村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

心あてに

2024-06-30 23:14:16 | 短歌・俳句の事

心あてにそれかとぞ見る白露の
光添へたる夕顔の花
 源氏物語、夕顔

今日は日曜日
大河ドラマの
光る君へ
毎週
楽しみにしてる
むしろ
この為の
一週間でもある

それと アニメ怪獣8号
これが
とてつもなく良い
流れる音楽も激しい画面も
眼を話せない

テレビって
いつまでも見ていられるのだ
好きでない番組もあるが
録画してあるものを見れば
ほとんど飽きない

ときたま居眠り
ガクンと首を反らしてしまい
ムチ打ちの心配
何度もだ

妹がコロナで入院して一週間が過ぎた
熱も下がり陰圧室から普通の病室に変わった
ひとまず安心

外出もできず
ひとりで暇だったので
アイスクリームにお菓子に菓子パン
栄養も考えず
好きなものばかり食べ
好きなときに寝て
ゆっくり起きてた

いくらでも自堕落になれるものだ

写真は
六月の17日のパレスサイドホテルの 白鳥

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ひるがほや

2024-06-29 21:33:02 | 短歌・俳句の事

ひるがほやあぶなき橋に水鏡 千代女


午前11時から日本陶磁協会のオンライン講座

講師は宮武慶之 氏[同志社大学研究員
「”目利き”とはをテーマに」
第1回は
「江戸の材木商・冬木屋-ふたつの唐物茶入の流出後-」

時間になりズームを見る
油屋肩衝と冬木弦付の茶入のお話し

知らないことばかり
勉強になった

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蘆の下葉の隠れゆくかな

2024-06-28 21:45:43 | 短歌・俳句の事

 源経信
五月雨に玉江の水やまさるらむ
蘆の下葉の隠れゆくかな

源 経信
ミナモトノツネノブ
平安時代後期の公家・歌人。
官位は正二位・大納言。
桂大納言と号す。
小倉百人一首では大納言経信。
主君は
後一条天皇→後朱雀天皇→後冷泉天皇→後三条天皇→白河天皇


外は激しい雨が降っている
パラパラと脇にある茶のノートを手に取ると

塗師の道志と道恵のことがかいてあった

道志は満田 石州の定塗師
満田道志ミツダドウシ

道恵は近藤 加賀前田家代々ご用絵師近藤道恵コンドウドウエ

江戸初期から続く塗師の家系がたどれるのは
中村宗哲家のみ
満田道志家 近藤道恵家も明治維新後には家業が成り立たなくなったようだ
蒔絵の山本春正家も江戸初期から十代続いたが
やはり明治期に絶えている

と私のメモ

写真は切りぬきの藤村庸軒好みの食籠

 

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夏河を越す

2024-06-27 20:31:45 | 茶の事

夏河を越すうれしさよ手に草履 蕪村

先週の稽古のあと
朱色の帛紗を誰か忘れていった
名前は書いてないけど
多分○○さん

帛紗を腰につけるのは
中国の風習の
悪気からの護身のため腰につける
「佩玉ハイギョク」からきてるとの説がある

茶では
亭主であることの表示と
清浄心を現すため
腰につけると言う

帛紗
袱紗
服紗
福紗とも書き
もとは寸法も色々だった

茶で使う帛紗は
武野紹鴎の頃からあったようで
利休が小田原出陣の際
妻の宗恩が
棗を包むのに作った寸法が手頃であったので
寸法として一定し
五寸の古帛紗も宗恩が考案したとかは
有名な話し

帛紗は使い捨てが本来だが
古帛紗や出し帛紗は鑑賞の対象とも
茶人は
帛紗と古帛紗や出し帛紗を常に所持
つけるときは
帯のラインに垂直になるようにする
業躰先生にまず注意されるところだ

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ゆきかふ道も見えぬまで

2024-06-26 21:43:17 | 短歌・俳句の事

 曽禰好忠
野中にはゆきかふ道も見えぬまで
なべて夏草繁りあひけり


わが庭はすでに夏盛り
夏草が背が高くなった
奥の方には宗旦木槿が花咲いた
秋海棠も花さいて
松明草に高砂芙蓉
今週は稽古も休んだので
せっかくの花が使えないが
また咲いてくれるだろう


今日行く
今日用がある

老人に必要な
キョウイクとキョウヨウ
教育 教養
と言われるが
妹の関係で
しばし外出できず
お茶のお稽古のお弟子様をも
おやすみ

となると必須なのは
ゴミ出しの曜日だけ
その他のことは
何もない

幸い自分は熱もなく
喉も痛くない
ボーッとしてビデオを見る
黒澤明の白黒映画
「生きる」
主演の志村喬が
祖父に似てた

写真は松明草

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木下闇コシタヤミ

2024-06-25 14:47:03 | Weblog

あゆみあゆみ
あとや見らるる
木下闇コシタヤミ
       千代女


今日は火曜日
土曜日のお茶事のあと
日曜日は用事もなくゆっくり
午後から妹の足元がフラフラ
どうしたのと支えていたら
二人で倒れてしまった
妹は太っているので
私もだがそれ以上に重たい
倒れる時はゆっくりだったが
起こせない
腰がいたいと言うし
覚悟を決めて
救急車を呼んだ
すぐ来てくれたが
熱がありますよと言われ
そうかそのせいで
足がフラフラだったのだ

日曜日午後六時過ぎ救急病院へ
途中で先生が
コロナです
入院です
とのこと
ビックリしたが
フラフラは頭とかでなかったので
安心
その間に3件の救急搬送
私が家に戻ったのは二時間半すぎて夜10時頃

昨日月曜日は入院の手続き
今日は何もなく
ボーッとしてる

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逢い見ても

2024-06-22 19:34:55 | 茶事 茶会 

 読み人知らず
逢い見ても逢はでも嘆く七夕は
いつか心ののどけかるべき 

今日は土曜日
お弟子様のお茶事に招かれた

お正客は倍様
私めは次客
十一時席入の正午茶事
懐石は御酒が美味しい
皆さんは酒豪なので
つられて
ついつい過ぎる
懐石のあとの炭は
初炭所望

江戸千家の炭手前
胴炭は向こうにつぐ
風炉中拝見し
香合は唐物
菓子が出て中立

濃茶が始まると眠いのなんの
しばし癒しの睡眠時間
お茶が練られ総礼するも
まだ船をこいでいたので
正客にポンポンされた
ああ至福の時

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散る青葉

2024-06-19 23:28:38 | 村雨庵 稽古 

青うめをうてばかつ散る青葉かな 蕪村

今日は水曜稽古
新聞を取りに木戸を開けようと歩くと
両脇から木々が迫り
狭い通路が益々狭く
前の日の雨にしとどに濡れた葉の露に触れずには行けない
花鋏を取りに戻って
伸びてる枝をパシパシ切っていく
新聞を取ると帰りも左右を切って戻る
時間がないので足元に落ちた枝は足でジャカジャカ左右に押込み
掃除は又だ
木槿がまだ咲かず
アジサイもうちにはない
水引が順次かわいい花をさかせてはいるが
主にはならない
半夏生も白くなり始めた
それに
今年始めてさいた松明草の三種で
お弟子様に花をいれてもらった
木槿がさかないと
毎回花には不自由する
公園の木槿は咲き始めたようだが
我が家は日陰のためまだまだ

花を何にするか
いつも苦労する
友人宅では野草園のように
茶花を育てていたが
狭い狭い庭では
限られたものだけ

日頃の回りの植物は良く観察
いざというときに役立てよう
でも
キョロキョロと不審者風行動とならぬよう


庭のたいまつ草

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短夜のともし火残る

2024-06-17 19:00:07 | 食事会

短夜のともし火残る御堂哉 子規

今日は山の誕生日会
場所は東京駅すぐの
pomme d' Adam ポムダダン
丸ノ内ホテルの 八階
外の景色はすこぶる良い

珈琲のあとプレゼントも交換してないし
喋り足りないし
少し歩いて
パレスホテルへ
珈琲を注文して
御祝を渡してお菓子などの物々交換
今日のお料理などのお喋り
次は11月
今度はイタリアンが良いと言うことになった

 

 

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たちばなの花散里

2024-06-15 20:05:42 | 村雨庵 稽古 

 大伴旅人
橘の花散る里のほととぎす
片恋しつつ鳴く日しぞ多き

今日は跡見の茶事
水屋は大したことをしないが
私めは一応水屋担当

茶会には7種類の方式がある
茶事七式 という
暁の茶事、
朝の茶事
正午の茶事
夜咄 の茶事
不時 フジの茶事
飯後 ハンゴの茶事
跡見 アトミの茶事
今日はその跡見茶事

朝茶事または正午茶事の後
引き続き行なう
または日時をかえて行う茶事

参会できなかった招待者や
当日招待されなかった人々の申込みにより
茶事の趣向や道具を使って披露
ただし懐石は同様にせず
その時々で考慮する
融通無碍な茶事だ

下記は2016/3/5の拙ブログの記事

跡見の時 知らせの鳴り物うたぬ事なり

鳴らさぬように客は早くはいる
濃茶の後炭が良さそうなら続き薄茶
立ち炭をしても良い
中立なくば
諸荘
又は濃茶の後花を軸に買えてもよし
軸の所望をしても良い
茶の順などは決まってなく
薄茶のみでもよい
続き薄茶でもよい


跡見の茶事
来月もある

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後の世を

2024-06-12 21:54:56 | 村雨庵 稽古 

藤原有家
後の世を知らせがほにも篝火の
こがれて過ぐる鵜飼舟哉

藤原有家フジワラノアリイエ
久寿二~建保四(1155-1216)
藤原重家の3男。
母は藤原家成の娘。
従三位,大蔵卿となる。
六条家の有力歌人で,和歌所寄人,
「新古今和歌集」撰者のひとりにえらばれた。
「千載和歌集」以下の勅撰集に67首がはいる。


今日は水曜稽古
届いたお菓子は練切の撫子と
生麩まんじゅう

夏らしい
美味しかった

写真はうちの猫
ミーちゃん

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あすは知らねど水色に

2024-06-09 18:52:44 | 短歌・俳句の事

 樋口一葉
飛鳥川
あすは知らねど水色に
今日はにほへる
あぢさゐの花

昨日の話し
昨日は土曜日
銀座の古美術店の茶会があると
先生からのお誘いあり
12時の席入
店内の茶室は夏向きの設え
狭いが茶の雰囲気はたっぷりだ
使われた道具はみな手にとって拝見した
その後
もう一軒目の茶道具店のお茶会へ
次々とお道具の拝見

箱も回ってくる
展示の茶道具を拝見
私の他は皆さんそれぞれお買い求めなさって
幸せ

何か欲しかったけど
家の道具の山をみると
くじけた

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明易き アケヤスキ

2024-06-07 23:38:17 | Weblog

明易き みずに大魚の 行き来かな 龍之介

茶道具にも色々あるが
棚は実に嵩張る
特にわが家ては紹鴎棚の収納に困ってる

前に紫兎先生から譲って頂き
炉の季節に使ったが
日常に使えず
階段下の納戸に入れたり
障子の後ろの廊下に置いたり
出すのも大変
仕舞うのももっと大変
差し上げるからと言っても
お弟子様やお友達
快い返事はない
紹鴎棚はちょっとした家具
和室においても違和感無い
炉開きや初釜に相応しい
塗師は茶平一斎だし
良いものですよ
勧めるがなかなか

この棚は二年前の茶会で使ったあと
桐の箪笥のような外箱に入ったまま
四畳半の隅にずっと置いてある
その上には座布団やら紙袋
お習字の紙などなど山積みになっている
酷い状態だ

ダメもとで若いお友達のシモちゃんに声をかけると
欲しいと言う返事
気の変わらない内に
早くとりに来て と思っていたら
金曜日行きますと
ライン
今日の午後に車でやって来た
四畳半のにじり口の
戸を開けると
すぐ見える よしよし
上に乗ってるお習字の半紙と条副の用紙と
その上に乗ってる毛氈
そのまた上に座布団
取り退けて
いざ出そうとすると
なに 風呂敷が引っかかって出ない
包んであった風呂敷を取り去り
さあ出すぞとおもったら
重いのなんの
桐の箱の倹飩の蓋をあけ
なかの天板を抜く
地袋の襖と天板をはめる四本の

それから長四角の棚を引き出し
桐の箱だけにして外へ持ち出す
これは軽い
後部の席には乗らない
車の後ろに開け口を上にし
分解した棚の内部を静かに納める
じたばたしてると
シモちゃんの車の後ろに
もう車が待ってる
焦る焦る
挨拶もそこそこ出発
手を振った
やれやれ
その後のもろもろも広がったまま
それはまたの日にしよう

まずはお菓子とお茶だ お茶

 

 

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雫あつめて朝日かな 

2024-06-05 22:03:40 | 村雨庵 稽古 

紫陽花に雫あつめて朝日かな 千代女

今日は小熊の会
七事式の稽古

「花月」 
「且座」 
「廻り炭」 
「廻り花」 
「茶カブキ」 
「一二三」 
「員茶」  

今日は
「且座」のお稽古
花・炭・聞香・濃茶・薄茶の順

 且座之式は、
臨済宗の宗祖
臨済義玄の語録
「臨済録」の
「且座喫茶」からとられた

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六月は酒を注ぐや

2024-06-03 21:39:53 | Weblog

 与謝野晶子
六月は酒を注ぐや香を撒くや 
春にまさりて心ときめく

三井記念美術館
展示室1にあった黒楽茶碗
重要文化財
「俊寛」シュンカン

俊寛は
平安時代の僧侶。
僧都。
康治2(1143)~治承3(1179)
祖父は大納言源雅俊。
父は仁和寺法印寛雅。
後白河院の信任を得た。

藤原成親,師光らは
俊寛の鹿ヶ谷 (ししがたに) の山荘に会合して
平氏打倒のための相談をしたが (→鹿ヶ谷事件 ) ,
多田行綱の密告によって発覚し,
治承1 (1177) 年6月逮捕されて
共謀者藤原成経,平康頼らとともに
薩摩鬼界ヶ島に流された。
翌年中宮御産の大赦により,
成経と康頼は京都に召還されたが,
俊寛は許されずに島に残された。

俊寛は
能の曲名でもある。
四番目物。
五番立の能の
神,男,女,狂,鬼の
狂にあたる。

中宮の安産祈願のため,
大赦を伝える赦免使 (ワキ) が
鬼界ヶ島へ下る
島では,
流人の丹波少将成経 (ツレ) と
平判官康頼 (ツレ) が,
熊野三社を勧請して都への帰参を祈る。
俊寛 (シテ) は
道迎えに2人に酒をすすめて
都をなつかしむうちに,
赦免使の船が着き,
成経,康頼の大赦を伝える。
赦免状にわが名のない俊寛は驚き悲しむ (クセ) が,
赦免使の船は成経と康頼を乗せ,
船にすがる俊寛を残し,
都でとりなすと約しつつ去っていく。

同じ題材で浄瑠璃では
享保4 (1719) 年8月に
近松門左衛門作『平家女護島』が
大坂で初演された

利休が手に取っただろう
黒楽茶碗 俊寛
いまでもまな裏に残っている


写真はヤマボウシ

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