いづくにか
我が宿りせむ高島の
勝野の原に
この日暮れなば
和歌・歌人25
高市黒人タケチノクロヒト
『万葉集・巻一・58』
今宵、私はどこに宿ることであろうか。
高島の勝野の原で
この日が暮れてしまったならば。
高島の勝野の原とは
琵琶湖西岸の北部。
高市黒人タケチノクロヒト
生没年未詳
持統、文武朝(686~707)に
天皇の行幸に従駕し
歌をよんでいる。
柿本人麻呂とほぼ同時代。
万葉集には短歌のみ18首みえる。
歴史書に登場することなく、
地方の下級官吏であったと思われる。
旅の詩人とも称されている。
いずれも旅の不安と孤愁が
自然の景と融合して
すぐれた叙景歌をうみだしている。
それは単に旅の不安や孤愁にとどまらず、
すでに人生の孤愁を感じさせる
表現の傾域を充分に見せている
といえるのですあろう。
(和歌の解釈と鑑賞事典ヨリ)
暑中見舞いの葉書がくると
お茶会が無くて寂しいとあり
全く同感
いつも通りの生活は
今年は出来ないが
一生出来ないわけでもないだろう
先には楽しみがある
写真は今の時期だけの
限定もの
こういうのに弱い
我が宿りせむ高島の
勝野の原に
この日暮れなば
和歌・歌人25
高市黒人タケチノクロヒト
『万葉集・巻一・58』
今宵、私はどこに宿ることであろうか。
高島の勝野の原で
この日が暮れてしまったならば。
高島の勝野の原とは
琵琶湖西岸の北部。
高市黒人タケチノクロヒト
生没年未詳
持統、文武朝(686~707)に
天皇の行幸に従駕し
歌をよんでいる。
柿本人麻呂とほぼ同時代。
万葉集には短歌のみ18首みえる。
歴史書に登場することなく、
地方の下級官吏であったと思われる。
旅の詩人とも称されている。
いずれも旅の不安と孤愁が
自然の景と融合して
すぐれた叙景歌をうみだしている。
それは単に旅の不安や孤愁にとどまらず、
すでに人生の孤愁を感じさせる
表現の傾域を充分に見せている
といえるのですあろう。
(和歌の解釈と鑑賞事典ヨリ)
暑中見舞いの葉書がくると
お茶会が無くて寂しいとあり
全く同感
いつも通りの生活は
今年は出来ないが
一生出来ないわけでもないだろう
先には楽しみがある
写真は今の時期だけの
限定もの
こういうのに弱い