Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

魯山人の言葉② ~教育改革を考える~

2009年11月24日 | Weblog
北大路魯山人の言葉には、はっとさせられるものが多くあります。

教育ではなく、作陶や美について語っているのですが、
教育や仕事に当てはめてみても、実に深い、突き刺さるような言葉です。
教育に携わっていく上で、肝に銘じておきたいと思う姿勢であり心構えです。

こうした強烈な第一級の孤高とも言える生き方に触れると、
そもそも職業教師などと言う存在自体が、
インチキ臭いのではないかしらんと思えてきます。

魯山人のように何か価値あるものを残せるのだろうか?
魯山人のように朽ちることのない言葉を残せるのだろうか?
子どもに何かを伝えるといいながら、
その伝えている中身はそれほど価値のあるものなのか?
伝えている私の人格はどうなのか?

様々な自責の念が頭の中をぐるぐる回ります。

だからこそ、今、あらゆることを学び、
教育の革新のために全力を尽くしたいと思っています。
魯山人の言葉に、心奮い立たされ、密かに負けるものかと思っています。


「これからは革新時代でありましょう。
革新家がどんどん生まれなくては心細い限りです。
現状を打破する人間、飽くまで意志の強い人間、
探美生活に身を打ち込み、
美に関する限り恋愛して止むところを知らないという人間。

人間が創作する以上、人間が入用である。
人間なくしては出来ない相談である。
陶器を作る前に先ず人間を作ることである。

名品は名人から生まれる。
しかるべき人間を作らずに、
無暗に仕事にかかる如きは、
愚劣極まることだと知ってよい。

下らない人間は下らない仕事をする。
立派な人間は立派な仕事をする。
これは確定的である。

要は人間を作り上げ、次に仕事を要求することである。
人間を作ることは、言わば作品の成果を得る基礎工事だと知れ。」

(昭和29年4月 ニューヨーク州立アルフレッド工芸大学での講演より)


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バッカーズ九州寺子屋・経営者講話

2009年11月24日 | Weblog
-西日本新聞 2009/11/23 朝刊23面-  より

「九州の企業経営者が私費で運営し、将来のリーダー育成を目指す私塾「バッカーズ九州寺子屋」(木村貴志塾長)の経営者講話が22日、福岡市早良区であり、西日本シティ銀行の久保田勇夫頭取が、小学5年生から中学3年生の18人の塾生を前に話した。

久保田頭取は旧大蔵省に入り、国土事務次官や米投資会社の日本法人会長を務めた経歴を振り返り、「すべて自分で考え、自分の価値観で判断してきた」と述べた。

リーダーの資質については、「ゴール設定だけでなく、途中の道筋を描けなければならない。若い頃から人と議論し、自分を育てて」と強調した。

塾生の森泰雅君(11)は「意見が異なる人とも議論することが大切だとわかった」と話していた。同塾は一年間のコースで、講話や企業訪問などのプログラムが組まれている。」



私たちは、教育の未来の姿を模索し、それを形にしていきます。
本当に大切なことは何か?
何が子どもたちを伸ばしていくのか?

既成概念に縛られることは、もうとっくにやめています。
学校という枠にも、日本という枠にも、平成という時代の枠にもとらわれず、
教育改革の実現に向けて、果敢に攻めていきたいものです。               
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