村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

鶴の岡

2019-01-31 22:51:33 | 短歌・俳句の事
鶴の岡
あふぎて見れば 
峰の松
梢はるかに
雪ぞつもれる
   金槐和歌集 源実朝

今日
目が覚めると
めまい
吐き気で
動けない
低気圧のせいかも

今日は月に一度の茶の稽古の初釜
着物も持ち物も
用意してあったが

お休みした
今はだいぶ力がついた
気がする
明日は病院へ
行く
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曙棗 アケボノナツメ

2019-01-30 23:38:27 | 村雨庵 稽古 
今日は水曜稽古
いつもより朝早く
お弟子様のユカさんが到着するので
9時頃には炭もおこり
釜も掛けた
その後はサワワさんが見え
お昼にアイテラ氏
午後にケンケンとKABA.ちゃん
4時過ぎ古志ちゃん
夜6時半に森金さん

炉は二ヶ所
七名の稽古は
濃茶 薄茶 炭手前
順次
おのおの点前を終えると
時間差で帰る

朝のうちは
顔色が凄く悪かったのが
段々血色がよくなりました

一番の稽古をしたユカさんに言われた
「初めはひざ掛けの青色くらいの顔色でしたよ」
と言うが
あり得ない
青緑色のひざ掛け
と同じ顔色だったら
地底人だ
まあそれだけ
具合が悪そうだったのだろう

元気なお弟子様たちと
たくさんお喋りして
いくつものお稽古を見て
お菓子を食べ
お茶をのむ
今日一日
段々 元気になってきた
お茶のおかげ


写真は玄々斎好の曙棗
玄々斎37歳の時に生まれた長男の千代松(一如斎)
七歳の点茶始めの披露として
玄々斎が好んだ棗

形は香次形棗
朱塗に黒絵で
甲に鶴一羽
胴に松と亀を描く
本歌は八代宗哲 造
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かくこそありけれ

2019-01-29 22:56:27 | 短歌・俳句の事
世の中は
かくこそありけれ
吹く風の
目に見ぬ人も
恋しかりけり(古今475)紀貫之

世の中はこのようなものだ
吹く風のように目に見えない噂だけで
会ったことのないその人をも
恋しく思ってしまう


紀貫之
[870ころ~945ころ]
平安前期の歌人。
三十六歌仙の一人。
大内記・土佐守などを歴任。
紀友則・凡河内躬恒・壬生忠岑と
古今集の撰にあたり、
仮名序を書いた。
著「土佐日記」、家集「貫之集」など。
(デジタル大辞泉の解説ヨリ)

紀貫之は
古今集の撰にあたり、
仮名序を書いた。とある

やまとうたは
ひとのこころをたねとして
よろづのことのはとぞ
なれりける

大和歌/倭歌
の反対語は唐歌カラウタ
漢詩のこと

日本の和歌は
人の心を種として
万ヨロズのことのは
たくさんの言葉となりました

短歌をつくろう
今年初の短歌
普通は一行に書くのだが
私は分けて書いてみた

年齢を
重ねても
なお
美しき
金糸銀糸の
晴れ着の茶人ら

赤々と
燃ゆる炭の火
覗き込む
ふくよかなりし
客らの
面オモテ

村雨庵

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餅くうやどりかな

2019-01-28 23:52:29 | 短歌・俳句の事
しのぶさへ
枯て餅かふ
やどり哉 芭蕉

しのぶさえ枯れて
のしのぶは
植物の「しのぶ」と
昔を偲ぶと掛詞になっている
しのぶさえも枯れてしまっている
荒廃している神社を見ながら
茶店でお餅を食べている
ところらしい
やどりは
仮にとどまること

昨日届いた寒餅を
今日は朝から焼いて食べた
美味しいのなんの



少し具合が悪いから
今日のお茶碗研究会をお休みした
このところ色々予定を休んでばかりで
ずっと家で寝ている
無理はしないことにした


YouTubeで
落語を聞きながら寝るのが
習慣になっている
よく聞く落語家は
立川談志
古今亭 志ん朝
柳家小三治
昼間でもテレビが面白くないときは
これにするが
すぐに寝てしまう
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大空の月

2019-01-27 23:25:48 | 短歌・俳句の事
おほそらの
月のひかりし
きよけれは
影見し水そ
まつこほりける

読人しらず
古今和歌集


日本で一番古い歌集は奈良時代に作成された
「万葉集」

「古今和歌集」は
日本最初の勅撰和歌集
平安時代
醍醐天皇の命で紀貫之らが編集


風邪をひいたらしい
首もまだ痛く
安静中だ
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寒き都の

2019-01-26 21:59:54 | 紫廼茶話会
水仙や
寒き都の 
ここかしこ
   与謝蕪村


今日はとても 寒い
朝起きると首がいたく
右にも左にも少ししか
回らない
今も肩回り
と首筋が痛い
筋肉が固まって寝返りが大変だ
こんな
ちょっとの事でも
気が凹む

出掛けたくないが
年をとると
冬季うつ病もあるから
なるべく外出しようと
そう思う

それでより
落ち込むことも
ある


紫兎先生の七事式のお稽古
お休みが多く
先生もご参加されて
仙遊と投込花月
後はお喋りの時間
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バイモ(貝母)

2019-01-25 23:07:41 | 植物・茶花
貝母バイモ

写真はうちの庭
貝母がもう葉を伸ばし始めた
まっすぐに葉を伸ばす
元気そうだ


貝母の
鱗茎を乾燥させて生薬として使うようだ
別名
アミガサユリ(編笠百合)
テンガイユリ(天蓋百合)

まだまだ
咲くまで時間が
かかる

貝母の人生が始まったばかり
雪など積もれば
葉は倒れてしまう
猫に踏まれて折れるかも
心配であり
花咲く迄
楽しみでもある
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春の長閑さ

2019-01-24 23:30:46 | 村雨庵 稽古 
16日は歌会始
お題は「光」

今日の掛けもの
色紙は以前にも掛けたので
下記はその時の自分のブログから
コピーしたもの

寛延二年正月12日
院御所歌会始
陽春布徳 院御製
楽しめる民の心も安国の
代は花鳥の春の長閑さ

寛延二年は1749年
己巳
この時の天皇は桃園天皇
江戸幕府は9代徳川家重
江戸中期末だ
幕府も安定し
花鳥の春の長閑さを楽しんだのだろう 


昨日の掛けものの日付は
1861年
今日の日付は
1749年
その差は112年
比べてみると
約百年の違いが
わかるような
わからないような

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位山クライヤマ

2019-01-23 23:46:21 | 村雨庵 稽古 
今日は水曜稽古
掛けものは 自画賛
山の絵と短歌
筆者は
狩野雅信カノウタダノブ

歌の読みは
くれないの
扇かざして位山クライヤマ
とりて老いるを
のどかにぞ まつ

万延元年1861カノトサル12月26日
勝川院法印


狩野雅信カノウタダノブ
1823~1879
文政6~明治12.8.8
幕末明治の画家。
勝川院と号した。
狩野晴川院養信の子。
弘化2(1845)年法眼,
文久1(1861)年法印となる。
木挽町狩野家10代目で最後の人。
門下から明治期に活躍する
狩野芳崖や橋本雅邦らが出た。
(朝日日本歴史人物事典ヨリ)


【位山】
くらい‐やま
[1]位の昇進を山を登るのにたとえた語。
位の山。

[2] 岐阜県中北部、飛騨山地の
ほぼ中央にある山。
日本海、太平洋両斜面の分水界をなし、
イチイの原生林で知られる。
標高一五二九メートル。

(精選版 日本国語大辞典の解説ヨリ)

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四門シモンとは

2019-01-22 23:24:15 | お勉強
石山寺の狩野孝信筆の紫式部の画が有名だ
その軸の上のほうに
色紙が三枚あり
その右の色紙には
有門ウモン・空門クウモン・
亦有亦空門ヤクウヤククウモン・非有非空門ヒウヒクウモン
と書いてあるとのこと

有門・空門・亦有亦空門・非有非空門
とは四門シモンのこと

四門シモンとは
1 東西南北の四方の門。
すべての門。
2 内裏で、
東西南北の四方にあった
建春門・宜秋門・建礼門・朔平門の総称。
3 仏語。
㋐密教の曼荼羅の四方に配された門。
東の発心門、南の修行門、西の菩提門、北の涅槃門。
㋑天台宗で説く、
真理に悟入するための四つの門。
有門・空門・亦有亦空門・非有非空門。
(大辞泉ヨリ)

真理に悟入するための四つの門
四門

全く 知らなかった
新しいこと
覚えられるだろうか
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松無古今色

2019-01-21 22:22:52 | 禅語・禅
写真は
昨日の羊の会の掛物だ

朝比奈宗源筆の一行
松無古今色
(松に古今の色無し)
対句がある
松無古今色 
竹有上下節

筆者は
朝比奈宗源
あさひな-そうげん
1891-1979 
大正-昭和時代の僧。
明治24年1月9日生まれ。
臨済宗。
京都妙心寺などで修行し,
鎌倉浄智寺住持をへて,
昭和17年円覚寺貫主。
20年円覚寺派管長。
38年賀川豊彦,尾崎行雄らと
世界連邦日本仏教徒協議会を結成,
会長となった。
昭和54年8月25日死去。
88歳。
静岡県出身。
日大卒。
号は別峰,平等軒。
著作に「無門関提唱」,
訳注に「碧巌録」など。
(日本人名大辞典ヨリ)



41才の時に病気になった私は
朝比奈宗源の
「仏心」という本を
すがるように読んだ

本棚に今もあるが
この古本の値段
驚くほど
高いのに 驚く

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彭祖宗哲

2019-01-20 23:24:06 | 羊遊会
ひよどりのこぼし去りぬる実のあかき 蕪村

「鵯 ヒヨドリ」は秋の季語ゆえ
これは秋の俳句

今日は羊の会
写真はそのお庭から見た
お隣のおうち
庭の木にひよどりがやって来て
きぃーと鳴いている
枝に留まっている所を三枚撮った
出来上がって見ると
そのうちの二枚に
丸い玉のようなものが
たくさん写っている
偶然の光の関係だろう
とても綺麗だ
鳥は上の方の枝に見える

今日のお稽古は
且座と貴人清次花月と
結び袱紗花月

その時使った薄器は
森金さんのお道具で
老松棗
立派な箱書きがあり
箱の底にも落款がある
「塗師 宗哲 印」
それを調べると
三代彭祖宗哲だった

三代宗哲
1699~1776
通称:八兵衛
幼名:鍋千代
号:方寸庵・漆翁・漆桶・勇斎・公弼・紹朴・芹生

幼少で両親に死別したが、
表千家6代・覚々斎、
7代・如心斎らに引き立てられ、
若年にして「七事式」制定に参加。
俳人であり、与謝蕪村、几菫、堀内仙鶴らと
親交を結ぶ。
代表作に覚々斎好・ブリブリ香合、
少庵好・彭祖棗など。
(ウィキペディアより)

三代 宗哲
安永5年(1776)78歳没。
名は方寸庵、漆桶、勇庵など。
御所御用にて後桜町帝の御即位調度を作す。
茶道を究め大龍和尚に参じ、
覚々斎、如心斎の信を得、
七事式制定に参画す。
俳諧を堀内仙鶴に学び、
蕪村、几菫と親交。
70歳に700の棗を作らんと、
彭粗700歳に因み俳句を付し、
彭粗宗哲と呼ばれる。
重厚な作風で夜桜棗など特技とした。
(歴代宗哲略伝ヨリ)

勉強になる ね

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金屏の松

2019-01-19 23:06:10 | 茶事 茶会 
金屏の松の古さよ冬籠り 芭蕉

今日は某所にての初釜
このところ具合が悪めだったが
参加のお願いをしてあったので
社中四名揃って参加した
寄付から腰かけ
蹲つかい席入する
蓬莱山飾りの床に六角柳
挨拶のあと
結び昆布と小梅の肴で
まずは祝いの盃を頂戴
台子にて初炭
香合拝見の後は
常のように懐石
相伴のあと小吸物に八寸
肴にと私め小謡を謡う

習いたてで上手くはないが
別に謡うのが嫌でもない
初めのうちはお経みたいだったが
だいぶそれらしくなってきたと
みんなの感想
嬉しくもあり
今日も
調子に乗った

恒例の花びら餅がでて
露地へ降りて銅鑼を待ち
後入りで濃茶は島台
その後薄茶
福引きとなる

毎年自分たちも何かを持参して
それを福引きにする
のだが
だいたいいつもくじ運が悪い
今回も同じだった
期待せず
今年も行こう
それでも
茶は楽し だから
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寒餅

2019-01-18 23:24:09 | 懐石・料理
乾鮭も空也の痩も寒の中 芭蕉

小寒から寒の入り
大寒を経て立春で
寒の明けとなる

寒の最中についたお餅を
寒餅というが
なまこ餅とかいう
豆や胡麻の入っている
あのお餅が私め
大好きなのだ
でも肥るから
今年はどうしよう
頼もうか
止めようか
電話しようか
どうしよう

そう思っていたところに
今日
去年も頼んだお餅屋さんからの電話
外出してたら
とれなかったのに

「今年は如何しましょうか」

早速
胡麻入りと海苔入りと大豆入りをお願いします

気分よく頼んだ
何事にも
タイミング
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長生殿

2019-01-17 23:07:16 | 村雨庵 稽古 
今日は木曜稽古
写真のお干菓子は
森八の長生殿と
鶴屋吉信の柚子餅

長生殿は
お謡の一番初めに習った
「鶴亀」の一番終りのほうに出てくる
 
『君の齢も長生殿に 
君の齢も長生殿に 
還御なるこそめでたけれ』

この長生殿は
華清宮(今の西安市臨潼区)
にあった唐代の建物の名。
白居易『長恨歌』の句
「七月七日長生殿」で有名。
(ウィキペディアより)

森八のお菓子の名前は
この鶴亀から取ったのだろうか

ともあれ
お目出度い
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