村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

高嶺星

2015-03-31 22:26:18 | 紫廼茶話会
水原秋櫻子の短冊

高嶺星蚕飼の村は寝しずまり 

高嶺星タカネボシは
高い嶺・頂上などに上って見る星
蚕飼コガイは春の季語

水原秋櫻子は
水原 秋桜子(みずはら しゅうおうし、
1892年(明治25年)10月9日 - 1981年(昭和56年)7月17日)は、
日本の俳人、医師・医学博士。
秋櫻子とも表記する。
本名は水原豊(みずはら ゆたか)。
松根東洋城、ついで高浜虚子に師事。
短歌に学んだ明朗で叙情的な句風で「ホトトギス」に新風を吹き込んだが、
「客観写生」の理念に飽き足らなくなり
同誌を離反、
俳壇に反ホトトギスを旗印とする
新興俳句運動が起こるきっかけを作った。
「馬酔木」主宰。別号に喜雨亭。
《ウィキペディアより》





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狩野尚信

2015-03-31 02:24:53 | 茶道具、古美術、骨董
馬から布袋様が転げ落ちている
それを馬が見ている
愉快な絵だ

絵の筆者は狩野尚信カノウナオノブ
探幽の弟だ
F先生が掛物を御覧になるとすぐ
「松花堂かなぁ」と仰った
いえ
「尚信です」
「そうか尚信ね、尚信は松花堂の絵の先生だからやはり似てるね」との事
そうでしたか
知らなかった



狩野尚信は
探幽の画風に多くを学びつつも、
そこから一歩踏み出し、
探幽以上に湿潤な墨調をもち、
次男という自由な立場故か、
余白や構図にも探幽を超える
大胆さを垣間見せる作品が残っている。
大和絵の白描技法を水墨画の人物描写に応用し、
漢画の和様化に寄与した。
近衛家熙は『槐記』のなかで、
古今に超絶したものだと高く評価している。
一方、金碧障壁画の着色作品は、
対象を単純化しようとする傾向が見られ、
探幽が
金碧画の中にも和様化を目指したのに対し、
尚信は
装飾化へ向かおうとしたようである。
ただし、尚信の代表作には障壁画以外に
濃彩画が残っておらず、
尚信は着色金碧画には余り興味を持たなかったようだ。

探幽の弟子・木村探元著の『三暁庵雑志』では、
「探幽絵などとは違い、別て筆ずくなに書し画にて候」と評し、
不出来な作品は破り捨てていたため寡作だったという。
実際、現存する尚信の作品は多くはない。
江戸時代には探幽と同じくらい人気があり、
反面作品数は少ないため、
しばしば贋作が作られるほどだった。
《ウィキペディアより》




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村雨庵茶会・会記 於五島美術館

2015-03-29 23:04:12 | 村雨庵 茶事茶会

今日は茶会
朝はすっきりと青空
天気予報とおりに
午後にはひと雨あった

茶会は楽しい
特に茶室で友達に会うと
なおのこと嬉しい
その茶の妙味
感心

お越し頂いたお客様
お手伝い頂いたお水やさん達
感謝




濃茶席 松寿庵
 
冨士見亭寄付
床 富士山 浮田一画

本席
床 布袋画賛 藤堂家伝来
賛 大徳寺百九十世 天室宗竺 
画 狩野尚信
花 時のもの
花入 円能斎鉄中作 竹一重切 銘 青龍
香合 蝶 阿蘭陀 時代 町田秋波箱
袱紗  金モール
釜 野馬釜 時代
炉縁 神代杉七宝金蒔絵 川本光春造
水指 備前南蛮写 銘 清瑞 
大徳寺四百十八世 宙宝宗宇箱
  茶入 瀬戸肩衝 銘 知足 鵬雲斎大宗匠箱
仕覆 和久田金襴
茶杓 村田一斎作 共筒 小堀宗中箱
茶碗 飴楽茶碗 福田箔染子造
替 信楽 銘 仙窟 淡々斎箱 満岡忠成極
無地唐津 不東庵造
刷毛目 小堀宗慶箱
薄器 青貝七宝金輪寺 時代
蓋置 青竹
建水 砂張
水次 薬鑵 モール
茶 万の昔          奥西緑芳園詰
菓子 花のかげ 吉祥寺亀屋万年堂製
菓子器 縁高 真塗




薄茶席 古経楼
    
寄付床 桜の図 狩野勝川院筆
脇 画帖 跡見玉枝筆

本席床 中院通茂筆三十六人家集色紙 堀江知彦箱
桜ちる木の下風は寒からで
空にしられぬ雪ぞふりける 紀貫之
脇 茶家酔古集
花入 古銅饕餮文耳付花入 時代 小堀宗本箱
敷板 琉球漆器
香合 染付丸紋 大明成化年製
風炉先 名物裂扇面張混ぜ
釜 浜松地紋真形釜 加藤忠三朗造
炉縁  宗旦好 花筏蒔絵 輪島塗
棚   紹鴎棚 茶平一斎造
文箱  菊水蒔絵 時代
水指  砂張平水指 時代
棗   高台寺蒔絵 時代
茶杓  鵬雲斎大宗匠作 銘 松濤
茶碗  三島唐津 彫三島
替  扇面蒔絵 鵬雲斎大宗匠箱 久世久宝造
          高取 時代
数茶碗 色絵 岡田暁山造
蓋置  一閑人 出雲焼 長岡空権造
建水 塗
水次 曲
茶 花橘 奥西緑芳園詰
菓子 春の苑 吉祥寺亀屋万年堂製
   水 桜
菓子器 石橋家伝来 黒塗
桃花紋様漆鉢 讃岐彫 太田自適斎造
莨盆 行李蓋 一閑塗
火入 交趾 須田菁華造
莨入 蒟醤
煙管 淡々斎好 南鐐
   

第二講堂 点心席      有職製



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そせいほうし

2015-03-28 23:37:44 | 三十六歌仙
素性法師
素性(そせい、生年不詳 - 延喜10年(910年)?)は、
平安時代前期から中期にかけての歌人・僧侶。
桓武天皇の曾孫。
遍照(良岑宗貞)の子。
俗名は諸説あるが、
一説に良岑玄利(よしみねのはるとし)。
三十六歌仙の一人。



素性は遍照が在俗の際の子供で、
兄の由性と共に出家させられたようである。
素性は父の遍照と共に宮廷に近い僧侶として和歌の道で活躍した。
はじめ宮廷に出仕し、殿上人に進んだが、早くに出家した。
仁明天皇の皇子常康親王が出家して雲林院を御所とした際、
遍照・素性親子は出入りを許可されていた。
親王薨去後は、遍照が雲林院の管理を任され、
遍照入寂後も素性は雲林院に住まい、
同院は和歌・漢詩の会の催しの場として知られた。
後に、大和の良因院に移った。
宇多天皇の歌合にしばしば招かれ歌を詠んでいる。

古今和歌集(36首)以下の勅撰和歌集に61首が入集し、
定家の小倉百人一首にも採られる。
家集に『素性集』(他撰)がある。
《ウィキペディアより》


明日は茶会を披く
場所は五島美術館
お客様は72名様
水屋は21名
午後から雨らしい
日頃の行いが出るというから
仕方ない



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下萌え

2015-03-27 23:19:10 | 茶道具、古美術、骨董
東美 和美の会
金曜日と明日土曜の二日間
東京美術倶楽部 四階にて開催
11時に待ち合わせ
縞様と松風さんサカチカさんと四名
カタログから必ず見たいものをチェック
付箋を付けて出かけた
お目当てのもののいくつかは既に売約済み
もしくは売却済でちらとも拝見できず
頗る 残念
結構なるものばかり
しごく満足 

美術倶楽部のすぐそば
角の「かど」というお店で昼食
まぐろ漬丼とビール
四人で乾杯
相席のサラリーマンが羨ましいと呟いた




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田楽箱

2015-03-26 23:27:42 | 村雨庵 稽古 
昼間は研究会へ行く
今年は三月から始まる
三月は先生のお誕生日
毎年のことだが
お祝いの蘭の花
美しく咲いている
先生は94歳
おめでとうございます

今日から
天目のお話し
また教科書の一から始まる
昭和五十六年位から
わが茶道教室と同じくらいの時期に
お勉強に伺い
はや35年
今更ながら良い時期に
素晴らしい先生に出会ったと
感謝 

お庭に貝母が咲いている
この日曜日29日に
教室の35周年記念茶会を披くのだが
いつも最後まで悩むのが花だ
今回もまだ不安であるから
お庭の貝母をたくさん頂き
ひとまず 
安心

夜は
木曜稽古
縁高の代わりに
田楽箱に千草庵製の練切の桜



田楽
日本の芸能の1つ。平安時代に始る。
もとは田植えなどの農耕に歌舞を奏した
文字どおり田の楽であった。
平安時代後期には,貴族が遊興のために催すことも多く,
早乙女が苗を植えるのを田楽衆が
ささら,笛,腰鼓などで囃 (はや) して乱舞した。
本文は出典元の記述の一部を掲載しています。


田楽
豆腐,サトイモ,こんにゃくなどに串をさし,
調理味噌,木の芽などをつけて焼いた料理。
田楽の舞のうち,
鷺足と称する一本足の竹の上に乗るしぐさがあり,
この姿に似ているとして名づけられた。
同様に魚を焼いたものを魚田 (ぎょでん) という。
本文は出典元の記述の一部を掲載しています。
《コトバンクより》





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さくら咲く

2015-03-25 23:39:22 | 村雨庵 稽古 
水曜稽古

靖国神社の花も咲き始めた

きょうは
桜の絵
筆者は百僊
京都の画家 鈴木松年のこと
日本画家。京都生。
日本画家鈴木百年の子。
名は賢、字は百僊。
父に画を学び、国内外の博覧会、絵画共進会で活躍、
京都画壇に重きを成す。
豪放剛健な作風による山水・花鳥・人物画を能くした。
大正7年(1918)歿、70才

届いたお菓子
練りきりの桜と
花見饅頭

田楽箱にお菓子を盛る
すっかりお花見気分



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白もくれん

2015-03-24 23:23:14 | 植物・茶花
白木蓮に声を呑んだる雀かな 龍之介


茶会が近いので
花ばかり見ている
さて間に合う花はあるか

わが狭庭の
はくもくれんが 花を咲かせた
半開の厚ぼったい白い花びらの 
空へと開くその姿は
希望にあふれ 美しい

が 
花も終わり
一枚一枚はらはらと散りはじめると
その美麗な白色は酸化した茶色に変わり
なんとなく悲しい気分になる

庭をつくるとき
まず希望したのが白木蓮
でも
茶花としては殆どつかえない
わずかの日数に一度に咲いてしまう
木が高くなって背が届かない
台にのって切ろうとしても
植木屋さんが枝を切って
枝が短くなり
つかえないのだ

みじかい花のとき
鑑賞する

花が終わると 
鮮やかな緑色の葉が伸び始める
これも美しい
水うちわのような形で
少しガサガサしている

普通の木蓮は 葉と花が一緒に出る
はくもくれんとは違う
木蓮のほうが
少し小さい
両方好きだが
白木蓮のほうが上だ
香りもよい



別名:マグノリア、ハクレン(白蓮) 




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みなもとの むねゆき

2015-03-23 20:54:37 | 三十六歌仙
先日五島美術館の茶会へ行った
掛物はこより切
紙縒コヨリ切は藤原佐理筆
歌切れだが
中古三十六歌仙の一人の歌
名前は忘れてしまったが
説明された五島の名児耶先生が
中古三十六歌仙です解りますね
と仰った

中古三十六歌仙というのがある事だけしか知らない
それに三十六歌仙は
ただいま勉強中
それが済んだら中古に行こうぞ


今日は百人一首の28番
みなもとのむねゆき
小倉百人一首 28番 

山里は 
冬ぞ寂しさ 
まさりける 
人目も草も 
枯れぬと思へば


源宗于
源 宗于(みなもと の むねゆき、生年不詳 –
天慶2年11月22日(940年1月9日))は、
平安時代前期から中期にかけての官人・歌人。
光孝天皇の皇子是忠親王の子。
娘に閑院大君がいる。
官位は正四位下・右京大夫。
三十六歌仙の一人。


894年(寛平6年)源姓を賜与され、
臣籍降下する。
丹波権守、摂津権守、三河権守、相模権守、信濃権守、伊勢権守などの国司を務めるなど
地方官を歴任し、
また兵部大輔、右馬頭を務めた。
天慶2年(939年)正四位下・右京大夫に昇進したが、翌年に没した。

「寛平后宮歌合」などの歌合に参加、
紀貫之などと交流があった。
『古今和歌集』(6首)以下の勅撰和歌集に15首入集。
家集に『宗于集』がある。
『大和物語』に右京大夫として登場する。
《ウィキペディアより》


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みなもと の きんただ

2015-03-22 21:32:28 | 三十六歌仙
源公忠

源 公忠(みなもと の きんただ、
寛平元年(889年)- 天暦2年10月29日(948年12月7日))は、
平安時代中期の官人・歌人。
光孝天皇の孫。
大蔵卿・源国紀の子。
官位は従四位下・右大弁。
三十六歌仙の1人。
滋野井と号す。


歌合や屏風歌で活躍し、
紀貫之からは辞世の歌を贈られた。
『後撰和歌集』(2首)以下の勅撰和歌集に21首が入集。
家集に『公忠集』がある。
また、香道や鷹狩に優れていた。

公忠は鷹狩の名人で、
『大鏡』に以下の逸話がある。
公忠は公務の間、予め馬をどこかに繋いでおき、
公務が終わるとすぐに
そのまま鷹狩に毎日のように出かけていた。
また、久世の雉と交野の雉の
味の違いを識別できるとの話があったので、
ある人が両方の雉を混ぜて料理し、
目印を付けて献上したところ、
公忠はそれぞれの雉を味わい分けたという。

ほかにも
『大和物語』・『宇治拾遺物語』・『江談抄』に逸話が残されている。
《ウィキペディアより》



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ゆりの木

2015-03-21 23:35:57 | 懐石・料理
昨日のこと
東博の常設展示を観たあとは
庭園内のレストランゆりの木へ
甘いものを食べて
お茶を飲んだ

今日も
過不足なく
いや思い切り食べ
何気なく体重計に乗ったところ
思った以上に多い
油断大敵という言葉がちらちら
脳裏を走るが
まだぼた餅が残っているはず


牡丹餅に夕飯遅き彼岸かな 虚子



高浜 虚子
(たかはま きょし、旧字体:高濱 虛子、
1874年(明治7年)2月22日 - 1959年(昭和34年)4月8日)は
明治・昭和期の俳人・小説家。
本名は高浜 清(たかはま きよし、旧字体:高濱 )。

ホトトギスの理念となる
「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。
《ウィキペディアより》






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上野・韻松亭~東博

2015-03-20 22:27:45 | 美術館・博物館
月に一度の茶の稽古
終わると
バイ様とミカワ様と
上野で待ち合わせ

東博
「みちのくの仏像」展 4月5日まで

日本航空のカレンダー三月には
岩手黒石寺の重要文化財の薬師如来坐像の写真
凛々しいお姿だ
先日テレビでも放映し見ていたが
実物を見たかった

平安時代の貞観4年なんと864年の仏様
ほかに
国宝の薬師如来坐像および両脇侍立像
福島・勝常寺 平安時代9世紀
こちらも素晴らしかった



仏様にたくさんお目にかかり
お彼岸に相応しいと
満足


ほんとに久しぶりに
韻松亭で食事した
食事の時間は二時間
お弁当に煮物椀とお酒を追加
まずはビールで乾杯



3月はお誕生日でしょうと
誕生日プレゼントに香袋など頂戴し
食事もご馳走になり
どちらも恐縮しつつも嬉しく頂いた




またコメント欄にはお祝いのお言葉頂きつも
お礼を申し上げず失礼いたしました
有難うございました

桜を見上げると蕾が微かに桃色になっている
このあたりが花見客でごった返すのも
もうすぐだろう

命二つの中に生たる櫻哉 芭蕉

さくらには
心を動かす何かがある



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無の字

2015-03-19 23:35:49 | 村雨庵 稽古 


趙州の露刃剣
寒霜光灼然
わずかに是如何と擬すれば
身を分かって両段と為す
五祖法演偈
      如々庵洞然書
そう書いてある


趙州とは唐の時代の僧

「無門関」の第一則に
「僧、趙州に問う、
 狗子(くす)に却て仏性有りや、
 また無しや、州曰く無」

ある僧が唐の禅僧・趙州に聞いた
犬にも仏性がありますか、ないですか
趙州が答えた
ないね

釈迦牟尼仏言、一切衆生、悉有仏性
お釈迦様は「一切の衆生、悉く仏性有り」と仰っているのだから
あるが答えだろうに
なぜ 無なの

趙州が「無」と言ったその本意を会得せよ
というのがこの公案の題目


深く深く考えて 悟ろう
できるひとは ね




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東方朔

2015-03-18 23:59:03 | 村雨庵 稽古 
今日の掛物は東方朔

ウィキペディアでは
東方 朔(とうほう さく、紀元前154年 - 紀元前92年)は、
前漢・武帝時代の政治家。
字は曼倩。

武帝に
「今年22歳になり、勇猛果敢、恐れを知らず、
知略に富んでいるので、大臣に向いていると思う」と
自ら推薦状を送った。
これを武帝が気に入り、
常侍郎や太中大夫といった要職につかせた。

後の歴史書などには、
彼の知略知己に富む様子がしだいに神格化され始め、
ついには下界に住む仙人のように描かれることとなった。
唐代の詩人李白は彼のことを
「世人不識東方朔、大隐金門是謫仙」と褒め称えている。

また、滑稽な行為をすることでも知られ、
中国では相声(中国式の漫才のようなもの)などの
お笑いの神様として尊敬されている。


『漢武故事』では
西王母が植えた三千年に一度しかならない桃の実を三つも盗んだ 
とあるとか


よく見ると確かに桃を三つ持っている
筆者は
喜多武清
江戸後期の絵師だったと思う





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スミイカ

2015-03-17 22:49:20 | 懐石・料理
今日は料理教室へ行く

スミイカのお刺身
背中に平の貝殻が入っているから甲烏賊ともいう
モンゴウイカ、シリヤケイカなどは近縁の甲烏賊
下ろしていた人の手はその墨で真っ黒になっていた
墨が多いのでスミイカと言うらしい
足は短い
エンペラは三角でなく頭の周りにフリルの様にひらひらしている
身は厚く 
江戸前の握りのネタとしても欠かせないとのこと
美味で非常に甘い。


魚貝図鑑で見ると
すみいか は
甲に平たい貝殻が入っているから
甲烏賊コウイカともいう
また針のようなものが先端にあるからハリイカ
関東では大量の墨をはくことからスミイカ(墨烏賊)
各地でマイカ(真烏賊)とも呼ぶ地域も多い。
生息域は海水生。
関東以西、東シナ海、南シナ海。
生態 は
水深10メートルから100メートルの砂泥の底近くに棲息。
春から初夏に浅場に来て藻などに産卵、そして死んでしまう。
孵化した子イカは浅場で成長。
夏には「新いか」として利用されるまでに育つ。
そして翌年春には成熟、産卵して死ぬ。
寿命は1年。
国産コウイカは関東のスーパーなどにはほとんど出回らない。
関西、西日本瀬戸内海沿岸、九州などでは比較的見られる。
関東では高く、関西でもやや高い。
夏から秋にかけては新イカが、
秋になると大きくなって冬に入荷の盛期を迎える。
新イカは東京をはじめ関東で非常に高値となり
キロあたり20000円を超える。
《ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑より》


墨烏賊の寿命は
一年
その命を
美味しく頂いた
感謝


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