村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

小侍従 コジジュウ

2023-05-27 00:24:14 | 和歌と歌人

 小侍従 コジジュウ
 和歌・歌人151

待つ宵のふけゆく鐘の声きけば
あかぬ別れの鳥はものかは
(新古1191)

こじじゅう【小侍従】
平安末期の女流歌人。
女房三十六歌仙のひとり。
石清水八幡宮別当紀光清の娘。
二条天皇、のち高倉天皇に仕えた。
平家物語の月見の章に、
藤原実定との和歌の贈答により
「待宵まつよいの小侍従」
とよばれた挿話がある。家集「小侍従集」。
生没年未詳。

写真は 
旧芝離宮恩賜庭園

令和5年5月24日(水)~5月27日(土)
18時30分~21時30分(最終入園21時)
ライトアップイベントを開催
とテレビで放映された
幻想的だ

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西行 サイギョウ

2023-05-23 22:37:30 | 和歌と歌人

 西行 サイギョウ
 和歌・歌人150
道のべの清水流るる柳陰
しばしとてこそ立ちどまりつれ

西行
[生]元永1(1118)
[没]文治6(1190).2.16.

平安時代末期の歌人。
姓,藤原。
俗名,佐藤義清 (のりきよ) 。
父は左衛門尉康清。
母は監物 源清経の娘。
北面の武士として鳥羽上皇に仕え,左兵衛尉にいたる。
23歳のとき出家,
法名,円位,また西行と呼ばれた。
真言宗に属し,
多く高野山に住み,
奥羽,中国,四国などを遍歴,
勧進などに従った。

晩年は伊勢に移り,
2度目の奥州旅行から帰ったのちは河内国弘川寺に住み同地で没した。
在俗時代から和歌を詠み,
出家後は修行のかたわら作歌に精進,
寂念,寂然,寂超ら大原三寂,
藤原俊成と親交があり,
次第に歌名も上がった。

しかし,宮廷やその周辺の貴族の家などで
行われた歌会や歌合には参加していない。
旅先での見聞など
現実体験に基づく作品が多いのが特色。
作風は平明率直で
真実感にあふれるものが多いが,
ときには和歌としての形象性に乏しいものもある。
家集に
『山家集』
『異本山家集』
『聞書集』
『聞書残集』,

自撰の歌合に
『御裳濯河 (みもすそがわ) 歌合』『宮河歌合』がある。
『千載集』『新古今集』などの勅撰集にも多く入集。
『西行上人談抄』は西行の語った歌話を,
弟子蓮阿が筆録したもの。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ヨリ)

写真は
棗に茶をはったところ
中高ナカダカに
ざんぐりと

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寂然 ジャクネン

2023-04-28 23:54:17 | 和歌と歌人

 寂然 ジャクネン
 和歌・歌人149

秋は来ぬ年もなかばにすぎぬとや荻吹く風のおどろかすらん

吹く風に花橘やにほふらん昔覚ゆる今日の庭かな

さらぬだに重きが上の小夜衣わがつまならぬつまな重ねそ

寂然 ジャクネン
生没年未詳1118-?,
平安時代末期の官人、歌人。
「じゃくぜん」とも。
俗名は藤原頼業フジワラノヨシナリ。
勅撰集『千載和歌集』以下に47首入集
藤原北家長良流、丹後守・藤原為忠の四男。
官位は従五位下・壱岐守。


今日は金曜日
ゆっくり
のんびり
できるかな
写真は
うちのミーちゃん

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藤原俊成 フジワラノトシナリ

2022-12-29 00:49:25 | 和歌と歌人

 藤原俊成 フジワラノトシナリ
 和歌・歌人148

面影に花の姿をさきだてて幾重越え来ぬ峰の白雲

またやみん 交野カタノのみ野の桜狩花の雪散る春のあけぼの

むかし思ふ草の庵の夜の雨に 涙な添へそ山時鳥

夕されば野辺の秋風身にしみてうづら鳴くなり深草の里

思いあまりそなたの空をながむれば霞を分けて春雨ぞ降る

世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる

永久2年(1114)~元久元年(1204)年11月30日。91歳 。
権中納言俊忠の子。
初め顕広。
54歳以後俊成。
63歳の出家後は釈阿。
通称五条三位。
正三位皇太后宮大夫に至る。
五十代頃から六条家の藤原清輔に拮抗して歌壇に指導的地位を占め、75歳で『千載集』を撰出。
六百番歌合など多くの歌合判者となり、歌学書
『古来風体抄』を著して、新古今時代の有力歌人の養成に貢献した。
家集に『長秋詠藻』。
久安百首など13種の百首など十三種の百首歌を残す。
『詞歌集』以下に入集。

 

 

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俊恵法師 シュンエホウシ

2022-12-27 23:45:26 | 和歌と歌人

 俊恵法師 シュンエホウシ
 和歌・歌人147

み吉野の山かき曇り雪降れば麓フモトの里はうちしぐれつつ

夜もすがら物思ふころは明けやらで閨のひまさへつれなかりけり

俊恵法師 シュンエホウシ
永久元年(1113)年生。
建久二年(1191)年頃までに没か。
『金葉集』撰者木工頭源俊頼の子。
母は木工頭敦隆の娘。
東大寺の僧で大夫公、大進公などと称せられた。
白川の自坊を歌林苑と名付、
派閥を超えた自由な雰囲気の下に歌会・歌合を行った。
その歌論は弟子の鴨長明の『無名抄』に見られる。
家集に『林葉集』、
私撰集に『歌苑抄』『歌林抄』がある。
『詞花集』以下に入集。

朝寝坊して部屋をかたずける
断捨離は出来ないが
少しでも捨てようと
努力する
筆記用具がたくさんある
捨てるように努力する

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後白河天皇ゴシラカワテンノウ

2022-12-10 22:59:16 | 和歌と歌人

 後白河天皇ゴシラカワテンノウ
 和歌・歌人146
池水に
みぎわの桜
散り敷きて
波の花こそ
盛りなりけれ

後白河天皇
ゴシラカワテンノウ
[生]大治2(1127).9.11. 京都
[没]建久3(1192).3.13. 京都
第 77代の天皇 (在位 1155~58) 。
名は雅仁,法名は行真。
鳥羽天皇の第4皇子。
母は中宮待賢門院璋子 (権大納言藤原公実の娘) 。
久寿2 (55) 年践祚し,次いで即位した。
皇位継承に端を発した保元の乱
(→保元・平治の乱 ) は天皇方の勝利となったが,
在位わずか3年にして保元3 (58) 年,皇太子守仁 (二条天皇) に位を譲り,
上皇として院政を始め,
のち六条,高倉,安徳,後鳥羽と
4朝にわたって院政を行なった。
その間に平治の乱,平氏全盛,
源平合戦 (→治承の内乱 ) ,平氏滅亡,
鎌倉幕府の成立,守護地頭の設置など
世は激しく変化していったが,
院は近臣とともに種々の権謀術数を弄して対処した。
また仏道に志し,嘉応1 (69) 年剃髪して法皇となり,
蓮華王院,長講堂などの造寺あるいは造仏,
そして熊野,高野,比叡,東大寺などの参詣を盛んに行なった。
また『梁塵秘抄』 (10巻) ,『梁塵秘抄口伝集』 (10巻) を撰した。
陵墓は京都市東山区三十三間堂廻の法住寺陵。

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平忠度 タイラノタダノリ

2022-10-31 23:59:38 | 和歌と歌人

 平忠度 タイラノタダノリ
 和歌・歌人145
さざなみや志賀の都は荒れにしを
昔ながらの山桜かな
『千載集』

行き暮れて木の下陰を宿とせば花やこよひの主ならまし


平忠度 タイラノタダノリ
1144-1184 
平安時代後期の武将。
天養元年生まれ。
平忠盛の子,平清盛の弟。
源平の争乱で富士川の戦い,
墨俣川の戦いなどの大将軍のひとり。
寿永3年2月7日一ノ谷の戦いで
源氏方の岡部忠澄に討たれた。
41歳。歌人としてもすぐれ,
藤原俊成に師事,
歌は「千載和歌集」などにみえる。
家集に「平忠度朝臣集」。
(コトバンクより)

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崇徳院ストクイン

2022-08-14 23:13:22 | 和歌と歌人

 崇徳院ストクイン
 和歌・歌人140
花は根に鳥は古巣へ帰るなり
春の泊りを知る人ぞなき
  泊り→行く先
この上句は
和漢朗詠集の三月尽サンガツジンの
藤滋藤(清原滋藤)の作より
影響を受けたという

  花悔帰根無益悔
花は根に帰らむことを悔ゆれども
悔ゆるに益エキなし
  鳥期入谷定延期  
鳥は谷に入らむことを期ゴすれども
定めて期ゴを延ぶらむ

東北トウボクの謡の詞章に
 シテ
「これまでぞ花は根に」
 地謡
「今はこれまでぞ花は根に。
鳥は古巣に帰るぞとて」
とある

崇徳天皇は、
日本の第75代天皇。
諱は顕仁。
鳥羽天皇の第一皇子。
母は中宮・藤原璋子。
譲位後は新院、
その後、 平安時代末期の1156年に
貴族の内部抗争である保元の乱で
後白河天皇に敗れ、
讃岐に配流後は讃岐院とも呼ばれた。
小惑星 Sutokuは崇徳天皇に因んで命名された。
(ウィキペディアより)

写真は昨日の外食
ふくもとの焼物
鮎の塩焼き
串を見事に打ってあるので
ヒレが立っている
泳いでいるように見える

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源頼政ミナモトノヨリマサ

2022-06-12 23:17:50 | 和歌と歌人

 源頼政ミナモトノヨリマサ
 和歌・歌人139
み山木のその梢とも見えざりし
桜は花にあらわれにけり
『詞花集』
庭の面はまだかわなぬに夕立の
空さりげなく澄める月かな
『新古今集』
人知れぬ大内山の山守は
木がくれてのみ月をみるかな
『千載集』

今日は録画を観る日
たくさんみたら
疲れて
昼寝

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藤原清輔 フジワラノキヨスケ

2022-04-22 23:34:22 | 和歌と歌人

 藤原清輔 フジワラノキヨスケ
 和歌・歌人138

薄霧の籬の花の朝じめり秋は夕べとたれかいいけん

冬枯れの森の朽葉の霜の上に落ちたる月の影の寒けき

長らへばまたこのごろやしのばれん優しと見し世ぞ今は恋しき

藤原清輔 ふじわらの-きよすけ
1104-1177 
平安時代後期の官吏,歌人。
長治元年生まれ。
藤原顕輔の子。
母は高階能遠の娘。
太皇太后宮大進となり,
正四位下にいたる。
歌道の六条家をつぎ,
その全盛期をきずいた。
「奥儀抄」「袋草紙」などの歌学書をあらわし,
「続詞花和歌集」を私撰。
勅撰集には「千載和歌集」以下に 
89首がはいっている。
安元3年6月20日死去。
74歳。
家集に「清輔朝臣集」。


今日は銀行と郵便局と病院へ行く予定

銀行が混んでいたので
郵便局へ行ったところ
肝心の振込用紙を忘れた
また銀行に戻り通帳記帳してから
一度家に戻る

出直して郵便局へ
今は加入者負担の振込用紙でも
手数料がかかる
一度通帳に入金してから
振込する
手間だ
続けてパン屋へ
焼きたてのパンを買う
お金を払う段に気がついた
財布を持っていない
仕方ない郵便局へ戻り
お金を下ろす
残高の六千円の
端数以外下ろして
パン代2,060円払う
残りの四千円を持って病院へ
そのあと薬局に寄るが
薬代が30円足りない
そんな時にはカード
持っていたので払った
家に帰って財布を探したが
無い
ミツカラナイ
トホホ

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藤原忠通 フジワラノタタミチ

2022-04-18 23:21:11 | 和歌と歌人

 藤原忠通 フジワラノタタミチ
 和歌・歌人137
わたの原漕ぎ出でて見れば
久方の雲居にまがふ沖つ白波

藤原忠通 フジワラノタタミチ
1097-1164 68歳。
平安時代後期の公卿。
藤原忠実タダザネの長男。
母は源師子。
白河法皇に罷免された父にかわり,
関白,摂政,太政大臣を歴任。
従一位にいたる。
鳥羽院政で復権した父と権力をあらそい,
保元の乱の一因をつくった。
詩歌にすぐれ,
書は法性寺流と称される。
通称は法性寺殿。
漢詩集に「法性寺関白御集」,
家集に「田多民治 タダミチ集」。
小倉百人一首では
法性寺入道前関白太政大臣

2012のNHK大河ドラマ
『平清盛』の藤原忠通役は
堀部圭亮が演じた

写真は友達が撮ったもの
別名は
「富貴花」
「百花王」
「花王」
「花神」
「花中の王」
「百花の王」
「天香国色」
「名取草」
「深見草」
「二十日草(廿日草)」「忘れ草」
「鎧草」
「ぼうたん」
「ぼうたんぐさ」など多数。
(ウイキペディアヨリ)

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平忠盛 タイラノタダモリ

2022-04-01 22:55:04 | 和歌と歌人

 平忠盛 タイラノタダモリ
 和歌・歌人136
ありあけの月もあかしの浦風に
浪ばかりこそよるとみえしか
『金葉集』

平忠盛
タイラノタダモリ
永長1(1096)~仁平3(1153)
平安時代末期の武将。
正盛の子,清盛の父。
永久1 (1113) 年強盗を捕えた功で
一躍従五位下に叙せられた。
同年の永久の強訴にも父とともに活躍。
大治4 (29) 年備前守であった忠盛は,
山陽,南海道の海賊追捕を行なった。
彼を任用した白河法皇が同年に没し,
鳥羽上皇が院政を開始すると正四位下に叙せられ,
武名と財力 (国守歴任,および宋との貿易による富) とを背景に,
院と密接な関係を結んで昇殿を望んだ。
長承1 (32) 年得長寿院造営の賞として
待望の内裏昇殿が許され,
平氏政権の基盤を築いた。
(コトバンク)

今日は
寒いというより冷たい感じ
ダウンコートでは大袈裟かと思ったが
ちょうど良かった
庭の宝鐸草が一斉に芽を出した

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待賢門院堀河 タイタケンモンインノホリカワ

2022-03-20 23:13:53 | 和歌と歌人

待賢門院堀河 タイタケンモンインノホリカワ
和歌・歌人135
なかゝらむ心もしらす黒髪の
乱てけさは物をこそおもへ
『千載和歌集』

待賢門院堀河 タイタケンモンインノホリカワ
生没年不詳
平安時代後期の歌人。
この女房名の前に
前斎院六条(さきのさいいんのろくじょう)と
呼ばれていた一時期もある。
女房三十六歌仙・中古六歌仙の一人。
父は神祇伯 源顕仲。
姉妹に、顕仲卿女(重通妾)、
大夫典侍、
上西門院兵衛がいる。
(ウィキペディアヨリ)
2012NHK大河ドラマ
平清盛に堀川が登場した

今日は日曜日
手紙を二通書きポストに投函
土日の郵便の配達がなくなり
今までより到着日が遅くなった
以前は次の日には大概届いたのに

写真は小杉放庵の椿
わが庭の椿も咲き始めた

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道因法師 ドウインホウシ

2022-03-15 23:44:53 | 和歌と歌人

 道因法師 ドウインホウシ
 和歌・歌人134
思いわびさても命はあるものを
憂きに堪えぬは涙なりけり
『千載集』

道因 どういん
1090-? 
平安時代後期の歌人。
寛治4年生まれ。
俗名は藤原敦頼(あつより)。
朝廷につかえ,従五位上,右馬助。
「住吉社歌合」「広田社歌合」を勧進し,
承安(じょうあん)2年
藤原清輔主催の白河尚歯会(しょうしかい)など,
おおくの歌会に参加。
同年出家。
俊恵(しゅんえ)の歌林苑の一員。
歌は「千載和歌集」などにおさめられている。
寿永元年(1182)ごろまでに死去。
(日本人名大辞典ヨリ)

写真はうちのクリスマスローズ
お弟子様が
「咲いてますね」と教えてくれた
黒っぽい紫色だからか
回りにすっかり溶け込んでる
咲いていたことに
何日も気がつかなかったらしい
慎ましく下向きに咲くのは
見習いたいものだが
いざ花入に入れるには
掛け花入でも生けにくい

クリスマスローズは
別名「寒芍薬 カンシャクヤク」「雪起こし」
葉や根茎に毒がある注意
学名は
ヘレボルス、ヘレボラスと
「クリスマスローズ」とは
クリスマスの頃開花するから

今日はお習字のお稽古
集中してお稽古ができた
結果は下手でもヨシとしよう

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藤原顕輔 フジワラノ アキスケ

2022-03-14 20:55:33 | 和歌と歌人

 藤原顕輔 フジワラノ アキスケ
 和歌・歌人133
秋風にたなびく雲の絶え間より
漏れいづる月の影のさやけさ

難波江の芦間にやどる月みれば
わが身一つも沈まざりけり

藤原顕輔 フジワラノ アキスケ
[1090〜1155]
平安後期の歌人。
六条家の祖といわれる顕季アキスエの子で、
清輔の父。
六条家を継ぎ、
崇徳院の院宣により
「詞花集」を撰進。
家集に「左京大夫顕輔卿集」がある。

朝起きると
昨日の雨で庭がちょうど良く湿ってた
暖かい一日
日も延びて庭が明るい
バイモは
気持ち良さそうだが

うまくいかない日もある

 

 

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