山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

旅から戻って一息ついての理屈の話

2007-11-29 06:57:52 | くるま旅くらしの話

昨日はブログを休ませてもらった。妙に興奮している状態とか、或いは一仕事終わって何とはなしの倦怠感にとらわれる時には、ロクことは書けないものである。尤も私の場合は、普段からロクなことしか書けていないので、つまりはサボりの弁明にしかなっていないのは承知している。

今回の2週間の旅は、急ぎ旅だったと思っている。2週間といえば、旅としては長い方なのかも知れない。しかし、私にはスケジュールがたくさん組み込まれるような旅は、自由度が狭まってしまうので、窮屈な感じを受けるのである。勿論、訪ねる予定の知人を煩わしいなどとは全く思っていないし、会うのを心底楽しみにしているのである。それなのに窮屈と感じるのは、最近フリーの旅に慣れてきてしまっているからなのかも知れない。贅沢といえば贅沢な話ではある。

旅から戻って、ドタバタと大事な雑用を済ませているうちに、どうやら旅の興奮も納まってきたようである。今回は欲張って何人もの知人宅を訪ね、また新しい方との出会いもあって、大いに興奮したのだった。人と会うというのは、刺激的なことである。他人は自分とは違っており、その違いをこの頃は少し楽しみ出すようになってきた。変な話だけど、以前の私には、我は我れ他人は他人でどうでもよい、と考えるようなところが多くあって、他人との違いなど無関心だった。それが旅をするようになってから、少しずつ変わって来て、自分と違う他人が興味を引くようになったのである。

当然のことながら、家内や子供たちを含めて他人の全ては、自分とは違っている。当たり前のことである。その違いに気づくことが他人を理解する前提なのだと本気で思うようになった。会社勤めの間も、勿論他人と自分との違いには留意してはいたのだったが、ビジネスの世界での人との付き合いは、ある種の固定観念のようなものが働き、決して口先で言うほど相手を理解しようとはしないことが多かったのである。それが、旅での出会いでは余計な垣根のようなものが取り外されて、交流が始まることとなる。垣根を取り外さなければ、決して交流は始まらないし、深まらない。これはビジネスにおいても同じことなのかもしれないが、利害得失と無関係の世界の人との出会いは、やっぱり別のような気がする。

人との違いを楽しむというのは、かなりいい加減な言い方のようにも思うが、人と会うのを苦痛と考えるのではないから、まあそれでも良いのではないかと思っている。人間というのは心のどこかで、他人の全てが自分と同じ考えを持つべきだと思っているようなところがある。自己主張の激しい人ほどその傾向は強い。TVの討論などを見ていると、時々呆れかえることがある。政治家や学者といわれる人たちに多いような気がする。このような方たちには、自分と他人の違いを楽しみ、そこから何かを吸収、獲得するというような発想は殆ど無いのではないか。

旅の中で出会った知人は、皆個性的で魅力的な人ばかりだ。しかし、その方もビジネスや小さな地域社会の中では、没個性的な存在なのかもしれない。或いは単なる偏屈者という扱いなのかも知れない。けれども、旅で出会うその同じ人物が魅力的に映るのは何故なのだろうか。私はそこに旅の不思議な力が潜んでいるように思うのである。いろいろな言い方があるのだと思うが、旅は人の心を解き放つ力があるのだと思う。その人の持つ本物の姿を浮き出させるのだと思う。

この様に書くと、旅に出れば世の中の誰もが心を解き放たれ、その人の本物の姿を浮き出させるかといえば、残念ながらそのようなことはないのが現実だ。私は、そのような人はまだ本当の旅をしていないのだと思っている。旅の形や流れの中には入っていても、心を解き放つ余裕はなく、今までのくらしのしがらみを引きずったままなのだと思う。何のために旅に出るのかなどは問題ではなく、浮世の現実を背負いながらも、何がしかの自分の夢を追いかけて出かけているだけなのだと思う。斯く言う私自身もまだ本当の旅はできていないのかも知れない。今ようやく旅が何なのかを知りかけた時なのかも知れない。

他人との違いを楽しみ、その違いをとても大切なものと思えるようになって、初めて人との出会いの素晴らしさを実感できるようになったように思う。今回の旅では、自分が旅をしているのだということを、ほんの少しだけど前進して実感できたように思う。その出来事などについては、追々書いてゆくことにしたい。

コメント
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