山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

関西・北陸の旅: 第5日

2007-11-16 07:43:46 | くるま旅くらしの話
今日も天気は良さそうだ。冷え込みがきついかと思ったが意外と暖かく10℃程度だった。今日は大阪の親しい知人宅を訪ねる予定である。
午前中には柏原市の亡き畏友Aさん宅へ。道に迷う心配があるので少し早めに出発する。ところがなんと一発で最短の道を行くことが出来、今度は早過ぎることになり、當麻の道の駅で時間調整をする結果となった。9時過ぎAさん宅に到着。
Aさんは両手のない画家だった。知り合って十数年になるが、彼の口に絵筆をくわえて描く絵は、とても人間技とは思えぬ精緻さで、素晴らしいものだった。世界一流の画家だと自分は思っている。障害を持つ画家としてではなく、世の中全ての絵描き人の中においてである。
いろいろな意味において、彼から学ぶことは多かった。畏友というべき友は彼しかいない。その彼を昨年失った。真に残念だ。自分より一歳上だからあまりにも早い冥界への旅立ちだった。彼について語りたいことはたくさんあるのだが、それをここには書かないし、書けない。いずれ奥さんから彼の生涯を紹介する本が出されることと思う。それを待っている。波乱万丈の人生というのがあるけど、彼の一生はまさにそれだった。
仏壇にお線香を上げ、心経を唱える。その後2時間ほど奥さんとあれこれ思い出話しや、これからのことなどについてお話を伺った。彼のアトリエは綺麗に改装され、小さな絵の展覧会場となっていた。彼の絵が、少しでも多くの人々の目に触れることを心から願っている。改めてご冥福を祈った。
Aさん宅を辞した後は、旅の親しき友Tさんを今は堺市となった美原町に訪ねる。Tさん宅を訪ねるのは何度目になるのだろうか。今回は彼が本腰を入れて取り組み始められた、木工クラフトの工房を覗かせて頂きたいと思っている。今年北海道でお会いした時は、旅の中で各地の木工工房を訪ねながら作ったという、幾つかの試作品を見せて頂いたが、何れも見事な出来映えで、とても初心者の作品とは思えなかった。旅から戻ったら工房を作りたいと話しておられたのだった。
早速その工房を見せて頂いた。まだ未完成だったが、幾つかの機械や道具類、それに製作に使われる木片類がきちんと整理されていた。Tさんは鉄工所の経営をされていた方である。ものづくりが本当に好きなのだなと思った。自分は全くダメ人間なので、このような方を羨ましいというよりも尊敬せずには居られないのである。自分で出来ないことに対しては、人は無関心のことが多いのだと思うが、自分の場合はそうではなく、出来ないから関心があるのである。我ながら変な奴だと思う。
お宅に参上して、その後は旅のあれこれについての楽しい歓談の時を過ごす。Tさんは自分と同い年なのだが、奥さんは我が相棒とこれ又同い年なのである。女性同士も何かと趣味なども合うらしく、別のテーブルで騒いで(?)いた。このようなお付き合いのできる人に巡り会えたことを、天に感謝したい。
Tさんは本当は昨夜信州の方の知人を訪ねる予定を我々のために1日延ばして待っていて下さったのだった。ありがとうございました。
Tさん宅を辞した後は、今夜の宿を琵琶湖大橋の麓にある道の駅にすることにして、一路進路をとる。高速道で大和郡山まで行き、そこからはR24で宇治まで行って京滋バイパスを大津市方面に向かい、石山寺のインターで下りて、後はひたすら道の駅を目指す。途中山城辺りから夕暮れが一段と迫って来た。大津市内はかなり渋滞していた。18時40分道の駅到着。
相棒は夕食の準備に取り掛かる。この間、京都は嵐山在住のiさんにメールで到着を報告する。iさんとはまだ一度もお会いしたことがないのだが、メールや電話でやりとりを重ねて、今では十年来の知己となっている不思議な関係なのである。明日と明後日は京都を訪ねようかと考えていたのだが、紅葉のシーズンに入って、京都の街中は駐車場を確保するのが困難な状況にあるようなので、iさんに迷惑をかけたくないなという気持ちもあり、その旨をメールに記したのだった。
iさんから早速電話を頂戴する。やはりかなりの混みようとのお話だった。自分たちはiさんにお会いできれば、京都訪問は二の次のことなので、その旨を話し明後日美山町の道の駅でお会いすることとなった。明日は京都ではなく、琵琶湖周辺、特に近江商人の故郷の一つである湖東地区などを訪ねたいと思っている。
今日の走りは186kmでした。
コメント
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