陸地方の気象変化の激しさを思い知らされた感じがした。
今日はちんたらの移動日である。予定としては越前大野の城下町を訪ねたいと思っているくらいで、後は行き当たりばったりのことしか考えていない。
10時少し前出発。昨日の道を戻り、R8に出て福井市方面へ。しばらく走ってR158に入り大野市方面へ。しばらく走ると、朝倉氏由縁の一乗谷跡の案内板があった。ちょっと覗いて見ようと脇道に入る。一乗谷川に沿った道を上ってゆくと、やがて川を挟んで広大な遺跡が展開していた。駐車場に車を停め、歩くことにした。
朝倉氏と言えば、信長に滅ぼされた戦後大名ということくらいしか知らない。その時代のことは、どうしても勝者である信長や秀吉の方に目が行き、敗者の方は置き去りにされ、忘れられてしまう。勝者はいつもあたかも善であり正義のように扱われることが多いが、勝者を決める戦いというのは、間違いない非道であり悪そのものである。殺人や破壊行為に正義の戦いなどあるわけがない。
それから2時間ほどかけて遺跡を歩いた。居館跡や庭園、武家屋敷跡や町人の住まい跡なでを見て回った。一部復元された建物もあり、往時を良く理解できた。遺跡の発掘はまだ途中で、ガイドの方のお話では120年をかけて計画が進められており、それが開始されてから、まだ40年しか経っていないとのことだった。
それにしても朝倉氏が滅びてからまだ500年も経っていないのに、それを120年もかけて整備するとは驚きである。人間のやることなすことには、愚かさが無限に詰まっているようだ。かく言う自分も愚かさの塊のようなものだ。
昼食の後大野市に向かって出発。30分ほどで到着。大野は初めて訪ねる町である。殆ど知識もなく、家で名所絵図の城下町の中に越前大野のことが書かれていたので、何時かは行ってみたいと思っていたのだった。来て見た大野は周囲を山に囲まれた、ホッとするような場所だった。先ずは車を市のシンボルであるお城の下の駐車場に入れ、早速そのお城に登った。20分ほどで到着。コンクリートで復元された小さな天守閣だった。土井家4万石というから、大名としては小さなクラスだったのだと思う。町全体の眺望が素晴らしかった。周辺の樹木の紅葉などを見ながら、ゆっくりと坂を下り、街中の散策に。
先ずはお清水(しょうず)と呼ばれる名水に行き当たった。案内図無しのぶっつけ本番の散策である。七間朝市通りというのがあったので、そこをブラブラ歩いていると、観光協会の事務所があったので、ようやく案内図などを頂戴できた。小京都と呼ばれる古い町並みがあると聞いたが、その雰囲気はお寺が連なる寺町というエリアが一番残っているように思った。2時間近く大野の街中を訪ね、昔につながるその温かさを味わった。
今日の泊まりは、どうしても温泉に入りたいので、加賀の山中温泉にある道の駅を目指して出発。勝山市を経由して再度福井市方面へ。福井市郊外を走る頃には日が落ちて暗くなり出した。福井市でR8に入り、しばらく走って加賀から右折して、山中温泉方面へ。すっかり暗くなった中を道の駅:山中温泉健康湯けむり村に到着。
外はかなり寒い。半月が空に厳しく輝いていた。すぐそばに湯けむりを上げている温泉がある。暗くて良くわからないが、嬉しくも有り難い環境である。早速温泉に。いいお湯だった。殊に山中節が流れる露天風呂は、最後の気分だった。たっぷり温まって車に戻り、今夜は軽い夕食で済ます。その後は静かな一夜を過ごすことができた。今日の走行は133kmでした。
コメント
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