村雨庵 茶の湯日記

日々是茶の湯

月の影より散る木の葉かな

2016-11-29 23:43:21 | 紫廼茶話会
吹く風の
さそふともなき暁の
月のかげより
ちる木葉かな
  樋口一葉

今日は
紫兎先生の奥伝のお稽古
寄付は横山清暉
待合は円山應挙の画
本席は大徳寺156世江月宗玩の一行
いずれも凄い

このまま
茶事でも
茶会でも


横山清暉とは
江戸後期の四条派の画家。
京都生。
初名は暉三、
字は成文・奇文、
通称は主馬・詳介、
号は霞城。
松村景文に学び、花鳥・山水・人物を能くする。
元治元年(1864)歿、73才



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イチョウの木の葉散る

2016-11-28 23:14:47 | お勉強
今日は○○研究会
昔から受付を担当している
お顔はよく拝見するが
お名前が思い出せない
仕方なくお名前を伺うが
そうそうと思い出す
お名前は確かにその人を表す

まだ11月だが
外は師走の風が吹きはじめた
イチョウの街路樹が一斉に
黄葉になり葉を降らしている


かみなづき
ねざめにきけば山里の
あらしのこゑは
木の葉なりけり
  能因法師

能因は中古三十六歌仙のひとり
百人一首では69番
 あらし吹く
 み室の山の
 もみぢばは
 竜田の川の
 錦なりけり


写真は
八勝館の庭



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名古屋八勝館にて時雨る茶会の紅葉狩

2016-11-27 23:32:49 | 茶事 茶会 他会記
名古屋八事の八勝館は
魯山人ゆかりの老舗料亭である
かつてエス先生と
愛知瀬戸の焼きものの旅で
伺った事があった
一度では記憶も定かではないが
今回
魯山人の展覧作品の説明を
されていた方が
その時の若奥様かとお声をかけると
エス先生を覚えてらして
嫁いで来たばかりのころと仰る
お綺麗なお姿や
二十五年前のその風景が
急によみがえってきた

八勝館のパンフレットには
《明治十年代、材木商が別荘として
建てた屋敷に旅館業を始めました。
創業は大正十四年
八勝館の名は明治時代、雲照律師による
禅語「八勝道」から由来し
又、別説には、ここが丘陵地で、
八方に山々が眺められた景勝の地で
あったためとも伝えられています。》

四千坪の庭園たも言われる庭は
何処の場所も写真も絵になる
濃茶薄茶と八勝館の松花堂弁当
向付と後からかやくご飯に汁
完食した
茶席はどの部屋も美麗で
洒落た造り
表千家と武者小路千家の席主
興味をそそられる結構なお道具
其の上お菓子も美味
席中にいられることで満足だ




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根津美術館 円山應挙

2016-11-26 22:44:15 | 美術館・博物館
今日はアサノの誕生祝い
原宿で待ち合わせ
エンボカ青山までタクシーで行く
お気に入りのランチを食べ
堀口さんちの珈琲をのむ
食事の店については
いつも評価の厳しいヤマが
今日は毒舌を吐かない
おしゃれなお店だと
感心していた

帰りは根津美術館へ
開催の展覧会は

館75周年特別展
円山応挙
「写生」を超えて
2016年11月3日(木・祝)〜12月18日(日)

応挙は1733- 1795
江戸中期~後期の絵師
京都画壇の
写生を重視した「円山派」の祖、
1766から
宋元画の銭舜挙に応ずと
応挙を名のる


入場券を買うのに
十五名ほど並んでいた
何処を見ても人ばかり
ロッカーを使おうと思ったが
ひとつも空いていない
一階の應挙展も人が一杯
ロビーもいっぱい
二階は少しいっぱい
庭もいっぱい
紅葉も始まり
写真を撮る人がいっぱい
私も
写真をいっぱい撮ったが
応挙の絵はかすめる程度に見たのみ
まあついでに来たのだから
仕方ないか


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海人の刈る藻

2016-11-26 00:56:44 | 文の会
今日は文の会
待ち合わせはイタリアンのレストラン
毎月予約して
お昼なのだが必ずワインにおつまみを頼む
ランチのコースを注文
パスタを三種類取って
シェアする
ここ中々美味しい

伊勢物語は、
歌人在原業平と目される人物の
一代記の形をとった
平安時代前期の歌物語である。
作者、成立年代は未詳

今日は65段まで読んだ
あまの刈る藻に
すむ虫の
我からと
音をこそなかめ
世をばうらみじ

海人の刈る藻とは
蓮月の歌集の名だ
もちろん蓮月は伊勢物語を読んでいて 
この名を付けたのだろう
としばし
話題に上がったが
前に読んだ時の方が
詳しく書いてある
来月もこの調子で
どんどん進もう



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伊勢大輔イセノタイフ

2016-11-25 00:16:58 | 女房三十六歌仙
伊勢大輔
いせのたいふ/いせのおおすけ、
989? - 1060?、
平安時代中期の女流歌人。
大中臣輔親の娘。
高階成順に嫁し、
康資王母・筑前乳母・源兼俊母など
優れた歌人を生んだ。
中古三十六歌仙、女房三十六歌仙の一人。

1008年(寛弘5年)頃に
一条天皇の中宮・上東門院藤原彰子に仕え、
和泉式部・紫式部などと親交し、
晩年には白河天皇の傅育フイクの任にあたった。
(ウィキペディアより)

「傅育フイクとは[名]身分の高い人の子に
付き従って大切に育てること。」

百人一首 61番
いにしへのならのみやこの八重桜
けふ九重ににほひぬる哉


写真の
満天星躑躅ドウダンツツジが美しい
袖垣を廻ると躙り口がある
アイテラ氏の庭

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海浜至近・新築新茶室拝見茶事

2016-11-24 01:12:53 | 茶事 茶会 他会記
窓から真っ正面に
富士山が見える
はずが
生憎の曇り空
いつまでも見ていたい
と言う 
後ろ姿は…
若きにはモデルか
いやデザイナーか今も
ファッション関係のお仕事の
そして
身長が一番高い
クマショウさんだ


今日は念願の
アイテラ氏のお宅訪問
社中の有志六名が参加
朝からウキウキと
お喋りもお酒も弾む
その声は高く
いつもながら騒がしく
只ただ五月蠅い



海の近く
新築の平屋建て
いつもなら
正面に富士の見えるお部屋で
海の幸、山の幸を頂き
主菓子を食べて庭へ出る

蹲いを使い
躙り口から席入すると
床には一行
話し尽くす山雲海月の情
筆者は南天棒

中原南天棒
鄧州全忠 トウシュウゼンチュウ
天保10年(1839)~大正14年(1925)
臨済宗の僧。長崎県生。
別号に白崖窟。
11才で得度、隠山惟琰・卓洲胡僊両派下の
24人の老師に師事する。
禅風の高揚に努め、乃木希典、
児玉源太郎らも参禅した。
晩年は西宮海清寺に住す。
自ら山中で切り出した南天の一棒を携え
人に接したことから、
南天棒と呼ばれた。
近世稀にみる豪僧として知られる。
大正14年(1925)寂、87才。
(コトバンクより)


たっぷりと練り上げた濃茶のみどり
吉向松月の楽茶碗
そのあと続けて
薄茶を頂戴する
気分もお腹も満ち足りた
日暮れも近づき帰路につく
お茶はアイテラ氏のおもてなし
美味しいお料理は可憐な奥様の
お手を煩わせたお心入れ
誠に恐縮至極
感謝感激雨霰
また機会あらば
海辺の美麗なる茶室にて
御茶一服頂戴仕りたく
御願い奉る
本日は 感謝
感謝あるのみ

あぁあ 楽しかった!


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後深草院少将内侍ゴクサインノショウショウナイシ

2016-11-22 21:54:55 | 女房三十六歌仙
用事のない火曜日
医者から貰った風邪の薬も
あとわずか
あちこち出かけているうちに
治ったようだ
写真は学校の横の道
アオギリの落ち葉が続く


後深草院少将内侍
ごふかくさのいんのしょうしょうないし
生年不詳 - 1265年(文永2年)頃没)
鎌倉時代初期に活躍した歌人である。
女房三十六歌仙の一人。
藤原信実の娘。
藻璧門院少将、弁内侍の妹。
花山源氏の資光王の妻。

姉の弁内侍と共に
後深草天皇の幼少期から出仕、
その在位期間を中心に
歌壇で活躍した。
また、連歌を得意とした点も弁内侍と共通する。

『続後撰和歌集』以降の勅撰集、歌合等の他、
『弁内侍日記』『菟玖波集』にも作品を残している。

特に『弁内侍日記』は、事実上、弁内侍と少将内侍の姉妹の歌日記と言えるほど、
少将内侍の登場場面が多い。
弁内侍の詞書から、
父信実に先立って死去したことがわかる。


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金色の小鳥の形

2016-11-21 23:59:07 | 茶の事
金色の
ちひさき鳥のかたちして
銀杏ちるなり
夕日の岡に
    与謝野晶子

今年も銀杏を頂戴した
月に一度の茶の稽古である

先日松山城での茶会があったが
空から瀬戸内海や淡路島が見えたことから
大八洲オオヤシマ
が話題に上がった
古事記や大八洲のこと
知っているような
知らないような
結局 
よく分からない

大八洲
おおやしま とは

日本の古称。
国生み神話に由来する国名。
『古事記』では,
イザナミノミコト所生の
淡路,
伊予 (四国) ,
隠岐,
筑紫 (九州) ,
壱岐,
対馬,
佐渡,
大倭豊秋津島 (本州) の
8つの島から成る。
とのこと
だ…

床の花は
満作と白玉椿


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畠山記念館平成28年秋季展

2016-11-20 22:51:14 | 美術館・博物館
今日は畠山記念館
平成28年秋季展
「天下人の愛した茶道具」
12月11日まで

受付で貰った展示品一覧の表紙には
唐物茶壺の写真
銘は十五夜

家康が大坂夏の陣の時に忠臣に与えたという
茶壺の口覆いは最高のきれ地を使う
それは花菱文金蘭
武家らしく引き締まったきれ地
真行草に飾り結びされているその紐は
絹のその自分の重みで
茶壺に添ってとろりと垂れている
紐も上等だ

国宝 煙寺晩鐘 伝牧ケイ
もとは巻物だからか
妙に横長だ
表具がすごい
一文字は紫印金の牡丹文様
足利義満の「道有」の鑑蔵印が押されている
伝来は義満、松永久秀、織田信長、徳川家康、紀州徳川家、前田家へと伝来
この展示は20日まで

30番目に香木蘭麝待がある
これもお見逃しなく


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紅葉ちる

2016-11-20 00:18:56 | 紫廼茶話会
紅葉ちる
音は時雨のここちして
こずゑの空は
くもらざりけり
 藤原家経朝臣

今日は
七事式のお稽古
科目は壺荘付花月と
濃茶付花月と
三友之式

三友之式は
花寄せをして
折据を回し月花を名乗り
月は香を焚き
花は薄茶を点て花月になるのだ
花寄せでは五名が花をいけるので
何種も花がいるのだ
でも
炉の花はまだ少ない
椿は咲かず
菊の花を何種も用意された
花は良い
花を活けたあとはもっと良い風情だ
稽古のあとも
片づけずそのまま床にかざりおくとのこと
来月のこの会はもう12月
今年もあと四十日あまり…


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内口切の茶事

2016-11-18 23:40:38 | 茶事 茶会 他会記
七日間精進潔斎して
と言うわけにはいかないが
心して色無地の紋付を選んだ
白の抜き紋がくっきりと映える
鬼シボ縮緬の色無地
色はあかつち色とでも言うか
煉瓦のような色
之を着ると身が引き締まるのだ
  
今日は内口切の茶事に参加
役は正客
席入りは十時半
寄付から待合
汲みだしを頂き
床を拝見して露地へ
迎付のあと蹲いを使い席入
挨拶済み
すぐさま茶壺の拝見となる
亭主は茶師の黒色の印を確認
運ばれてきた口覆ともに拝見した
その後亭主は口切をし
水屋は選んだ茶をひく
祝い膳の
吸物八寸が運び出される
吸物は京風雑煮
写真がそれだ
壺々には五色膾
八寸は田作り数の子黒豆の三種盛り
まさに茶の正月

初炭手前があり
菓子椀に菓子
織部饅頭に柿と栗
中立の後
席入
濃茶は
脇床の利休様に供茶のあとに
台天目にて茶を練る
亭主は試しにそれを飲み
カン付けに出された天目茶碗を
取りに出た
いつもと違い
挽き立ての茶は粒子が不揃いで
味わいも深い
茶入茶杓仕覆拝見のあと
懐石が始まる
四つ椀汁替え煮物椀
焼き物預け鉢進肴
飯器で亭主相伴ご挨拶
相伴の後は香の物と湯桶
箸を落とし膳が下がると
小間へと動座し
薄茶
そして一会は終わる
口切りの茶事は経験があったが
内口切は初めての経験

何でも参加するに限る
道具も素晴らしく
大変勉強になった
来月は
年忘れの夜咄の茶事
楽しみは茶事に尽きる



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小春かな

2016-11-18 00:20:33 | 村雨庵 稽古 
武蔵下総山なき国の小春哉
夏目漱石

【小春】とは
初冬の、穏やかで暖かい
春に似た日和が続くころ。
また、陰暦10月の異称。


今日は木曜稽古
遠くからアイテラ氏が稽古に見えたが
わりと暖かかったようだ
いわゆる小春日和

最近
お弟子様が少なくなった
四街道のkabaちゃんは
遠いところから頑張ってお稽古に見えていたが
いろいろあって
しばらくお休みとのこと
高校一年生の女の子は
塾の勉強強化他で
来なくなる

まあ色々あるが
お一人でもお弟子様がいらして下さるなら
お稽古いたします
どうぞどうぞお越しのほど
と言うわけだ
今日の夜は
森金さんお一人
お稽古に使った
茶入は古染付
茶杓はお稽古用の家元の写し
11月は11代玄々齊を使う
仕覆は雲紋




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海辺紅葉

2016-11-17 00:11:56 | 村雨庵 稽古 
今日は水曜稽古
掛け物を千種有功の
海辺紅葉にしたが
一部が全く
よめない
必死に調べ考えてみたら
よめたのだ


時雨シグレつる
和田の笠松
変わらねど
武庫ムコの山辺は
移ろいにけり 有功アリコト


以前はどうしても
読めなかった歌が
今日やっと
ホントにやっとのことで
読めて
意味も
私なりに分かった

和田の笠松とは
鎌倉時代の
為家の歌に出てくる


秋風の
吹き来る峯の村雨に
さして宿かる
和田の笠松  藤原為家

笠松はむかし
兵庫県神戸市にあった松で
それは港に入る
目印だったようだ
松は代々植え継がれ
有功の歌には
変わらぬ
とあるのだから
まだあったのだろう
戦災により消失とあるので
今は無いらしいが


和田の笠松は
為家の鎌倉時代と変わらぬ
常盤の緑色を
今も時雨に濡らし
艶やかに緑を深めるのです
そして
武庫の山はご覧なさい
紅葉に色づきなんと鮮やかでしょう
こちらは日々移ろい
刻々と変化していますよ

私の解釈

武庫(むこ)とは
兵庫県摂津地方の古地名で、
尼崎から兵庫までの沿海部を言う。
らしい

読めて良かった
嬉しい




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小式部内侍コイキブノナイシ

2016-11-15 21:53:38 | 女房三十六歌仙
どうも風邪をひいたらしい
喉がいたく
歯が痛く
耳が痛く
こめかみが痛く
ホントに風邪か?
ともあれ行きつけの内科へ
薬を貰った
こういうときは寝てるに限る


小式部内侍
こしきぶ の ないし、
999- 1025
平安時代の女流歌人。
掌侍。
女房三十六歌仙の一人。
父は橘道貞、
母は和泉式部。
母の和泉式部と共に一条天皇の中宮・彰子に出仕した。
そのため、母式部と区別するために
「小式部」という女房名で呼ばれるようになった。


母同様恋多き女流歌人として、
藤原教通・藤原定頼・藤原範永など
多くの高貴な男性との交際で知られる。
教通との間には静円、
範永との間には娘をもうけている。
万寿2年、藤原公成の子
(頼忍阿闍梨)を出産した際に
20代で死去し、
周囲を嘆かせた。
この際母の和泉式部が詠んだ歌

とどめおきて
誰をあはれと思ふらむ
子はまさるらむ
子はまさりけり
『後拾遺和歌集』

小式部内侍の逸話は、
下記の「大江山」の歌のエピソード、
また教通との恋のエピソードを中心に、
『十訓抄』や『古今著聞集』など、
多くの説話集に採られている。
また『無名草子』にも彼女に関する記述があり、
理想的な女性として賞賛されている。
(ウィキペディアより)


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