村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

いづくにか我が宿りせむ

2020-07-31 21:50:23 | 和歌と歌人
いづくにか
我が宿りせむ高島の
勝野の原に
この日暮れなば
 和歌・歌人25
 高市黒人タケチノクロヒト
『万葉集・巻一・58』

今宵、私はどこに宿ることであろうか。
高島の勝野の原で
この日が暮れてしまったならば。
 高島の勝野の原とは
 琵琶湖西岸の北部。

高市黒人タケチノクロヒト
生没年未詳
持統、文武朝(686~707)に
天皇の行幸に従駕し
歌をよんでいる。
柿本人麻呂とほぼ同時代。
万葉集には短歌のみ18首みえる。
歴史書に登場することなく、
地方の下級官吏であったと思われる。
旅の詩人とも称されている。
いずれも旅の不安と孤愁が
自然の景と融合して
すぐれた叙景歌をうみだしている。
それは単に旅の不安や孤愁にとどまらず、
すでに人生の孤愁を感じさせる
表現の傾域を充分に見せている
といえるのですあろう。
(和歌の解釈と鑑賞事典ヨリ)


暑中見舞いの葉書がくると
お茶会が無くて寂しいとあり
全く同感
いつも通りの生活は
今年は出来ないが
一生出来ないわけでもないだろう
先には楽しみがある
写真は今の時期だけの
限定もの
こういうのに弱い
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昼顔

2020-07-30 22:50:43 | 村雨庵 稽古 
今日は木曜稽古
時間割毎にお弟子様が見える
朝のうちに森金さんが
掃除 灰型
そして花を入れる
この時期に花がない
水引 
花茗荷
高砂芙蓉
あとは矢筈薄ヤハズススキ
糸薄イトススキ
しかない
そんなところに
森金さんが土手から
昼顔を取ってきた

ヒルガオは、
ヒルガオ科のつる性植物。
夏にアサガオに似た桃色の花を咲かせ、
昼になっても花がしぼまないことから
ヒルガオ
この名がある。
薬用植物であり、
民間では利尿薬として利用した。

英語では、
バインドウィード「巻き付く雑草」の意
中国名(漢名)では、日本天剣ニホンテンケンといい、
中国で旋花センカともよばれている。
(旋花センカは生薬)

花言葉は、
「絆」
「優しい愛情」
「情事」
「友達のよしみ」である。
(ウイキペディアヨリ)
なるほどそれであのドラマか

ヒルガオは
ハマヒルガオ
コヒルガオ
セイヨウヒルガオもある

これはチョウセンヒルガオだと
嘘を教えてしまった
セイヨウヒルガオと言ったつもリだが
またそれも間違えてる
多分ただのヒルガオのようだ
他にチョウセンアサガオというのがあるが
これは毒らしい
花は違うが気をつけよう
植物を甘く見てはいけない
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清風満竹林

2020-07-29 22:30:00 | 村雨庵 稽古 
今日は水曜稽古
天気はスッキリしないが
朝九時からお弟子様の登場
茶室を掃除し
灰型をつくり
花を入れ
お稽古する
風炉はふたつ出してあるので
三蜜にならないように
同じ時間には二名
それと時間待ちしている人を入れて三名まで
各自自分の点てたお茶を自分でのむ
お客様をもてなすこと
今は出来ないが
出来る事をしよう


写真は清風竹林に満る
京都の竹林は綺麗だろう
行ってみたい京都
自粛中は流石に空いていたようだが
最近は観光客も戻ってどこも混んでいるようだ
今年は
出かけないことにした
来年行けるだろうか
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ももづたふ

2020-07-28 22:06:12 | 和歌と歌人
ももづたふ
磐余イハレの池に鳴く鴨を
今日のみ見てや
雲隠りなむ
 和歌・歌人・24
 大津皇子オオツノミコ
『万葉集・巻三・416』

大津皇子オオツノミコ死を被タマワりし時に
磐余イハレの池の堤にして
涙を流して作る一首。
磐余イハレの地に
鳴いている鴨を
今日を限りに見て、
自分は死んでいって
しまうのだろうか。

大津皇子オオツノミコは
663~686
24歳。
天武天皇の第三皇子
母は天智天皇の皇女の大田皇女オオタノヒメミコ。
大伯皇女オオクノヒメミコの同母弟。
母が若くして死に、
その妹の鸕野讚良ウノノサラ
(後の持統天皇)が
天武天皇の皇后となり、
その子草壁皇子が皇太子となった。
天武天皇の崩御後
まもない朱鳥元年十月
皇太子草壁皇子への謀反の罪に問われ
鸕野皇后より死を賜った。
文武に秀で、人望も高かったという。

悲運の皇子たちと言われた
山背大兄皇子
古人大兄皇子
有間皇子
大友皇子
大津皇子
七世紀の専制的古代国家の
皇位継承を中心とする政争のうちに
悲運の生涯を送り、
そして悲劇のうちに死んでいった
という
1334年前のことだ

写真は以前に頂いたチーズを
撮っておいたもの
右のひとつはすでに食べてしまった
美味
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大聖武・大和切

2020-07-27 22:58:47 | 覚えたい古筆
今日から始まった
村雨庵お習字教室
禹聖ウセイ会
先生は村雨庵お弟子様の 森金先生
今日の参加者はワユコさんと私め計3名
森金先生は会社のお習字教室で長年研鑽
この3月に辞められても、
続き指導にもあたっている
そこで書道の会に入っていたのだが
退社後は独立
社中に声をかけると七名が参加
今月からお習字の稽古をすることになった
今日は
漢字半紙楷書 
漢字半紙行書
かな半紙
あと細字というのも稽古した
半紙に漢字を書くのは
久しぶりだが
思った通り すぐ飽きる
墨を磨るがなかなか濃くならず
いざ書いてみると
あっというまに
墨が無くなる
墨を磨るのも面倒ゆえ墨汁に代えて
何枚か書いたが
思ったようにはかけない
飽きたので次は仮名
硯を小さいのに代えて
筆も和筆、和墨
それなのに二枚書いたらもう駄目
休憩だ休憩
甘いの食べてお茶を呑む
ちょこっと書いては休憩
この繰り返しを何度かした
お習字は正直キライ
でもお習字は必要なのだ
一人では決してお稽古はしない
みんなとすれば何とかなるかも
締め切りがあるので
何とかなるかも
四、五十年振りのお習字
案外楽しかった
継続は力

というところで
ついでに古筆の勉強をしよう
古筆手鑑コヒツテカガミは
大聖武オオジョウム
または大和切ヤマトギレを以て
始めるとされている

伝 聖武天皇宸筆 賢愚経ケングキョウ
料紙は荼毘紙ダビシ
香木の粉末を虫除けに漉スきこんだもの
書風は重厚威風あたりを払う
ともいうべき文字であり
その筆致は
北魏龍門の諸碑にかようものがある
文字の大小によって
中聖武、小聖武
と言い伝えている荼毘紙があるが、
書風はまちまちである
荼毘紙ダビシであれば皆
聖武と呼ぶ
古筆家の慣例になっている
首尾完備した大聖武の巻子本が
帝室、東大寺、名家などに残っている
と(昭和新修日本古筆名葉集ヨリ)

覚えておきたい
古筆の勉強1
大聖武(大和切)
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小夜サヨふけて

2020-07-26 22:10:43 | 和歌と歌人
我が背子セコを
大和に遣ヤると
小夜サヨふけて
暁露に
我が立ち濡れし
 和歌・歌人23
 大伯皇女オオクノヒメミコ
『万葉集・巻二・105』

私の愛しい弟を
大和へやるとて、
夜更けて暁どきの露に、
私はたたずみ濡れたのです。

大伯皇女オオクノヒメミコ
661~701
41歳
大来皇女オオクノヒメミコとも
天武天皇の皇女。
母は天智天皇の皇女の大田皇女。
大津皇子の同母姉。
673斎宮となる
万葉第二期の代表的歌人

写真は
ビスケットが入ってる
オルゴール付
F&Mミュージカルビスケット
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シロガネもクガネもタマも

2020-07-25 21:51:25 | 和歌と歌人
銀シロガネも
金クガネも玉タマも
何せむに
優マサれる宝
子にしかめやも
 和歌・歌人22
 山上憶良ヤマノウエオクラ
『万葉集・巻五・803』

山上憶良ヤマノウエオクラ
斉明天皇六年660~天平五年733 74歳で没
701遣唐少録として渡唐

山上憶良は晩年に
筑前の国司となり
中心となす歌はこの頃のもの
大伴旅人オオトモノタビトも同じく太宰府に着任
大伴旅人の邸宅で催された
宴会の席上にて詠まれた
万葉集全20巻のうち巻5の
梅の花を歌った32首の序文から
元号(令和)がとられたことは有名だ

写真は先日
ネットで買ったもの
額田王ヌカタノオオキミの漫画
今日 簡単に読んだが
額田王のこと
うーん
そうですかって感じで
わからない
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石走る垂水の上の

2020-07-24 21:45:30 | 和歌と歌人
石走るイワバシル
垂水タルミの上の
さわらびの
萌え出づる春に
なりにけるかも
 和歌・歌人21
 志貴皇子シキノミコ
『万葉集・巻八・1418』

志貴皇子シキノミコ
716没
天智天皇の第七皇子。
妻は多紀皇女タキノヒメミコ
(天武天皇の皇女)
没後 追尊されて
春日宮御宇天皇・田原天皇とも呼ばれた。
万葉集には短歌のみ6首を残す。


今日は祭日
スポーツの日だが
スポーツはしない
苦手だ
どこにも出かけない
ずっとゴロゴロしてた
写真の桃が届いた
岡山産の桃だ
お礼のメールを送ると
折り返しお電話頂き
お互い大きな声でお喋りした
声を聞くのが一番
安心した
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天の川去年の渡りで移ろへば

2020-07-23 20:51:52 | 和歌と歌人
天の川
去年コゾの渡りで移ろへば
川瀬を踏むに
夜ぞとふけにける
 和歌・歌人20
 柿本人麻呂カキノモトノヒタマロ
『万葉集・巻十・2018』

天の川の渡り場が
去年とは変わってしまったので、
新しい渡り場を探すために
川瀬を往き来していて、
すっかり夜が更けてしまったことだ。

柿本人麻呂カキノモトノヒタマロ
生没年未詳
経歴も詳しいことは分からないが、
身分はさほど高くなく、
持統天皇、文武天皇のころ、
宮廷に出仕して、
なかば職業的に儀礼歌の制作に当たった
宮廷歌人であり、
平城京遷都
710前後に死んだものと考えられている。
万葉集を代表する歌人

柿本人麻呂カキノモトノヒタマロと言うと
歌聖・柿本人麻呂
平安末から歌会や歌合わせに
人丸の画像を掛け
和歌を献じ供養する
人丸影供ヒトマルエイグを思い出す
その生涯については謎。
『水底の歌-柿本人麻呂論』
『猿丸幻視行』
読みたい

写真は
昨日の歌仙画
紀貫之
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歌仙画・紀貫之

2020-07-22 23:17:03 | 村雨庵 稽古 
今日は茶の稽古
村雨庵水曜稽古だ
蜜を避けて時間割で予約
点前すると茶もお菓子も自分
点前のしたくや片づけは
全部自分でする
だいぶ慣れて来たようだ

今日の主菓子は
朝顔と麩饅頭
干菓子はナデシコと青楓
掛け物は
歌仙絵
色紙に歌と
紀貫之キノツラユキの画
萬延元年(1860)の箱書がある

貫之の和歌は
大はらや
をしほの山の
小松ばら
はやこだかかれ
千代の影見む

紺色の染め紙
金の霞にお目出度い松喰鶴マツクイヅルが
飛び交っている

松喰鶴マツクイヅルとは
松の折枝を鶴がくわえた文様。
奈良時代の花喰鳥文の様式が変化して,
平安時代後期の器物に
和様化文様として現れた。
「まつばみづる」とも言う

紀貫之キノツラユキ
868?〜945
平安前期の歌人。
三十六歌仙の一人
『古今和歌集』撰者の一人
官位は低く,死んだときも
従五位上・木工権頭 (もくのごんのかみ) に
すぎなかったが,
すぐれた批評眼をもち,
すぐれた歌論である
「古今和歌集仮名序」,
かな文の日記文学の『土佐日記』,
「新撰和歌集序」などの著がある。
(旺文社日本史事典 三訂版の解説ヨリ)

写真は
その貫之の和歌
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常よりも又ぬれそひし袂かな

2020-07-21 23:51:37 | 紫廼茶話会
今日は紫兎先生のお茶のお稽古

生徒は二名
想望庵様とわたくしめ
あと今日はお休みのナガタン姫
人数が少ないと
ゆっくりお喋りする時間がとれる

掛け物は
時代の歌仙画の色紙
左 名前
和歌
その下に
女房歌仙の図

左 赤染衛門
つねよりも又ぬれそひし
たもとかな
昔をかけておつる涙に

女房は
御垂髪オスベラカシ
十二単ジュウニヒトエの姿で
お顔は袖に埋められて
かかれていない
黒髪は乱れ曲線を描き
ぐるりと流れている

女房三十六歌仙の歌合によると
右は二條院讃岐ニジョウインサヌキ

写真は
通りすがりに撮った
葡萄の房
可愛らしい粒が並んでいる
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白たへの衣干したり

2020-07-20 21:07:42 | 和歌と歌人
春過ぎて
夏来キタるらし
白たへの
衣干したり
天アメの香具山
 持統天皇
 和歌・歌人19
『万葉集・巻一・28』

天の香具山は
畝傍山、耳成山と並ぶ大和三山の一つ。
白妙シロタヘは
楮コウゾの繊維で織った粗い白い布。
初夏、村の娘たちが
早乙女の資格を得るために、
山に入って
物忌みのお隠コモりをする。
その娘達の物忌みの斎服。
その白、山の緑、空の青。
そしておそらくは娘達の頬は紅。
初夏の透明で鮮やかな色の対比が目に浮かんでくる。
百人一首歌番号2番、
新古今和歌集巻三・夏歌は
(衣干したり)が
(衣干すてふ)に変わる
間接的な表現に代えられたのは
婉曲エンキョクな表現を好むという
平安時代以降のうたの傾向らしい。


持統天皇ジトウテンノウ
生没年未詳
702没
天智天皇テンチテンノウの皇女
諱イミナは鸕野讚良皇女ウノノサララヒメミコ。
天武天皇の皇后。
草壁皇子クサカベノミコの母。
天武天皇崩御後
称制ショウセイし、
(称制ショウセイとは① 中国で、
皇帝が幼少のときに
皇太后が政務を行うこと。
②古代日本で、
天皇が在位していないときに、
皇后・皇太子などが臨時に
政務を行うこと。)
草壁皇子の死によって、後に即位した。
壬申の乱の時から
夫天武天皇の傍らにあってこれを助け、
天武天皇の崩御後はその偉業を継ぎ、
藤原宮造営などに当たった。
宮廷の儀式などをも整え、
柿本人麻呂など
宮廷歌人の登場の舞台を造った。


ウイキペディアには
持統天皇を主題とする作品として
漫画
里中満智子『天上の虹 持統天皇物語』
長岡良子『古代幻想ロマンシリーズ・眉月の誓』
大和和紀『天の果て地の限り』
そにしけんじ『ねこねこ日本史 第2巻』
小説
阿夫利千恵『妖の女帝 持統天皇』
小石房子『鉄の女帝持統』
近藤精一郎『白鳳の女帝―持統天皇私伝』
三田誠広『炎の女帝 持統天皇』        
坂東眞砂子『朱鳥の陵』
今度読んでみたい

写真は土曜日に頂いたもの
ヨックモックの
フルール・フルール
極めて薄いラングドシャーで
12,5センチの花の缶に順に
丸く綺麗に並んでる
ヨックモックのシンボルの
花水木を模して作ったという
手に取るとより華奢で可憐だ
それをパクリ パクパク
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潮もかなひぬ今は漕ぎ出イでな

2020-07-19 21:44:33 | 和歌と歌人
熟田津ニキタツに
舟乗りせむと
月待てば
潮もかなひぬ
今は漕ぎ出イでな 
 和歌・歌人18
 額田王ヌカタノオキミ
『万葉集・巻一・8』
熟田津ニキタツにおいて
船乗りをしようと
月の出を待っていると、
月も出たし潮もほどよく満ちてきた。
今こそ漕ぎ出そうよ。

661斉明天皇・中大兄皇子ナカノオオエノオウジが、
唐・新羅連合軍と戦う
百済を援護するために
北九州へ向け出航し、
その途中伊予国の
熟田津ニキタツに停泊した時の歌
であると考えられる。
高らかに出航の時の到来を
告げたもの。


額田王ヌカタノオオキミ
生没年未明
初期万葉の代表的歌人
万葉集の代表的女流歌人
近江地方の豪族であったと
思われる鏡王カガミノオオの娘で
采女ウネメとして宮廷に出仕シュッシし、
初め大海人皇子オオアマノミコ
(のちの天武天皇)の妃となって、
十市皇女トオチノヒメミコを生み、
のちに中大兄皇子ナカノオオエノオウジからも愛された。
斉明、天智両朝を主たる活動期とした。

額田王ヌカタノオキミは知ってる
でも今日漫画を買った
(ロマン・コミックス 人物日本の女性史 3) 
額田王  
それと(天の果て地の限り )大和 和紀
これから額田王を勉強

写真は
待合に掛けてあるのは
そら豆、ささげと露草
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家にあれば笥ケに盛る飯を

2020-07-18 21:46:24 | 和歌と歌人
家にあれば笥ケに盛る飯を
草枕
旅にしあれば椎シイの葉に盛る
和歌・歌人17
 有間皇子アリマノミコ
『万葉集・巻二・141』

家にいるときは当然
笥ケに盛って供える飯であります。
その飯を、
今は旅の途中にあるから、
椎の葉に盛って差し上げます。

有間皇子アリマノミコは
孝徳天皇の子
曾我の赤兄の謀略にかかって
反乱を企てた為に捕らえられ
紀伊国の藤白坂で絞殺された

若くして悲運に散った有間皇子
この時代のことは正直
よくわからないが
わからないままに
来てしまった気がする
これを機会にもう一度
漫画「天上の虹」を読んでみようかな
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秋山の木の下コノシタ隠カクり行く水の

2020-07-17 22:12:15 | Weblog
秋山の木の下コノシタ隠カクり行く水の
我こそ益マさめ
思ほすよりは
 和歌・歌人16
鏡王女カガミノオオキミ
『万葉集・巻二・92』

秋の山の木の茂りの下を
隠れてひそかに流れる水。
それではないが、
私の方こそ思いは
深くなっていることでしょう。
あなた様が私を
お思いくださるよりはね。

鏡王女カガミノオオキミは
舒明天皇ジョメイテンノウの子
又は孫とも
威奈イナの鏡公カガミノキミの子だとも。
近江の鏡王カガミノオオキミの子だとも言われ。
額田王ヌカタノオオキミの姉かとされるが、不明。
初め天智天皇テンチテンノウの愛を受け、
のち藤原鎌足の妻となる。
683没

今日はサカチカさんに袋物を習う
生徒は森金さんと暮れちゃんと私の3名
ソーシャルディスタンス
一人ずつ二月堂と座布団とアイロン
表布と裏布
それとボンド
糸針はいらない
型紙を作り
裏と表の芯の紙をつくり
それぞれ布に印付け切る
裏用から芯の紙に糊つけ表も芯の紙に糊つけして
最後に表と裏を会わせ
完成
糊貼りごとにアイロンをかけ
最後は重しをのせて何日かおく

写真は
完成した
のし袋入れ
とても嬉しい
何でも先生から指導を受けると
時間に無駄なく
失敗が少ない
自画自賛だが3名とも
上手にできた
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